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偏頭痛から生まれた想像力

高校からの友人に、行きたい会社の選考のために推薦状を書いて欲しいとたのまれた。形式は自由とのこと。ワードやパワーポイントも検討したが、みなさんからのいいねが彼女の自信にもなるのではないかと思い、noteを選んでみた。

彼女とは中学校も一緒だったが、その頃はあまり話したことがなかった。高校二年生で初めて同じクラスになったが、それでも違う友達の輪にいたのでたまに世間話をするくらいの仲だった。

高校三年になり、選択授業いわゆる文理に分かれた授業が始まった。たまたま時間割がほとんど一緒だった彼女とわたしは、そのくらいの時期から自然と毎日を一緒に過ごすようになった。

人のために動いてしまうのにそれをうまくアピールしない世渡り下手なところが似ていて。でも、意見が衝突したときに、自分の意見を言い返すよりも周りの意見を一度持ち帰ってやっぱり違うよなと熟考する、わたしにない人間関係におけるていねいさを持っている友達だった。


高校生活最後の一年を共有し、卒業してからも定期的にご飯に行ったり、年始には初詣に行ったり。たくさん思い出はあるはずなんだけれど、振り返ったときにパッと浮かんで離れなかったのが、高校時代の生物実験室での彼女との会話だった。

あれはたしか五時間目とかで、班で植物だかを使った実験をし終わって、レポートを作成していたときだったと思う。

「ちょっと偏頭痛やばいから帰るわ」と早退を決め荷物をまとめ出した彼女に、わたしは「えーずるーい」と言った。

そして「ずるくないよ!頭痛いって言ってんじゃん!」と、頭を押さえる彼女を怒らせてしまった。

あー、想像力がたりてなかったなと、一瞬で反省した。喉元過ぎれば熱さ忘れるというけれど、二十年生きていれば、わたしにも辛い頭痛の経験はある。自分が経験したことのある痛みでさえ、目の前の人がそれを体験しているときに想像することができなかったのだ。

そのまま距離をおいたり、他人に悪口をいうこともできたはずなのに、彼女はきちんと自分の気持ちを私に教えてくれた。痛みを忘れてしまうわたしのことを理解して、きちんと教えてくれた。


彼女の場合は物理的に偏頭痛だったわけだけれど、そんなふうに他の人にはわかってもらえない痛みを慢性的に抱えている人は、多いと思う。それは女性であることやマイノリティであることで差別を受けるという規模が大きいものだったり、小さい頃のトラウマで人間関係がうまくいかないとか、躁鬱まではいかないけれど精神のアップダウンが激しいとか、とにかくいろいろだろう。

人はそれぞれに事情があり、それぞれにがんばっている。それを私がいつでも思いだせるのは、間違ったときに過ちを指摘してくれた一瞬のやさしさ、そして隣でみてきた彼女の他人を見捨てないやさしさのおかげだ。

彼女にあるのは、自分には偏頭痛があるのだから優遇しろと主張する傲慢さではなく、他の人にもそれなりの苦労があるのかもしれないと一度立ち止まって相手のことを想像する力だ。彼女のそのやさしさは別に偏頭痛から来ているものではないかもしれない、というかたぶん来ていないけれど。


彼女が志望している企業のホームページは、メンバーの集合写真ではなく、個々の笑顔の写真で彩られていた。個々を大切にし、チームで成果をあげるという文化らしい。

ずっとジャニーズを応援していて、エンタメの業界で働きたいと言っていた彼女だったから、それを諦めずにいられているようでまずうれしかった。さらに彼女の相手を理解し想像して思いやる力が活かせるような文化の企業なら、ぜひご縁があってほしいなと思う。

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