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写真だって校閲します

新年掲載の特集に向けての年末進行を乗り越えて多少気抜けしている入社12年目の河合です。

以前、レイアウト担当の整理部がつけた見出しをどう校閲しているかについてお話ししました。

今回は写真の校閲について書きたいと思います。

「え、写真をチェックする手段なんてあるの? 来たもの載せるだけでしょ?」と思うかもしれませんが、これがなかなか神経を使います。

写真とエトキ

紙・ウェブ問わず、新聞記事の写真には基本的に短い説明が添えられます。英語で言うならキャプションで、我々は普段「エトキ(絵解き)」と言っています。このエトキが誤っていないかが、写真校閲における主眼です。

たとえばこんな写真。

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読んでも読んでも終わらない大量の原稿に頭を抱える河井記者(右)

お行儀の悪い姿勢はともかく、エトキを読んでいきます。私は河じゃない、河だ……というのはよくある話ですが、ん? 

実はこの写真、もともとはこうでした。

トリミングして被写体を拡大する際に、隣の人が写らなくなってしまったのですね。整理部がスペースの都合などで手を入れることは多く、撮影時点でつけられたエトキとのズレには気を付けないといけません。

それと、「頭を抱える」はやや引っかかります。どちらかというと頰づえを突いているように見えます。こういう場合は聞いたほうがいいでしょう。「頰づえを突く」だと不本意にもさぼっている印象に変わってしまうので、「頭を抱える」の困った感じを残すならば、「うんざりした様子の」などと表現を工夫してもらうのが適切でしょうか。

運動記事では写真の人定が多く求められます。選手が入り乱れるサッカーやラグビーなどの競技ではエトキの「右・左」や「何人目」などを入念にチェック。選手の顔が小さかったり後ろ姿だったりで見分けがつかない場合でも、ユニフォームの背中や裾の番号、果ては相撲のまわしやグラブの色などでもなんとか判別できることがあります。選手に対する予備知識が少ない高校野球などでも、「あれ? この投手、左腕で投げてるけど記事本文で『右投げ』と書かれてるぞ?」と本文の方の誤りに気づく糸口になることもあります。

丁寧に見比べることが必要な例は他にもあります。それは文章の引用。記事本文に引用されている文章が写った写真が添えられていたら、ズレていないか一文字一文字突き合わせます。流麗な古文書の判読……は素人にはちょっと難しくとも、手紙の文面や横断幕、あるいは商品名でも転記ミスが見つかることはしばしばです。

写っちゃダメ!

気を付けなければならないのは、写ってはいけない情報。テレビ局の内幕を明かしたドキュメンタリー映画『さよならテレビ』の中で、放送された覆面座談会のボカしが一瞬外れて出席者の顔が映ってしまいスタッフ全員が顔面蒼白になる恐ろしい場面がありましたが、もちろん写真もこういった危険と無縁ではありません。

選挙報道では公正さを保つために、立候補者の演説写真などでは顔やタスキにボカしをかけて個人や政党を特定しないようにしています。これが外れていないか、写真に電話番号などの不必要な個人情報が写り込んでいないか、機密文書に提供者が特定されてしまうような文章が紛れ込んでいないかなどもよくよく見なければなりません。

また、もう10年近く昔のことですが、強風が吹く街角の写真で、後ろ姿の女性のワンピースのすそがまくれてガーターがちらっと写って載ってしまったことがありました。これはちょっと良くなかった、と翌日の紙面会議で反省の声が上がりました。

ヘンなおじさん⁉

最後にこんなエピソードを。新聞では中央省庁の幹部人事があると、新任者の経歴や顔写真がずらりと並びます。細かな字や写真がぎっしり詰め込まれた紙面をじっと見ていたある部員が、その中の顔写真の一つを指差し、こう口にしました。

「このおじさんの顔、ちょっとヘンじゃないですか? なんか気持ち悪い」

天下の大幹部に何という暴言を!と周囲はギョッとしましたが、聞けば顔が他の人より大きく見える、といいます。「んー? 単にちょっと顔の大きな人なんじゃないのか~?」と校閲デスクも半信半疑の表情で、通り掛かった担当の整理部員に相談します。彼もまた首をひねりながら「確認します」と去っていき、しばらくして戻ってきました。感心したように首を横に振ります。

「ご指摘通りでした。出稿元が比率を誤って引き伸ばして送信してしまったそうです。ありがとうございました」

つまりはこういうことです。顔が左右に引っ張られてしまったのでした

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(イメージです)

差し替えられたおじさんの顔写真は、幾分かすっきりしたものになりました。その校閲部員は大いに面目を施しました。

違和感を覚えた人は他にもいたかもしれません。ですが、そこから空振りの恥を恐れず伝えるところまでもっていける人は多くありません。その度胸がミスの防止につながりました。普段から物言いにあまり遠慮がないその部員ですが、躊躇ちゅうちょせず相手に嫌みなく聞くことができる気質は校閲記者にとって一種の美徳と言えるでしょう。

校閲には、誤りか否か、聞くか聞かぬかの微妙な判断を迫られることが幾度もあります。何でもかんでも問い合わせることが正解であるとも限りません。その際に良い結果を生むのは長年の経験だったり、あるいは時に経験さえ凌駕りょうがしてしまう素直さであったりします。

その中でも、写真のチェックは繊細さが試される分野です。紙面のアクセントとして目につきやすいよう配置されている一方で盲点となりやすく、校閲のしがいがあります。

#校閲 #校正 #写真 #新聞 #レイアウト

この記事を書いたのは
河合優一郎
2010年入社、名古屋本社校閲部。16年東京本社校閲部。20年名古屋本社校閲部。職場での年越し多数。名古屋ではそのまま熱田神宮へ初詣に自転車で向かったり、東京では終夜運転の千代田線で帰宅したりした経験も。