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わたしも遺書のつもりで書いてみっか

この前「あちこちオードリー」を見てると。

ロンブーの田村淳さんが出てて「俺はインスタを遺書としてやってるの。娘たちに残しておきたいことを書いてる」って。一言一句正確かはわかんないけど、そんな主旨のことを。なるほどなーと思って。そっか、遺書か。それは書きやすいんじゃないかな~


実務的(?)にもいいですよね。人はいつどーなるかわかんないと言っても、なかなか遺書を書こうとはならないし。

でも、万が一なんかあったときには。ああ、パパはこんな気持ちでわたしたちを育ててくれたんだ。あのときは意味わかんなかったけど、わかるよ。親になった今なら、痛いほどわかる。ありがと、パパ。たくさんの思い出と言葉を残してくれて——


よさげですよね、しみじみ。

・・・あれ、ちょ待てよ?わたし子供いなくね??そう、そもそも遺書を書く相手がいない。いや、親でもいいけど。縁起でもないし、喜ばないだろうし。甥っ子や姪っ子といっても、若干遠いし、そんなの残されても重いだけだし。猫さん文字読めないし(にゃー)


そうだ、みんなに書こう。わたしには「書く部」があるじゃないか。や、それだけじゃない。いつも読んでくれるあなたがいる。

あれが最後だとわかっていたなら・・・じゃないけど。明日どーなるかなんて、わかんないんだから。もっとこんなことも書けばよかった。まだ、わたしには伝えられることがあったんじゃないか。誰かの人生をほんの少しかるくすることができたかもしれない。


病院のベッドで、そう思うのやだもんね。

結局ねー、書くや発信をじゃまするのは「自意識」なんです。こんなこと書いたらあれかな?人から、どう見られちゃうんだろう?って。そんなのいーの、遺書なんだから。あまり遺書で照れてるとか、こんなこと言うの恥ずかしいってなさそーですよね。


これだけは言っとかなきゃ、生きてるうちに残しとかなきゃってのが遺書ですよ。

うん、そう思えばなんだって書けそう。だって、読まれる頃にはわたしはこの世にいないんだから。あれ?おかしいな、みんなこれ読んでるな。わたしまだ元気だな。淳さーーーん、解釈あってますか?ま、いっか。遺書気分でライティング、これでいこー


定期的に書いてる~


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