浅い呼吸と安心の同居
大丈夫ですか? 心配です
(時には 死にそうな顔してますよと)
毎日のように声をかけられる
そんなにわたしは大丈夫じゃなさそうなのだろうか
疲れているのに無自覚なのは、今に始まったことではない
思いがけず精神科病院で働き始めて12年目の2023年6月末、退職して病院の外に出てから半年余りで、わたしと世界との関係性は、がらがらがらと音を立てて変わってきている
病院にいるときは、意識して白いブラウスを着て、穏やかに呼吸を落ち着かせ、できる限り受容的な人であろうとした
不自然なまでに、誰のどんな状態も、いったん丸ごと受けとめて、こちらは平常を保つように努めた
朝はランニングしてシャワーを浴びて体を清め(ているように思い)、休日は山に行って心を浄化し(たように感じ)、本を読んだり研修を主催しながら専門職の専門性(とやら)を磨くことを課していた
非審判的態度であること、統制された情緒的関与を意識すること、時にネガティブな感情の意図的な表出を促すこと・・
それらを意識したかかわりによって、世界の中に安全に居られる場所が一つできたという実感がその人に生まれれば、そのあとはその人自身が悩んだり考えたり選ぶことができる
そう信じて、できるだけそうあれない自分を隅に追いやり、信じたソーシャルワーカー像を演じてきた
長いことそうしてきたことで、それはもう役を超えて、もとの自身と融け合っていった
今では、ほんとうのわたしなぞ、どこに居るのか見当もつかない
出会ってきた人たちの声と心の手によっても、捏ねられ、成形され続けてきた
そういう幾層にも煉られた粘土のようなわたしは、病院の外で人々と出会ってきたこの半年でさらに変形に磨きがかかっていて、今どんな形を成しているのか、自分でもよくわからなくなっている
大丈夫ですか? 心配です 死にそうな顔してますよ
そんな風に言われたことはこの12年なかったと思う
職員間でも、信頼しているピアサポーターに寝ていないことや休めないことをこぼしたりはしていたが、相談に乗ることがほとんどだった
なのに、ここ1か月ほどは、毎日のように心配されている
これはいったいどういうことなんだろう
わたしは何を発しているのか
知らぬ間にこのからだでなにを
確かに休んでいないけれど、この生活は20歳くらいからずっとそうで
わたしとしては、仕事がこれまでより増えたと言う実感はない
じゃあ、なんなのか
それは、人から心配されてもおかしくない顔やからだで居られる場所が外の世界にできたからではないだろうか
くたくたふらふらで、死にそうな状態でも居られる場所が
この半年間(いや、その2年半前から少しずつじわじわと)、何をどう演じていようといまいと世界はわたしの隣にいてそこにあったはずの境界は消えかけている
わたしの時間や場所や暮らしは、世界のそれらといっしょくただ
ぴたっと重なって融け合おうとしている
そこに居ると気づいた今、少し安心していたりもする
疲れているし、気力も湧かない
なんなら呼吸も浅いけれど、安心もある
それらは同居するらしい
そういうところに、今は居る
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