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数字表記で4苦8苦

2023年9月に、中日新聞は数字の基礎表記を漢数字から洋数字に改めました。そこで今回は数字表記についてのお話です。


洋か漢か

9州に進出するしかない。
勝算は5分5分すら遠い。しかし100%不可能でないなら、3代目社長として、1か8か挑む価値はある。失敗してもあの4畳半の生活に戻るだけだ。
長い1日になるな。腕を回すと、50肩がきしんだ。12月の風が、180センチある彼の背に吹き付けた。1998年のことであった。

一読、なんだこりゃと思うところがありますね。「九州」「一か八か」を洋数字で書く人はいません。上の例文を漢数字に直してみましょう。

州に進出するしかない。
勝算は分すら遠い。しかし%不可能でないなら、代目社長として、か挑む価値はある。失敗してもあの畳半の生活に戻るだけだ。
長い日になるな。腕を回すと、五十肩がきしんだ。十二月の風が、百八十センチある彼の高い背に吹き付けた。千九百九十八年のことであった。

…千九百九十八年? なじみのない表記です。一九九八年ならしっくり来ますね。このように漢数字表記はさらに単位語の有無に分かれます。中日新聞ではかつて、身長は「一八〇センチ」、「100%不可能」は「百パーセント不可能」と表記していました。

一方で、見出しやエトキ(キャプション)、そして横組みの場合や運動面はもともと基本洋数字でした。その切り替えの際に判断基準となる大原則は「一つ、二つと数えられるものは洋数字」

たとえば「ざるそば1人前」は「2人前」もあり得る以上洋数字。「やっと一人前になれた」のように「十分な力を付けた人」の意味合いの場合は漢数字と、同じ字でも解釈次第で割れる例もあります。なお「1つ、2つ」には今後もしませんが、どれが良い悪いという話でもありません。

漢数字ベースでも原発の「1号機」、選挙区の「東京1区」などのように洋数字を用いていたものも多く、新人時代は基準を細かく定めた小冊子を何度もめくって頭に入れるのがひとつの関門でした。

先の「一人前」のような使い分けは洋数字に切り替わっても漢数字維持となるわけで、これからも細かな悩みから解放されることはないでしょう。先の例文では「長い1日」「4畳半」あたりが判断に迷うところですが、我々中日新聞社が準拠する共同通信社の『記者ハンドブック』では前者は漢数字、後者を洋数字と見なしています。「四畳半フォーク」なんて言葉もありますし、漢数字でいいような気もしますが…。

洋数字表記を想定して作られている『記者ハンドブック』を補完する形で、漢数字基準のために作られた、いわば特注の冊子。洋・漢数字の区分や単位の有無を独自に示している。3段組み、全21ページ。

江戸時代の数学書では「十〇」「一千〇〇二」なんて表記もあった、というお話は「校閲記者のほぉ~ワード」でかつて取り上げました。

今となっては広島県の「廿日市(はつかいち)市」や江戸中期の人形浄瑠璃『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』といった固有名詞にのみ残った感もある「廿(にじゅう)」や、「(さんじゅう)」といった漢数字もかつては広く使われていました。

決めるのも大変だ

このように漢数字の書き方はさまざまで、たとえば例文だと「一二月」「五〇肩」という表記もあり得るでしょう。先になじみがないと書いた西暦「千九百九十八」年のような表記も今でこそ見ませんが、近代の文献ではざらにあります。

意識しないと意外と抵抗なく読み進んでしまう数字の表記法。全国五大紙(読売・朝日・毎日・日経・産経。ちなみにこの「大紙」も迷うところ)は全て洋数字がベースで、漢数字の新聞社は現在ごくわずかとなりました。

最近では福島民報が2022年9月に「新聞制作システムの更新に伴い」洋数字に変更。中部圏では伊勢新聞が、自社記事は漢数字、通信社の配信記事は洋数字で併存させるという形式を採っています。

翻って、書籍や雑誌の分野はどうでしょう。講談社校閲局による『日本語の正しい表記と用語の辞典』(第三版)「数字の書き方」を読むと、縦書きの数字の使用法を「漢数字・単位語あり」「漢数字・単位語なし」「算用数字」の三つに大別した上で、表記例をそれぞれ多々示しています。そしてこうも書いています。

ただし、いずれの書き方に従っても、そのルールに必ずしも縛られるものではありません。企画の性格や編集上の狙いによっては他の書き方を併用することもできます。担当者の判断で柔軟に対処してください。

他にも「文脈のなかで吟味し」「協議のうえ」「担当者の判断と運用にゆだね」といった但し書き続出。編集者や校閲のげんなり顔が目に浮かぶようです。分量も実に70ページ以上が割かれており、実例集には上記3パターンの方針次第で変わり得る表記がズラリと並んでいます。皆さまもぜひ、本棚の本や雑誌を手に取って確認してみてください。

新聞校閲としては、ここにも目が留まりました。

文芸書の場合は、「表記も表現のひとつ」と考え、数字の書き方は原則として原稿通りとします。その場合でも、筆者の表現意図を損なわない範囲で、協議のうえ最低限の整理をすることもあります。

弊紙夕刊にも「月刊掌編小説」というコーナーがありますが、この欄の数字表記は作者任せ。外部筆者による時評などの寄稿は基本的には本紙の基準に沿った表記にした上で校閲もチェックしますが、筆者の意向を尊重することもあります。

ちなみに、7月発表の第169回芥川賞・直木賞にノミネートされた小説全10作を確認してみたところ、9作が基本的に「漢数字・単位語あり」で表記。基礎表記が唯一洋数字だったのが、芥川賞に輝いたハンチバック(市川沙央)でした。

さて。あまり細かく注意しだすと際限がないこの問題、頭に置いておくべきは以下の2点ではないでしょうか。

ひとつ。表記の統一性を著しく欠くことで読者の理解の妨げとならないこと。もうひとつ。杓子定規に陥って筆者を疲弊させることなく、その表現意図を十全に発揮させること。

数え上げないもの

「第二次世界大戦」。この用語、実は先の全国五大紙で表記が割れています。洋数字を用いるのが読売・朝日・日経。そして漢数字が、毎日・産経。

「一つ、二つと数えられるものは洋数字」という原則に従えば、「第一次世界大戦」がある以上は洋数字と考えるのが道理でしょう。『記者ハンドブック』も洋数字を採っています。ではなぜ漢数字なのか。毎日新聞社校閲グループの平山泉さんは、雑誌のインタビューにこう答えています。

「(注・1996年の洋数字化の)当初は洋数字と決めていました。けれど、第一次、第二次世界大戦は戦争のレベルとして別格で、3次、4次と繰り返されることは決してあってはならない、という強い意見が社内から出て、漢数字に変更したんです。言葉にはそうした思い入れも反映されるんだ、と実感しました。ちなみに、第1次中東戦争などは洋数字で書きます」

雑誌「クロワッサン」(2018年6月25日号)

「二」で終わり。「三」は、無い。「数字を含む語の中身が具体的にはっきりしていて、多くの人がそれを認識しているもの」として、『毎日新聞用語集』において「第二次世界大戦」は漢数字の項に置かれています。産経新聞の『産経ハンドブック』でも、世界大戦は例外的に漢数字と特記されています。

たとえば今後、麗しい夫婦仲を描いた記事で「二人」だけが漢数字になっていても、私はおそらく特別な意図を酌んで「お幸せに」と見送ることでしょう。基準を細かく設けて表記を統一することは読者のために大事ですが、そのことで基準からはみ出るほどの強い思いが犠牲になってはなりません。多くがこまごまとした単純作業である数字表記のすり合わせですが、校閲は時にはそんなことも考えつつ文章を読んでいます。