「カメラを止めるな!」は1人でみるな【ネタバレなし:内容なしな感想】
「カメラを止めるな!」 口コミで爆発し、パンデミックになった作品。ゾンビだけにまさに感染爆発。
元々小さなシアターで始まった今作。見た人のほとんどが絶賛し、またたく間に全国上映になったバグ的な映画。
その感想と言えない感想をネタバレなしで書きます。ネタバレもなければ、内容もありません。きっとあなたは数分無駄にします。
3回みてしまった
自分も全国上映されてから知り、観ました。3回観ました。はっきり言いますが、3回もみる必要ないです。難解な映画ではなく、集中してみれば、1回でほぼ全て理解できる内容。
なのになぜ3回もみたか。それは周りの反応が見たかったからでした。
自分がすごく好きなマンガを友達が読んでて、自分のお気に入りのシーンになった時の反応を伺う感覚。そのまんま。
とにかく「カメラを止めるな!」は共有したいという思いが、強く滲み出る作品なのです。
「あーそこそこ」「え、そこツボなの?」「むしろ、そこスルーなの?」お気に入りを無理やり見せるめんどくさいオタクの図。まさしくあの状態。
二回目に関しては、監督の上田さんのインタビューと父親のフェイスブックの投稿をみて、それを踏まえた上で見たかったから。
息子の上田慎一郎さんの言葉も、父親の言葉も素晴らしいもので、つい二回目が見たくなったのです。ほとんど間髪入れずに見たので、内容全部覚えてましたけど、ギリギリ楽しめました。
僕はこの映画を見た人と全員と握手できるなと思ってます。謎の一体感と、謎の涙が溢れる映画です。
だれもかれも感想があまりにも無味無臭
見た時、様々な感想が渦巻くのです。「うわーだれかとあの部分の感想を共有したい!!」と感情が伸び散らかすのです。
ひとりで見てしまった場合、頼れるのはネットだけ。さて検索検索。するとあらびっくり。ネットの人たちも「内容は言えないけど、見て」もうこれしか言ってないのです。極限まで薄めたコーヒーですよあんなの。
みんなして同じこといいやがって。AIか?ロボットか?この映画を観た後は、脳内にそういうプログラムが施されるのか?と思えるほど「内容を言えない」と言うわけです。
「言えないということだけが言える」と哲学状態に入ってるわけです。悟りから帰ってこい。「ないがある」「なにもしないをする」こららと同等です。
「なんだよこのAI共。なんかヒントすらねえのかよ」と思うかもしれません。けどこれ、見たあとに同じ感想に陥るのです。「あーたしかに内容言えないわ」と。
そして、こぞってみな「おもしろい」と言うのです。
みたあとすぐに感想を言える人が隣にほしい
ネットには見た人が多くいて、「私も見ました!面白かったですよね!◯◯が〇〇で〜」と言いたくなるが、いかんせん大体、赤の他人。
リプライを送ってしまえば、その情報はオープンになって、これから見る人に余計な情報を与えてしまう。かといってクローズにDMを送るにしても、「なんだこいついきなり」となるのが関の山。つまり共有する術がない。もどかしいわけです。
だから知り合いと是非見に行くのが良い。それが一番確実に感想を共有できる。一番気持ちのよい映画体験ができる。
自分は映画を観た後「黙りがち」で一人でみるのが好きなのですが、「カメ止」に関しては一人より二人で見るとより楽しめる。
「感想を言いてえ、言いてえよぉ…」と悶えること必至なので、1人でみないほうがいいと思います。誰かとみて、感想を言い合う、シェア時代に即した最高にハマる映画でした。
むすびに
幸い、自分が見る時はまだ口コミの序章だったので、「とりあえず見て」のロボット状態の感想しかなく、どいつもこいつも感情を失ってました。
言いたいことが多すぎたあまり、感情を失ってました。これもまた哲学。彼らはたぶんグーグルの画像認証をくぐり抜けるのすら不可能。それくらい無味無臭で内容のないツイートだらけ。
今でこそ、ネタバレ感想が溢れてて、検索してしまったものなら「うっかり内容を知ってしまう」危険性があります。調べないでください。ほんとに。
この感想も文字数だけはツイート10個分くらいは綴ってるくせして、なにも内容に触れてません。まるで内容がありません。バードカフェのおせちと同じレベルで中身がない。スッカスカの文字列。
そして、ぼくもロボットの如く感想を言うわけです。「とりあえず見て」と。
ではまた。
(ライター | 文筆 | Webデザイン)言葉とカルチャー好き。仕事や趣味で文章を書いてます。専攻は翻訳(日英)でした。興味があって独学してたのは社会言語学、哲学、音声学。留学先はアメリカ。真面目ぶってますが、基本的にふざけてるのでお気軽に。