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人とズレている私にも、みんなが共感できるものを書けるの?

私にはずっと、社会とずれているという感覚があった。生きづらさとも言える。

それは別に、「私って変わってるよね?」自慢ではなく、どこが変かわからないけれど、なんとなくずれているらしいというネガティブな感覚。

というのも、いい方向の変わり者であれば、それはクリエイターにとっては素晴らしい才能となる。人とは違うことを考えられる人がコピーライターに向いていると言う人もいる。

でも、私のずれはそれともちょっと違うのだ。私が考えることはしごく普通。感覚や感想も普通。でも、なんかずれているらしい。

…なんだそれ。と思うだろう。私もそう思ってここまで生きてきた。人と違うことが思いつけもしないのに、世の中の真ん中もわからない。そんなのコピーライターに向いていなさすぎるんじゃないか。そう自分の素質を疑っていた。

でも最近、そんなどう扱っていいものか分かりかねていたズレへの向き合い方に答えが見えてきたのだ。だからこのnoteでは、それについて書きたいと思う。

ズレと向き合ってコピーを書くには、2つの努力が必要。

ところで私は、2023年秋から2024年春先まで、谷山クラスという宣伝会議コピーライター養成講座の中でも厳しいと有名な講座に通った。上で書いた「人と違うことを考えられる人がコピーライターに向いている」と本で書いているのも谷山さんだ。

そしてこれから書く「人とのずれ、社会とのずれの扱い方」も、この講座で教えてもらった。(直接的に教えてもらったこと、飲み会の会話でぽろっと話してもらったこと、ゲスト講師の話を聞いて自分でこういうことかなと考えたこと、合わせて)。

簡潔に言えば、人とずれていても良いコピーは書ける。書けるから大丈夫。でも、それをするためには少なくとも2つの努力が必要だ。

①自分にはない誰かの「好き」について、誰よりも考えること。

ズレているという自覚があるなら、感覚で掴めない分、真ん中にいる人よりも、真ん中について考えなければいけない。

どうして自分はやりたいと思わないアレが流行っているのか。どうしてみんなコレを大切にしているのか。

本人たちよりも、誰よりも、自分が持っていない「好き」や「大切」について考える。理解する。

その思考のストックで、他の誰かを自分にインストールしていく。

②自分と人の同じところを探すこと。

誰もが「育ってきた環境が違う」わけで、程度の差はあれど人と違うことは当たり前。

そして広告屋として生きていきたいならなおさら、自分の人と違うところより、人と同じところを見つけて生きよう。

どうせみんな違うんだから、その中で、ここは同じだねを見つけてあげる。これはみんな笑っちゃうね、これは悲しいね、これは嬉しい気持ちになるね、を。

自分は周りの人と違う、だから貴方の気持ちはわからないと切り捨てることは簡単だけれど。

ここまでのふたつを大切にしていれば、真剣に考え続けたストックと、その時々の頭が削れるほどの思考の先に、「私はあなたと違うけど、あなたはこれをこう感じていたから、私とあなたでもこの気持ちは一緒だと思う」という場所を見つけられる。

(ふたつ目の話は谷山さんが直接こちらの記事でもお話ししていました→https://www.advertimes.com/20240418/article456833/)

でもやっぱり端っこコピーライター。

端っこから、社会の真ん中を作るのは難しい。真ん中に元からいる人よりも苦労も多いはず。でも、端っこと真ん中の重なるところがわかるのは端っこの人。そして私が広告を作り続ける限り、端っこの意見がひとかけらでも織り混ざったものが世の中を作る。苦労の分、意義も大きくなっていく。

そう信じて、「えぇ、これは私だけなのか」と「え、それってみんなもなの?」を行ったり来たりして行こうと思う。

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