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アイデアも、理想も余白から。

久しぶりに、やることがなくなって。

学校の学期も終わり宿題もないし、ありがたいことにもらえていたコピーの仕事もひと段落した。

そうして久しぶりに、noteに書きたいことが出てきた。

自己啓発ではないけれど、生き方についての本を読みたいという欲や、将来こんな事をしたい、もっと会社をこんな風にしたいというアイデアが出てきた。


わたしが小さい頃読んでいた小説に、働き詰めになって、定年してから家族の大切さに気がついたというような話が多いのも、ふに落ちた。

目の前に、やるべきと言われたこと、たしかに自分にできること、そして締め切りがあることを出されたら、なんとか締め切り内にそれが終わらせられるよう、ついつい全力を尽くしてしまう。全力でないにせよ、終わらせようとする。それが人の習性なのかもしれない。

悩まなくていいという点では、たしかにそれも幸せな生き方と言えるのだけれど、人にタスクをもらうということを前提とするのに慣れると、何十年も経てばやりたいを見つける能力は落ちているから、途方に暮れるのかもしれない。

それに、世界を変えるようなビックアイデア、例えばロープだか網だかを見てジーンズを思いついたり、appleを思いついたり(詳細は忘れたが、日常に転がっているものから着想を得たというエピソードがあるものは山ほどある)するのは、タスクが何もない「脳がフリーな状態」でないといけない気がした。

確証があるわけではないけれど、今まで目が覚めても二度寝して、10時ごろ起きてからずっとなんらかの作業をしたりダラダラしていた生活では兆しもなかったほど、今朝だけでこうしたい、wantがたくさん出てきたからだ。それは自分はもっとこんな生活をしたい、こんなふうに生きていきたいというのもあるし、これをしたらみんなが喜ぶかもしれないというものもあった。

今は空気がずっとピリついているというのもあるかもしれないけれど、自分を見つめる、世界を見つめるためには、余白が必要みたいだ。

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