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ハッピーフラワー

お店を出たらサーモンピンクと水色のグラデーションにおり上げられた夕空があまりに美しくて、私は思わず「きれいだね」って声に出してしまいそうになった。
 
もうすぐ夜をむかえる夕方の空気は、りんと冷たくて心地いい。
 
私はあなたとおうちを目指してゆっくり道を進んでゆく。
 
リードを付けておさんぽするワンちゃん、とおくをゆく千鳥、公園、立ち飲みできるちいさな酒屋さん。
 
ああ、いいなあ。平和でやさしい日常のために時間がちゃんと流れている。
 
やわらかな風があなたの前髪をさらさらと揺らすのを見ていると、私はなんだかほっとする。
 
そうしてあなたのおでこを見ていたら、あっという間にマンションに着いた。
 
オートロックの玄関ホールを抜けてエレベーターで6階に上がる。
 
たてものの中はひやりと冷たく静かで、一瞬ちょっとこわいなと思ったけれど、足元を見るとちり一つ落ちていなくてちゃんと整えられている場所なんだなと安心した。
 
カードのキーで家の中に入ると、あなたは着ていたコートをハンガーに吊るして玄関わきの扉にかけた。
 
コートは夕空のサーモンピンクを淡くしたみたいなベージュピンクで、あなたの雰囲気にとてもよく似合っているなと私は思った。
 
「準備するから、もう少しだけ待っててね」とあなたが私に声をかけてくれる。ていねいに手洗いとうがいをして洗面台をコップ一杯のお水で清めると、あなたはおおきな花瓶に栄養剤を入れてから水を入れ、それからハサミを取り出して洗面台においた。
 
チョキ、チョキ、チョキ。ハサミで葉っぱを落としてくきの先を水揚げし、いそいで水を張ったガラスの花瓶に生ける。かるく形を整えて「よし」と言うとあなたは花瓶をキャビネットの上において椅子にかけていたエプロンを着けた。
 
「私のおうちへようこそ。今日からよろしくね」
 
あなたのやさしい声。加湿器のしゅわしゅわする音。秋の西日が照らしたあたたかなおうち。
 
小柄なあなたにピッタリのコンパクトなおうちの中はおだやかな明るさに満ちていて、私はここに来られたことがすごくすごくうれしくなる。
 
たくさんあるお花の中から私を見つけてくれて、どうもありがとう。
 
しんせんになった切り口から吸うお水はおいしくて、私は心から幸せな気持ちであなたのおうちの住人になった。 


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この小さな物語に目を留めてくださり、 どうもありがとうございます。 少しずつでも、自分のペースで小説を 発表していきたいと思います。 鈴木春夜