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鰻巣(後編)【ショートショート】

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お奉行が問う。
お前はお梅婆の霊を下して喋らせたか。

「はい、確かにお梅さんの霊を口寄せしました。」

そう答えた上田屋の娘、
涼は目の前の脇差に手をかけた。

鯉口が涼の言葉の真偽を暴く。
鳴れば真、鳴らねば嘘。

さぁどちらかと場の一同見守る中、
涼がその細腕で力一杯抜き放った。

するとどうだ、鯉口も刃も全く鳴らない。
チン、ともジャッ、とも。

「えっ?」
「あれっ」

声を上げたのは男達である。
控えの侍達、なんとお奉行様も。
そして涼の隣の保吉も声を上げていた。

涼は苦虫を噛み潰したような顔をしているかと思えば、
決してそんな事は無く極めて能面染みた顔をしていた。
刀を鞘に戻した涼は丁寧に膝前に置き、
頭を下げ、言った。

「お奉行様、御覧の通りで御座います。
 嘘を吐いていたのは、私です。」
「いやっ、いや、いや」

焦っているのか、お奉行が足を前にせり出した。
お奉行は保吉が嘘を吐いていると思っていたのだ。
それで涼の口寄せと食い違っているのだと。
しかし焦ったのはお奉行だけではなかった。
それに負けじと保吉も膝立ちになっていた。

「涼、もう一度抜いてみい。万が一と言う事もある」

お奉行の問いかけにも涼の能面は崩れない。

「いえ二度抜く必要はありません。
 先程、女だてらに力の限り抜き放ちました。
 なのに音一つならなかったのです。
 これは真に妖刀の類で御座いましょう。
 嘘を吐いたのは私です。」

涼の口がこう続ける。

あの日、お梅の霊は口寄せを拒んだ。
それ自体は決して珍しい事ではない。
霊の側が拒めば口寄せは成り立たない。

しかし霊が拒否した事により、
涼の心の中でいたずら心が芽生えた。
父の保吉は涼の子供の頃より激務であり、
なかなか構って貰う事も無かった。
それが上田洗いが売れるようになり、
夜までも忙しく客の相手をするようになってしまった。
商人としては嬉しい事だが子供としては歯がゆい限り。
それで、

「上田洗いが嘘だと言えば、もっと、
 父の仕事が減れば、もっと……。
 家族として構って貰えるのではないかと……。
 そんな詰まらない事から、嘘を吐いたので御座います」

全てを聞いたお奉行が改めて涼に問う。

「それらの事、間違いないか。」
「はい、間違い御座いません。」
「あい判った、では上田涼。
 その方、神懸かり的な力を振りかざし、
 自らの欲の為によもや自分の父親を追い込み、
 更には地域の商いを支える大問屋を危機に晒した。
 他の民衆も大いに混乱した事であろう。
 理由はどうあれ事件は非常に悪質である。
 今後もその神懸かりにかこつけて、
 何かをしでかさない保証も無い。
 よって平安の為、貴様を島流しの刑に処す」

これにて捌きは滞りなく終いに。
そうお奉行が締めくくろうとした、その時。

「お奉行様!お待ち下さい。」
「なんじゃ上田屋」

保吉が更に血相を変えて一歩、白洲を踏んでいた。

「お待ち下さいお奉行様、
 島流しと言うのは、あんまりでは御座いませんか」
「上田保吉、貴様はわしの捌きに不服だと申すか」
「いえ、滅相もございません。
 しかし、しかしです、島流しとは、どうかと」
「そうだな。即刻島流しと言うのも困るだろう。
 涼には暫くの間猶予を与える。
 その間に、十分な量の水を清めるが良い。
 上田屋、貴様はその水でこの先もまだ商いを」
「そう言う事では御座いません!」
「なんじゃ五月蠅いのう」
「嘘を吐いたのはわしの方で御座います、
 水で足を洗うぐらいで罪が消える訳が御座いませぬ!」
「何だと?」

保吉はそう言うや否や涼のもとに駆け寄り、
その前に丁寧に置かれた脇差を手に取った。

「上田洗いは、人の罪を無くすっ」

そう叫ぶと保吉は刀を抜いた。
妖刀は大したものである。
大人の男が力一杯抜いたと言うのに、
「痛い」と悲鳴の一つも上げもせず、
ただ鰻が巣からヌルリと抜け出るように、
音も無く静かにその身を現した。

「この通り、水で足を洗えば罪が消えるなど、
 全くの嘘、真っ赤な嘘で御座います!」

娘も嘘、父も嘘。
二つの嘘が場の人間の頭の中を搔き乱す。
だがお奉行の頭が少しだけ冴える。

「おい、加藤」
「は、はい」
「この刀、真に言った通りの妖刀か?
 ただ音もせず抜けるだけの代物ではないのか」
「い、いえそんな事は」
「ははは、お奉行、それはあんまりでしょうよ」

うろたえる加藤の更に奥、
控えの侍たちの更に端、
古ぼけたような老人が立ち上がる。

「嘘では鳴かず、真には鳴く。
 先程お奉行様も確かめた事でしょうに」
「と、時久どのっ」
「加藤殿すまんのう、じれったくてな」

やせ細った老体が図々しく、
どかどかと床を鳴らしながら白洲の所へと歩く。
お奉行も面食らって何も言えずにただ見ているだけ。

「涼とやら、もう一度抜いてみるが良い。
 しかしこう言うのだ。
 上田洗いは、嘘だと知っていた、と」

保吉の腕から鰻巣をぐいとふん掴み、
それをぐいと涼の前に押し付ける。

「こちらも刀匠としての意地があるでな。
 こんな下らない事でケチを付けられては面白くない。
 天津時久の名がすたる。
 ほれ、今一度抜け、小娘。
 鯉口が鳴ればお主の話は真、
 鳴らねば嘘。良いな
 いや、待て。」

一度は刀を差しだした細腕が、刀を引き寄せる。

「かかあの屁は、真に臭い。」

そう言って時久の両腕がゆっくりと力むと、
刀は鯉口を「かち」と鳴らして刀身を出した。

「ほうら、良い子だ。
 本当の事を言えば鳴るのよこいつは。
 鯉口が鳴ればお主の話は真、鳴らねば嘘。
 さぁ、抜け!
 上田洗いは嘘だと知っていたと言って、抜け!」

妖刀が人の間を行ったり来たり。
再び刀を押し付けられた涼はその両手をかけたが、
ただ握り締めるだけで、下唇を噛みしめた。

「どうか御勘弁を」
「ならぬ、抜け」
「出来ませぬ」
「抜け小娘、わしの作った刀にケチをつけるかっ」

いよいよ時久は目が血走ろうとする寸前。
今にも無理くり涼に抜かせるかという所、
親の声が、待ったをかけた。

「抜くまでも御座いません、
 上田洗いは、真に嘘で御座います」

空は日が傾いてきた。
空がじりじりと赤くなる。
まるで興奮した時久の頬を更に染めるように、
地面を埋める白洲にも赤が降りてきた。

覚悟を決めたものは、静けさを纏う。
幾分声が落ち着いた保吉が、穏やかに語り始めた。

「ある日、私が、涼にこう持ち掛けました。
 お前の神懸かりの力は大したものだと。
 近くの連中もお前の口寄せを心から信じてる。
 例えば、お前が水を清めて神水として売り出しても、
 誰も疑わずにそれを買うだろう、
 それが自分の罪を無くして極楽に行けると言うなら、
 誰もがこぞって買うだろう、と。
 涼は反対しましたが私は売り出しました。売れます。
 何故なら売ったのは只の水で御座いますから。
 娘が清める事も無く、ただの水を売ったのです。
 涼には黙っていろと私が言いました。
 けれど、これも心の綺麗な優しい娘です。
 実の親が悪事に手を染めるのを見てられなかったのでしょう。
 それでこの度の顛末に、という訳で御座います」

どうか、島流しは私めに。
そう言った保吉の頭は深く垂れた。

「自らの罪で我が子を死地に送る親がどこにおりましょうや。
 涼がどう思っているにしろ、紛れも無い私の一人娘。
 どんなに大きくなろうとも、目に入れても構わない愛娘です。
 欲に目がくらんだ私が全て悪いので御座います。
 今なら刀を抜けば鯉口が鳴る事でしょう。
 では、どうか刀を」

保吉はそう言って時久に向かって顔を上げたが、
茜に染まった時久の顔も落ち着いたもの。

「刀を抜くまでも無い。
 娘を見れば判る。」

そう言われた保吉が涼を見ると、
娘の目からは静かに涙が流れていた。

嬉しかったのであろう。
確かに保吉はやり手の商売人であった。
他の親に比べて涼にかかる手も少なかったに違いない。

しかしそれでも心の内は他の親と変わらぬものだと判り、
それを知った娘の心中は、いかに。

全てを見届けたお奉行は沙汰を下した。

上田屋大旦那、上田保吉。
偽りの文句で売り出した『上田洗い』、
それを買った哀れな領民達に、二倍の値段を返す事。
保吉はその後に清廉潔白な商いをする事とし、
娘の涼は口寄せの力をもって領民に尽くす事。
二人ともこの世の平穏の為に、
今後心身を尽くして取り組むように。

これにて一件落着、
という事だった。

それから七日も経たぬうち。
加藤が再び時久の工房を訪れた。

「時久殿、天津時久どの!」
「なんじゃまたか、相変わらず声が五月蠅い」
「おお、てっきり留守かと」
「留守と思って出す声か」
「今回は茶を出して頂いても宜しいが」
「ふん、出がらしすらありゃせんわ。
 それで、何の用じゃ今回は。
 お上の裁きは無事に済んだであろうに。
 それとも妖刀打ちとして捕えに来たのか」

あの日の様に、
また奥へと戻ろうとする時久をそのままに、
加藤が敷居も跨がず仁王立ち。

「上田屋が焼け申した」
「   なに?」
「昨日の夜の事で。
 焼けた後からは幾人かの焼け焦げた死体が。
 そのうち、折り重なるように焼けてた身体が二つ。
 恐らく、保吉と涼のものと見て、今調べておりまする。
 他所で二人が無事な姿を見てないので、
 間違いないかと。」

足音が鳴りやんだ。
地面を見る時久の背中が静かに影を作り、
ああ、その顔がどの情に覆われているかも、
加藤の場所からは判る筈も無い。

「人よ。」
「   は?」
「所詮は人よ。
 他の誰かが許しても、
 他の誰かが許さない。
 騙された奴とそうでない奴では気持ちが違う。
 やり手の問屋ならば恨む輩もいるだろうて。
 お上が裁こうが、それが他人を逆撫でもする。
 所詮は人よ。」
「………。」
「それで、放火の下手人は見つかったのか?」
「は?いや、まだ……」
「見つからんだろうて。何度も見てきた」
「はぁ……何度も?」
「ん?そんな事を言ったか?」
「いえ……」
「ふん、結局人とはそんなものよ。
 加藤殿、悪いがお帰り願おう。
 わしはこれから出る。
 酒が飲みたい。」

しからば失礼。
そう言った時久が加藤の横を通り過ぎて行った。

時久の言う通り、放火の下手人は見つからなかった。
また後日加藤が工房を訪れると時久の姿は無かった。
近所の者に尋ねると、ふいとどこかに消えたと言う。
話を聞けば加藤が尋ねた日の後だとか。

残された工房の中をくまなく探したが、
刀は一本も残されていなかったという。

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