「頭が割れるほど痛い」の説明力の無さ...【例え話のはなし】
「頭が割れるほど痛い」とか
「あぁ溶ける〜アイスクリームの気分」
「この焼きそば、まるで輪ゴムだ」などなどetc...
妄想なのに、まるで現体験のように話す人、周りにいませんか?
分かりそうで分かりにくいたとえ話って意味ないかと思うじゃないですか。でも案外あれにも意味あったりするんです。そんなお話です。
#イントロダクション
まず最初に、僕は頭が割れたことはないです。
(輪ゴムを口に入れたことはあります。)
頭が割れたことある人がいて、それを体験談として話していたらそれはあのニワトリみたいな状況になる。
参照:首なし鶏マイク https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E3%81%AA%E3%81%97%E9%B6%8F%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF
※閲覧注意 (苦手な人もいるので一応)
サザエさんのOPのように「ぱっか〜ん」と地球が割れるが如く、頭が割れたことがあれば自信をもって、きっとこう言うでしょう。「やばい、今日、頭が割れるほど痛い」と経験してるので言うしょう。
でも、頭を割った経験がないので、わかるわけがない。それを例えとして出してる話者側ですら、全然痛みを理解できてないはずです。術後でもない限りそんな人間いないので...
ぱっか〜ん 引用:サザエさんOPより
もし頭を割れるくらい痛いが義務教育の中に放り込まれてたのなら、「ほらほら、14の時スキーの校外学習でさ、頭割れたじゃん?」と懐かしみながらドヤ顔で言うと思う。
けど、頭が割れたことはない。分からない例え話ほど困るものはないです。「頭が割れるほど痛い」は伝わりそうで、微妙に、いや非常に伝わりにくい例えなんです。
「ちゃんと”ほど”をつけてるからいいじゃないの」とそう言われると、そうなのだけど、えっと、そうとりあえずそこは置いといてください。
色んな例を踏まえて、例え話の存在意義を書いていきます。
#分かりにくい例え話の説明力のなさ
さて、たとえば「頭が痛い」としましょう。その原因が天候や気圧の変化だとしましょう。そこで僕が急に「頭が痛いんすわ。空がメンヘラなもんで...」と言ったとしましょう。どう思いました?意味分かんないでしょ?
言われた方にはハテナしか浮かばないんですよ。説明がたりなさすぎるので。
天候ってのは自由で、僕らが意図的になにかすることはできません。雨は降ってほしくなくても降りますし、台風は来てほしくなくても来ます。「明日休みたいし、台風来てもいいな」と思ってもそういう時に限って逸れたりします。
こうした「どうしようもない自由な変化」をメンヘラと表現したわけですが、正直とてもわかりにくいです。メンヘラの定義がそれこそ病的に広いので、これじゃ例えとして下手くそです。
#ほんとに分からない例え話の話
上の件はまだギリギリで、説明ありきでなんとかなってしまうものです。(一言での説明力が低いことに変わりはありません。)
ほんとに分からない例えとして、「生理痛の痛み」の話があります。
急にデリケートな話をしてしまって申し訳ないけど、「生理痛の痛みを男性が味わえば」の例え話があります。「出産の痛み」の例えも相似。昔からよく言われてる例えば話。あれも「頭がわれるほど痛い」に親しい伝わりにくさがある。
長年、巷でよく言われるこの例えは「常に鐘を叩かれてる感じ」だったり、「内臓を引き抜かれる感覚」に近いらしい。
もうわけが分かりませんね。どちらも女性であろうが男性であろうが、かなりエキセントリックな経験をした人しかわからない例えすぎる。内蔵引き抜かれたらそもそも死んでしまいませんか?亡霊か?
科学の研究では、痛みの単位として「dol」があって、「出産」と「男性の金的を蹴り上がる痛み」は一応痛みのレベルとして近いとされてるけど、上の例えはそういう次元じゃないのです。
参考:https://youtu.be/FJeuK1Pl2bQ
そもそも、女性の中でも痛みにムラがあって、痛さも人によりけり。なのに、同性異性すら両を飛び越えた例え話。なんてこった。
物事には順序ってもんがあるはず。それを階段飛ばしてくるわけ。2段でもなく一気に4段くらい。なんでそうなるんだ。
「内蔵がえぐられる」「股間をロベルト・カルロスに蹴られる」たしかに想像するだけで痛い(気がする)のだけど、伝える気ゼロじゃないですか?
伝えるつもりがあるなら、せめて男女兼用でわかるものにするはず。お互い経験したことない例えで伝え合うって、すれ違いもいいところでしょう。
つまりは、大げさに言いたいだけなのではないかと。
大変なんですよ、と。きっとそれは本当に大変で、文字通り血反吐をはくレベルに大変。多少でも大げさに言わないと伝わりにくく、わっけわからん次元の例え話は駆け回るのが早い。結果として、大変さを伝えるには効果はテキメンなわけだ。全然理解できないのに、声だけは多く広がる。伝わってないからダメだけど、いいのかな。
そのために、「ありえもしない例え」「わかるわけのない痛みの例え」を持ってくる。それで記憶に残って、大変だとわかる。わからせてくる。わかりやすい例えだけが正義じゃない。伝えるためにはインパクトが重要な要素なのだ。
昔、誰か友人が「除夜の鐘を打たれる気分」といっていて、思わず「なんだそれ、めでたいんじゃないの」と言ってしまった。ほんとになんの気なしに。そしたらこっぴどく叱られた。今思うとデリカシーの欠片もない。
「除夜の鐘」と言われると、年末年始感があり、「おめでとうございます」な気分になったんです。めでたいわけないのに。(「愛でたい」という意味では、ある種あってるかも。愛でたところで収まる痛みなんかじゃないのは、重々承知でございます。やかましいわ。)
デリカシーやアスペ感はともかく、こうして何年経っても記憶に残ってるということは、つまりはそういうことなのだ。言った本人の勝ちで自分の負けだ。
伝わりにくい例として、出産の痛みを上げましたが、こうした性別間での痛みを科学的に解決する機械も今はあります。
出産の痛みをマシンで体験。男子高校生が悲鳴(動画)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/china-chusheng_jp_5c847349e4b08d5b78625a0e
出産の痛みを男性が味わえます。こういうのを体験して、ようやくお互いの背景知識が噛み合うので、たとえ話にも花が咲くってもんです。こうしたテクノロジーの発展は素晴らしい。科学は素晴らしい。
あと、すごく物理的に痛みを分かち合う「アステカ法」と呼ばれるものがあります。
”ウイチョル族の間で、陣痛中の妻の真上で、父親は家屋の天井などで睾丸にロープを結びつけて待機する伝統がある。妻が痛みを感じた時、そのロープを引っ張る。そうすることで生命の誕生がもたらす痛みを夫婦で分かち合うことができるのである。”
なんなのこれ。文字を見ただけで痛い。「アステカ式陣痛緩和法」や「クバーデ」と呼ばれている様子。
とまぁ、これくらい痛いらしいです。出産ってほんとにすごい。
ただ、痛みを分け合う思想も悪くないんだけど、どうせなら痛みを消すほうがいいので、無痛分別の技術などがもっと発達してほしい。
ともかく、産んでくれてありがとう。そして、みんな産まれてくれてありがとうな!!読んでくれてありがとうな!!
#結論 、たとえ話は使い分けが必要
色々と話が脱線したけれど、「頭が割れるほど痛い」は、まず伝わらない。「あーあれね」って話半分になんとなくわかっても、わかった気でしかない。
でも、世の中、経験したことがない事だらけで、それらを例えるなら「伝わらなくても面白ければ良いかな」と思う。表現が秀逸であれば、それが想像であろうと、良いと思う。わけの分からない例えを、じゃんじゃん見せてほしい。お待ちしてます。
本当に伝えたいなら、どうせわかりやすくする。わかりにくい例えを意図的にするのは、わかる人だけわかればいいと思う”ふるい”のようなものです。選別。
こういう自分語り系(?)コラム以外の記事では、なるべく融解して、書いてるけど、自分も普段よくわかりにくい例えをしちゃいます。意図的なこともあれば、意図していない事もあります。そのときは、何いってんだこいつ、くらいの目で見てくださいな。馬鹿にしてくれてもよいです。
ではまた。
3行まとめ
・大げさな例え話は、大変さを伝えたいだけな場合がある(話を盛る人によく似てる)
・わっけわからん例え話はたまに妙な説得力を浴びる
・本当にちゃんと伝えたいならお互いの背景を知った上でたとえ話をしないといけない
こういう事を書いてると、想像力が乏しいと言われるかもしれないので、補足しておくと、頭が割れるほど痛いと言われた場合はそれ相応の痛みを想像します。
過去に骨が溶ける経験をしたことがあるので、おそらくあれくらい痛いのであろうと想像します。どうしても知らない痛みを強要された時には、過去に経験した最大限に痛い状況を思い出して、それを頭バージョンに当てはめて想像します。そうすると、なんだか本当に、それこそ頭が割れたような痛みを感じることがある。脳みそがバグるんです。思い込みでホントに痛みを感じるので、なるべくしたくないんです。でも理解しろと言われれば痛がれます。でもしたくないんです。想像力がどうとかじゃないんです。痛いのは嫌なんです。
ほんとにそれではまた。
(ライター | 文筆 | Webデザイン)言葉とカルチャー好き。仕事や趣味で文章を書いてます。専攻は翻訳(日英)でした。興味があって独学してたのは社会言語学、哲学、音声学。留学先はアメリカ。真面目ぶってますが、基本的にふざけてるのでお気軽に。