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闘病日記のような。

7/28 急激な咽の痛みから始まる。時間が経つにつれ頭が割れるような激しい頭痛に襲われる。食事は普段の半分以下しか食べられず。咳も出始めて鼻水も少量ながら出る事から【風邪】を疑う。睡眠体勢に入ると、咳に加えしゃっくりが頻発してほぼ眠れなかった。

7/29 頭痛と咽の痛みが激しさを増す。食事の量が更に減る、恐らく一日で400kcal程度。前日同様に咳としゃっくりが同時に頻発して、この日は一睡も出来ず。二日間連続でほぼ眠れなかった事に加え、食事もほぼinゼリー等しか摂取出来ていなかったので衰弱の一途を辿っており、逆流性食道炎による吐き気も重なり、午前中の時間帯から身動きが取れない程の状態になる。
午後になり、有り得ない事に『体温を測る』という事を失念している事に気が付く。
慌てて体温計を探し体温を測る。
【38.8℃】
この時点で完全に"コロナ"を疑う。
味覚障害等は無かったけれど、強めの風邪のような症状だったので「とうとう罹ってしまったか」と思った。
本来はコロナの相談窓口等で指示を仰ぐ所だったけれど、その時点で自力で動く事が困難な所まできてしまっていたので救急車を呼び対応してもらう事にする。自分は持病悪化の不安からコロナワクチンを一度も接種していなかったしPCR検査等も受けていなかった事から、まず検査を受けてから診察を行って貰える病院探しから始まる。
残念ながら近場の病院で検査から診察まで全て行って頂ける所が無く、救急車で20分程度の病院が受け入れて頂けるとの事でそちらへ。
病院に付くとコロナ、インフルエンザ、更に血液検査と……併せて咽の痛みや炎症度合いから溶連菌という扁桃炎等の病気の原因となる中でも危険な病原体の検査も同時に行って貰う事に。結果は全てマイナス(陰性)だった。
【コロナじゃない】という安堵と、じゃあ何が原因なのか……という不安が一気に押し寄せた。
その日はそのまま、熱も上昇していて炎症も酷い状態という事で一泊のみ入院して抗生物質や栄養剤等の点滴を打ちながら様子を見る事に。

7/30 解熱剤が効き熱は37.5℃まで下がる。咽の痛みや咳はそのままだったが果物やゼリーなら食べられる状態ではあったので、一通りの抗生物質や炎症、痛み、咳を抑える薬等を貰って自宅療養で様子を見るという事で帰宅。ただ、ただこの日も相変わらずほぼ睡眠出来ず咳としゃっくりと吐き気のコンボに悩まされた。
「しゃっくりが止まらないって何よ」と思っても、先生にも原因は解らず咳に反応しているか胃液が逆流する際の刺激でか等の考察に留まった。自分で考えても同じような見解だった。

7/31 ここにきて【眠れない】という事実がかなり精神的にも肉体的にも表れてくる。
起きていてもリアルに「あぁー」とか「うぅー」しか言えないくらいに頭がボーッとしていて様々な物事の判断も危うくなってきていた。咳は夜~朝にかけてが特に酷かったが、これは持病の喘息や他の咳を伴う病気に罹った際と同様だったので仕方無いと諦められた。
ただ同時にしゃっくりが止まらない、という方は一度も経験が無かった未知の事態なのでとても混乱していたし咳以上に対処方法が無さすぎて看過出来ない状態だった。
人間は座りながらでも眠れる。自分も勿論座って眠る事も可能ではあるけれど、何故か座って就寝して小一時間もすると発作的な咳としゃっくりが同時に遅い意思を持って寝かせないぞ、と何かが寄生してコントロールされている気分になった。
身体を横に倒すと発作的な咳としゃっくり、座位のまま仮眠してもすくに目が覚めて発作的な咳としゃっくり……地獄だった。
当然もう食欲はまったく無く、生きる気力すら無くなりそうになる。
昨日は救急車で緊急外来扱いでの診察だったので、専門医の方ではなかったので……やはり一度、専門医の方に診て頂くのが一番だろうと思いセカンドオピニオンに移る事に。
正直、完全に一人で歩く事も難しい程に衰弱していたけれど救急車を呼んで行っては同じ事の繰り返しなので、直接掛かり付けの病院へ連絡をしてからなんとか呼んだタクシーに乗り込み病院へ。昨日の検査よりもより細かく(さすがに当日なので大きい検査は出来なかったが)検査して貰う。
そこで、当初の診断であった扁桃炎に加え咽頭炎と気管支炎も合併して発症している事が判明。
炎症度合いも酷いとの事で、数値を見ても通常時では【0~0.3】の所【14】という簡単に言うと普通の炎症の40倍以上ヤバいという状態だったらしい。改めて薬を見直し、適切なモノをを出して頂く事に。
実は前日の緊急搬送先でも血液検査でこの数値を伝えて頂いていたのですが、その時は【5】近くて、それでもかなり高い方だと伺っていた。ので、14と聞かされた時は正直相当焦った。
これで数日間様子を見て、また効かないようなら抗生物質の種類を変えてみる流れになった。
家では歩くのもやっとだったが、何故か外に出ると気を引き締めないといけないからか受け答え等もしっかり出来て歩行速度も若干上がっていた。
ただ、その裏ではずっと「これ以上は耐えられないかもしれない……自ら命を断つかもしれない」と思い始めていた。

8/1 もう眠る事は諦めていた。たまに気絶して仮眠を取れるタイミングで数分だけでも眠れれば(意識を失えれば)それで良くなっていた。ギリギリの状態でまだinゼリー系の半固形飲料を飲めていたのと水分だけはこまめに摂取していたので生きる事は問題無かった。
inゼリーを飲み終われたタイミングで薬を飲み、その他の時間は音楽を聴く事も映像を見る事も小説を読む事も無くひたすら【生きる】という事だけを考えて呼吸を深くしながら息を整えて過ごした。
たまに発作的に酷い咳と、相変わらず止まらないしゃっくりが現実を突き付けてくるけれどとにかく目を固く閉じてそれらをやり過ごした。

8/2 そんな事を思っていても限界は限界だった。薬を飲んでも改善されるどころか悪化する病状と、満足な食事も纏まった睡眠も取れず廃人のようになってゆく鏡の中の自分の姿。それはもう、何処か遠い国のスラム街の映像に映っていた薬物の乱用で痩せ細りまともに会話も出来なくなった人間の成れの果てに似ていた。自ら命を断たずとも、静かに待っていれば衰弱死の足音は確かに聴こえていた。

8/3 馬鹿!生きるんだ!7/31の担当医の方に『炎症の原因となる感染が細菌性かウイルス性かで違うんだけど、細菌の場合は適切な抗生物質を飲めば良いんだけど……ウイルス性の場合は、咳止めとか痛み止めは効果があるんだけど肝心の抗生物質は意味が無くて、これは御自身の免疫力が必要になってくるんだよね。で、この数値の上がり方的にウイルス性の可能性が高そうだと私的には考えられるかな、と』と言われたのを思い出す。ほぼ何も食べれず、纏まった睡眠も取れず、ストレスはピークを越え……今の自分は完全にウイルスに対して「どうぞ攻撃して下さい」と言っているのと同じ状態だった。
このままだと本当に本城まで攻め込まれて落とされてしまう。ここで何もしない事は、敗北であり……死だ。
今まで何度も「死にたい」と思う事があった人生だったけれど、よく解ってもいないウイルスに殺されるのは何だか違う気がした。
自分は我儘な死にたがりなのだ。そもそも人間は須く我儘なモノなのだ。
この日から取り敢えずは口に出来るinゼリー系や、麦茶や水等の飲料……そこから少しずつ果物や野菜等、と吐かない程度に半ば無理矢理にでも摂取しつつ免疫力を取り戻す努力を始めた。
ちなみに自分は元から身長183cmに対し体重が54kgしかない、限界の人間だったので……正直、いつこういう事態になってもおかしくなかった。それが今、というだけ。
たまたまウイルス(もしくは細菌)に隙を突かれたのだ。
これもまた自業自得とも言える結果であり、生きる上での試練である。
普段は自分の身に何か不幸や危険な事等が起こると「あー生きてるなぁー」という楽観的思考になり、生を実感させてくれる出来事があって良かった等と思ってしまうけれど。
正直、今回は冗談抜きで「死が近付いてきている」としか思えない程に、絶望と恐怖だけが常に両肩に居座っている。
まったく「あー生きてるなぁー」なんて思えない。笑えない。
ただ、これを乗り越えられたら……今まで以上に生に対して強い愛情を持てそうだとも思う。

8/4 当然の様に一睡もせず朝が来る。既に時間の感覚はかなり薄れている。【身体を横にしない】【何か口に出来そうだと思ったら取り敢えず何かを食べる】【水分だけは何があってもこまめに補給する】【病状に少しでも変化があったら即座に担当医の方に伝える】これだけを守って、咳と咽の痛みと不眠から来るフラつきと若干の吐き気を感じつつ……また今日が始まる。
長かったようで短かったような一週間だった。初日から現在までの文章は、8/4現在の早朝に何故か脳が覚醒している自分が一気に書いた。これ以降の文章は、8/4早朝以降に生きている自分が書く事になる。
恐らくまた覚醒している時に書いてくれる事を願っている。

ここからは8/7夜の自分が書いている。
8/4の早朝に先の言葉を一気に吐き出した後は、ずっと椅子に座りっぱなしで意識は朦朧とした中で睡魔が襲ってきたタイミングでその睡魔に逆らわず上手い事座りながら眠れる時に眠る(と言っても、いくら極限に眠くても30分程度で起きてしまう)という事に徹して時間が過ぎるのをただ耐えた。毎食後の薬を飲む為に8時間に一度、サラダや豆腐やゼリー……納豆等の食べられそうな物を食べる事は徹底した。
それに加え、胃が空っぽの状態は逆流性食道炎の症状を悪化させてしまうので更に2~3時間の間にも少量でも何かを口にする事も徹底した。水分は主に麦茶を30分に一回の間隔で少量摂取する形を取った。
この状態での生活でツラいのは"時計の針"だった。普段は携帯電話を適当に弄っているだけで、夏場のアイスクリームのように勝手に溶ける時間も……何も出来ない、気力が無いという状態では時計の針は、切り出した天然氷よりも強固な存在になった。
なので、様々な物事に対して時間配分をするという行為は、一つ一つの与えられたミッションをクリアしてゆく前向きな感覚にもなれてとても良いと自分では思った。

8/5 書く事が無いくらいに前日と同じサイクル。身体を横に出来ない(横になると逆流性食道炎の症状が如実に出て、胃液が喉まで上がるのが分かって、それが炎症部分に触れて咳を誘発して発作的な咳としゃっくりが止まらなくなる)ので、足を下ろすタイプの椅子に座っている状態をほぼ24時間常にキープしている。
たまに、身体がL字になるように背を壁に預けてベッドに座る事も試すが、やはり次第に気が抜けて体勢が保てず勝手に身体が横になりたがるので、長時間は難しい。
夜にもなると、既に5日間程は基本的には椅子に座る姿勢をキープしている事から、気が付けば足の甲が自分の足では無いくらいブヨブヨになって破裂するのではという程に腫れていた。完全に血液の流れが悪く、足で血流が留まってしまっていた。
それからは数分間L字で座る時間を設けていたが、その時に足先を心臓の位置より高く上げる事という項目を追加した。
気休め程度にマッサージ等も行いながら。

ここにきて、漸く吉報もあった。
扁桃炎及び咽頭炎、気管支炎の炎症はほぼ弱まっていてもう問題は無い程度に回復しているとの事だった。
確かに、この時にはもう熱は36.5~37.2と完全に平熱に戻りつつあり喉の痛みも弱まり、連日出る痰の色も白濁したものから透明なものに変わっていた。
ただ、元々の持病である喘息の症状が気管支炎によって多少現れてしまった事と、これも持病である逆流性食道炎の症状が食事が摂れない期間が続いてしまい悪化してしまった事が重なり、当初とはまた別の闘病フェーズに移行したような形になっていた。
これはとてもツラいけれど、やはり初期の熱が40℃前後まで上がり一切食事が摂れない状態に比べれば【生きる】という事においては、もう死ぬかもしれないという心配をしなくても良い所まで来たという事で、自分自身でも本当に安心出来る喜ばしい吉報だった。

8/6 睡眠時間は正確には把握出来ていないけれど、恐らく1日の合計は2時間程度だと思う。殆どの人が一度は経験した事があるであろう【寝落ち】と呼ばれる、あの意図的ではない不意の入眠。今の自分はその寝落ちのタイミングでだけ眠れる特殊な環境に置かれている。
病気では無い通常時だと、平気で6時間寝落ちしていたなんていう事はよくある話だったけれど、今の自分は寝落ち出来ても30分~良くて1時間だった。睡眠中にもふとした瞬間に発作的な咳で勝手に目が覚めてしまう。
まさか人生において『寝落ち待ち』等というよく分からない状況下に自分が置かれるとは思ってもいなかった。
あんなに気持ち良かった筈の寝落ちが、今では苦痛だ。と同時に寝落ちしないと眠れないという不思議なジレンマに少し笑えそうだった。
実際にはまだ笑える程に快復していない。

この日から食事を変える事にした。
油や刺激物は避け、それ以外はとにかく【食べたい物を食べる】事にした。
病床での食べたい物、というのは通常時の食べたい物以上にその時その時でコロコロ変わる。
ある時はマグロのお刺身で、ある時はサラダパスタで、ある時はゴーヤチャンプルーだ。

幸いな事に自分の現状の病気は、他人に感染させてしまう事は無いものだったので自己判断で近所のスーパーマーケット程度なら外出の許可が出ていた。
あとは本人の体力と気力の問題で、そこは食欲という欲望に完全に身を任せる事で『なんとしてでも食べる』というある種、生物の野性的な本能で買いにゆく事が出来た。

ちなみに、この日は完全にマグロのお刺身だった。

8/22 前回の更新から2週間以上が経過している。そして、8/23の早朝にコレを書いている。
つまり、自分はウイルスに打ち勝ったのだ。8/6以降も1週間程度は同じような日々の繰り返しで、熱は無いものの咳は出続け……横になると更に激しく咳が出てしまい、纏まった時間眠る事が出来ずに過ごしたけれど、8/13頃には漸く大分症状は収まり夜も睡眠導入剤を服用すれば(これは別の病気で長年服用している)5時間前後は持続して眠れるようになって、それと平行して食欲も戻りつつあり相変わらず油物や刺激物は避けていたけれど、野菜や魚だけではなく肉や米といった多少の固形物等も摂取出来るまでに回復した。
8/23現在、まだ咳は出るけれどこれに関しては元々の喘息持ちという事もあり、咳喘息という形で咳の症状だけ残ってしまっている状態にある。
咳を伴う病気の際はほぼ100%この咳喘息の症状が出るので、喘息用の吸入薬を吸ってなんとか凌いでいる。
これは、暫くすれば自然と症状は消えるので少し耐えれば、もう今回罹った病は完治という事になる。

様々な苦しい症状が収まった今、改めて3週間程前の事を思い返す。
どの瞬間を思い返しても、全てが地獄の様な場面になる。
それくらい、今回の病状は自分の人生の中でも断トツと言える程に辛いモノだった。
自分は本当に幼少期から身体が弱く、昼夜問わず頻繁に病院に運ばれる様な生活だったのだけれど、そんな中でもトップクラスの厳しさだった。

ただ、それを乗り越えられた今だからこそ「強くなれた」と言えるし、何より想像以上に大なり小なり自分の事を心配してくれる人が居る……という事を知ったからこそ「強くなれた」と言える。今は、それがとても嬉しい。

孤独の中でだったなら、もしかしたら本当に今これを書けていなかったかもしれない。

それ程に人の優しさや、インターネット上の無機質な温もりに励まされ……助けられた。

人間死ぬ時は結局一人、みたいな事を耳にするけれど……自分はそうは思わない、というか今回の件で思えなくなった。

例え不意に死んでしまう事があっても、その時の自分は確実に一人では無い。孤独などでは決して無い。

思い浮かべられる数だけの人達が目を閉じれば居て、携帯画面を覗けば繋がっている人達が居る。

死ぬ瞬間の感覚が不明瞭な交通事故等の不慮の死だとしても、コンマ1秒……瞬き一回……あっという間の、その"間"に大勢の人達が居るのだ。

以前は、頻繁では無かったけれど、それでも本当に【死にたい】と思ってしまう事が幾度となくあった。
今では毎日【生きたい】と思いながら過ごしている。

もしかしたらこれも一過性の感情で、また暫くしたら【死にたい】と思ってしまう事があるかもしれない。

しかし、少なくとも今はその思いは微塵も無い。
兎に角【生きたい】
死ぬくらいなら、絶対に生きたい。いや、生きてやる。

そういう気持ちだ。

そして自分に対してだけではなく、皆にも言いたい。

死ぬくらいなら、絶対に生きて欲しい。いや、生きてやれ。

そういう気持ちだ。

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