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給食の時間は地獄の時間ー不登校ー

私は、少食で、偏食で、食べるのがとても遅い。

だから、給食の時間は学校で過ごす1日の中でも特に辛い時間だった。


幼稚園の頃。

私は以前の記事でも書いたように、心因性の体調不良により転園したので、2つの幼稚園を経験している。

初めに給食の時間にストレスを感じたのは、1つ目の幼稚園の時だった。

お昼ご飯は給食。
それぞれが自分の机を出してきて、決まった位置に並べて、給食を食べる。

細かい記憶は曖昧だけれど、時間内に食べきることができなくて、苦手なものを食べることもできなくて、1人でいつまでも部屋に残されて泣きながら食べていたことだけははっきり覚えている。

辛くて、なんだか情けなくて、恥ずかしくて。でもどうすることもできなくて。
ただただ、先生の中でのタイムリミットが来るまで食べ続けていた。

集団の中で食べるご飯の記憶の、初めからこうなものだから、「みんなで食べるとおいしいね」なんて、思えるわけもない。


転園した幼稚園は、お昼ご飯がお弁当だった。

私が少ししかご飯を食べられないことも、苦手なものはどうしても食べられないこともわかっていたであろう母の作るお弁当は、

デザート入れくらいのサイズのお弁当箱に、卵焼き、ウィンナー、ブロッコリー、肉団子、といった、確実に食べられるものだけを詰めたもので、

そのおかげで、私にとってお昼ご飯の時間は苦痛ではなくなった。

その上、この幼稚園では机を並べて食べるのではなく、自分くらいの大きなブロックをホールの好きなところに置いて、机と椅子にして食べるスタイルだったので、
みんなと同時に食べ終わらなければならないというプレッシャーからも解放された。



小学生の頃。

小学生になって、お昼ご飯が給食に戻ってしまった。

自分の分の給食が机の上に揃った時、「食べ切れるわけがない」とまず思う。
どう考えても私には量が多過ぎる。
その上、どうしても食べられないものがあることも多々。


コッペパンはどうして2本乗っているのかしら。
1本の半分で充分なのに。
麦ご飯多過ぎないかな。
なくて丁度いいくらいなのに。
ピーマン入ってる。
匂いが教室に充満してるだけでも吐きそう。
目一杯まで給食を詰め込んで、最後に牛乳なんて飲めるわけない。

しかも、給食の準備をバタバタと終わらせて「いただきます」する頃には、休み時間が始まるまで15分しかない、ということがほとんどで、例え食べ切れる量でも時間内に食べるのは私には不可能なんだ。

絶望だ。

給食の時間が始まると、先生がまず「減らしたい人並んでー」と言う。
その言葉が唯一の希望で、私は減らしたいものを持って並ぶ。

でも、

1本半減らして欲しいな、と思ってコッペパン2本を持って並ぶ。
先生は1本の半分をちぎって、「1本半は食べなさい」と言う。

どうしても食べられないおかずを持っていく。
3分の1ほどを減らして、「あとは食べなさい」と言う。

もう一度味わう絶望感。

食べられるものなら私だって食べたいよ。
でも本当に食べられないから、食べたら吐いてしまいそうだから持っていってるんだよ。

どうして、「食べなさい」と言われて「頑張れば」食べられるものだと思うんだろう。
食べられないのは私が「頑張っていないから」だと思ってるのか。

でも小さな私はそんなことを言う勇気なんてなくて、食べられない私が悪いんだと、少しだけ減らされた給食を持って、とぼとぼ自分の席に戻る。


そして必死で食べていると一瞬でチャイムが鳴る。お昼休みが来て、他のみんなが続々と食器を片付けて机を下げて、楽しそうに教室を出て行く中、自分の机が他の子の邪魔になっていることを謝りながら、教室の後ろで1人給食と戦い続ける。

私、お昼休みに楽しく遊んだことあったっけ。
 

給食の時間は、「たくさん食べる子」「早く食べる子」「好き嫌いなく食べる子」が偉いとされ、
「少食な子」「食べるのが遅い子」「食べられないものがある子」が悪いとされる時間だ。

時間内に全て食べ切ることの出来ない子は常に、休み時間がなくなったり、いたたまれない気持ちになったり、孤独になったりと、実質的に罰が下されている。

もちろん、あまりにもご飯を食べなければ体調を崩してしまうだろうし、エネルギーも出ない。
あまりにも好き嫌いが激しいと、必要な栄養が足りなくなるかもしれない。

それは子どものために、良くないことだろうし、そうなることを避けるための声かけをすることは必要だろうと思う。

しかし、給食の時間のこの指導は、本当にこれらを防ぐために必要なレベルなのだろうか。
子ども1人1人の体格差や、性質を考慮できているのだろうか。

食べる時間を苦痛の時間にしてしまっては、元も子もないのではないか。

と私は感じている。


子どもたち1人1人が、
自分に合った分量を考えて食べられるようになり、さまざまなきっかけを通して、苦手なものも少しずつ食べられるようになって、

どうしても食べられないものがあるなら、他のもので必要な栄養を取ることを、自分で考えられるようになればいいと思うし、

自分にとって心地良いスピードで、よく噛んで食べれば良いと思うのだ。



子どもたちみんなが、
「みんなで食べるとおいしいね」
と笑顔で言えるような、給食の時間になっていくことを、とても願っています。


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