見出し画像

元不登校HSPの自分史ー幼稚園ー 心因性体調不良→転園

自分史第1弾です!!

今回は私の幼稚園時代について書こうと思います!私はA幼稚園から、心因性の体調不良によりB幼稚園に転園しました。



A幼稚園入園


私は4歳の頃、おそらく割と良いお家の子どもたちの多いA幼稚園に入園しました。

A幼稚園は比較的教育に力を入れている幼稚園で、一日のスケジュールの中にひらがなを勉強する時間があったり、工作では教材を使った切り貼りの難しいものにグループで取り組んだり、演奏発表会に向けて、音楽担当の先生の指導のもと、ピアニカ練習の時間が頻繁にあったりしました。

列になって並ぶとき、少しでもずれていると強く腕を掴まれて、「ずれてるでしょ!」と怒られ、ピアニカ練習でミスをすると横で先生がずっと険しい顔で見ているようになって、私にとっては堪え難いほどの緊張感を与えられました。

おかげでこのとき練習した「新世界より」は(幼稚園児に演奏させるものだろうか、、、今から思うと、保護者の前でカッコつけるための選曲だったのだろうと思います)、今でもドレミの音で暗記されたままです。


毎日がしんどくて、幼稚園に行きたくなくて、腹痛に悩まされるようになりました。


それでも、1年目の担任の先生は私のことをとても大切に思ってくれていることが伝わってきて、厳しいところもあるけれど、とても好きでした。
そのおかげでなんとか通えていたのだと思います。


しかし2年目、年長さんになって担任の先生が変わって、とうとう毎朝の腹痛が耐えられないものになりました。
新しい先生は、朝クラスに入ってきた私に一瞥もくれない人で、暖かい目を向けてくれることのない人でした。

「この先生は私の味方じゃない」
そう強く感じていた記憶があります。


しかし幼稚園児にとっての先生というのは絶対的存在で、先生という存在が支配している世界に毎日入っていかねばならないことに恐怖を感じていました。


あまりにも毎朝の腹痛が強く、病院に行くと心因性のものだろうと診断された(のだと思う)ことから、幼稚園を転園することになりました。



B幼稚園へ

 
新しいB幼稚園は、A幼稚園とはまるで真逆の雰囲気を持つ幼稚園でした。
自由保育重視で、お勉強のようなことをさせられた記憶がありません。

竹馬や一輪車やキックボード、大きなブロックや絵本、手作りの材料たち。
1人でもお友達と一緒にでも、好きに遊んでいられる時間がたくさんありました。(細かい遊びの内容については別記事で書こうと思います)
一生懸命やっているのに叱られる、なんてことは全くなかったように思います。


もちろん、「幼稚園に行きたくない」とごねる朝もありましたが、腹痛に悩まされることはなくなり、幼稚園についてしまえばなんだかんだ楽しい時間を過ごすことができました。たった半年ほどでしたが、思い出もたくさんあります。


幼稚園時代は、私の人生の中で唯一、途中で完全に場所を変えるということをした時代でした。
幼稚園を移っただけで、見える世界はまるで別のものでした。
小さい私にとっては、これが同じ「幼稚園」であることをとても不思議に感じました。



まとめ

幼少期は、親から与えられる場所やものが世界の全てになってしまいます。
そして親が与えた「幼稚園」という場所が子どもにとっての「居場所」になるかどうかは、幼稚園の先生たちにかかっていることは間違いないと思います。


親とは色々ありましたが、このとき転園の機会を与えてくれたことには感謝していますし、B幼稚園で暖かく私を迎え入れてくださった先生方にとても感謝しています。


思い切って今いる場所を飛び出すこと(飛び出させること)も時には必要であることを私に教えてくれた経験です。


ちなみに、A幼稚園で1年目に担当してくださった先生は、転園後心配してお手紙をくださった以来、今でも時折文通をします。大好きです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?