鰻巣(中編)【ショートショート】
空は快晴、白洲は光る。
お奉行の前に人二人、
方や男、方や女。
二人は親子の縁(えにし)だが、
この度、罪を問い合う間柄となった。
「上田屋大旦那、上田保吉。
並びにその娘、涼(りょう)。
表を上げい」
お奉行に名を呼ばれた両名、
下げていた顔をゆっくりあげた。
娘も父も、顔付きは極めて落ち着いたもの。
まるで寝る前の様な静けさである。
「上田涼。
お前は年で十を数える頃に不思議な力を付けたそうだな。
死んだ者の代わりとして喋る事が出来ると聞く。
それからお前は多くの人から頼まれ、
自分に死人が乗り移った体でこれまで何度も話をした。
この事に間違いは無いか。」
「はい、御座いません。」
「ちなみに、どうやって死者を乗り移らせる?」
「相手が、死んだ者からやってくるのです」
「お前の身体にか」
「はい。ですので頼まれても口寄せ出来ない事もありました」
「ふむ、自由自在ではないのだな」
「無理で御座います、偉そうな事は出来ません。
私は所詮、口寄せの器に過ぎないのです」
「なるほど。
続いて上田保吉。」
「はい」
「保吉、お前は横に座るお前の娘、
涼が神の加護を受けたと言って、
娘に清めさせたという水を売ったそうだな。」
「はい、間違い御座いません」
「その水で足を洗えばこれまでの罪が全て消える、
そう謳って水を大勢に売った、これも間違いのない事だな」
「はい、仰る通りで御座います。」
「大層儲けたそうだが、わしの耳には入らなかった。
どういう経路で売ったのだ」
「うちでは塩を扱ってるので、大勢が毎日やってきます。
塩のついでに水の事を教えたのです。」
「それで皆が塩と一緒に水を買うのか」
「いえいえ、皆、夜になって改めて店に来るのです。
下手をすれば、店を閉めた後に、戸を叩きます。
ごめんくだせぇ、昼間の水を売ってくれないか、と」
「人目を忍んでという事か」
「やはり恥ずかしいのでしょうな。
ただ水で足を洗うだけで罪が消えるなんて、と。
お天道様の下じゃそう笑えても、
とっぷり日が暮れれば、ちょっと試してみようかな、なんて、
いや、心の中ではもっと必死に思った事でしょうな、
しかし人は誰もが自分は清廉潔白だと言いたいものです、
大なり小なり悪事を働いたと言いたい輩がどこにおりましょう。
水を買うのは自分が罪人だと認めるのも同じ事。
人目を忍んで買いに来るのは、当然の事だと存じます」
言葉に自信が漲っていた。
上田屋大旦那、保吉。
さぁどうだと言わんばかりの笑みを浮かべれば、
言葉の終わりにゆっくりと頭を下げた。
「なるほど、確かに筋が通っている。
しかし涼、お前は保吉のこの商売を脅かす事をやったな。
もうかれこれ一週間ほど前の事か。
とある女の頼みで最近死んだ老婆を口寄せし、
それがよもや地獄に居る、と言ったそうではないか。」
「はい、その通りで御座います」
「しかもその老婆はお前の父が売っている水、
『上田洗い』で足を洗っていた。
足を洗い、罪が許されたはずなのに、
よもや地獄にいると言ったのでその女が驚いて騒ぎになった」
「はい」
「何故、地獄に居ると言った。」
「私が言ったのでは御座いません。
お梅さん、死んだ件の婆様が、そう言ったのです」
裁きは粛々と行われる。
お奉行の声も堂々としたものだった。
しかしそのお奉行の横に控える面々が少々おかしい。
見届け人として横の並びに座る侍の中に加藤、
そして端っこに場違いな老人が一人。
髪を伸び散らかして服も着崩れ、
場違いな風体の老いた男が他と同じく、
静かに裁きの様子を眺めていた。
「あくまで、口寄せは真であると」
「はい、お奉行様」
「となると、上田屋、お前の売った水は嘘という事になるが」
「いや、それは違いますお奉行様。
娘の口寄せは本当で御座います、神がかりの物です。
しかし、口寄せしたお梅婆が嘘を吐いたのです。
生前よくお梅はうちの商売を妬んでおりました、
上様のお陰で一帯の塩の捌きは上田屋しか扱っておりません、
それを独り占めにして懐を肥やしてと、
そう恨めしそうに見られたのも一度や二度では無いのです」
「なるほど、娘の口寄せは真であるが、
口寄せで降りた婆様が嘘を吐いたと」
「その通りで御座います!」
「涼よ、お主の言い分はどうだ」
「……お梅さんは既に死んでおります。
閻魔様の捌きも受けたでしょう。
もし極楽に居るならば嘘は吐くでしょうか。
極楽で罪を犯したとあれば、
相応しくないとして地獄に送られるでしょう。
地獄に居るからこそ、地獄に居ると言ったのだと思います」
涼の言う事は至極筋が通っている。
極楽にいるからとて、もう悪さをして良いという事ではない。
極楽に居るからこそ悪さは咎められる筈であるという、
涼のその言葉はお奉行を唸らせた。
「うーむ、確かに」
「いや、お奉行、話しを聞いて下され」
「なんじゃ上田屋」
「お梅婆が嘘を吐いたので御座います、違いありません。
何故なら上田洗いを売り始めてもう三か月が経っております。
その間娘は何も言わずに水を清め続けました。
娘はこれまで多くの口寄せをしてきたのです、
それは他の町の連中に聞いても間違いのない事です。
聞いて下され、娘は神に選ばれた女、
その娘に神は更なる加護を与えられ、
我々はそれに従っただけなのです。
お梅婆の言葉だけが辻褄が合っていないのです」
それを聞いて思わず腕組みをするお奉行。
「むぅ……話を聞いて以下の事が考えられる。
上田保吉が嘘を吐いている。
上田涼が嘘を吐いている。
親子共々嘘を吐いている。
そしてその、お梅とかいう婆様の霊が嘘を吐いた、か。
よし、アレを持て」
いよいよか、待ってました。
そう言わんばかりの顔付きで加藤が横から歩み寄る。
お奉行の前に出されたのは一振りの脇差。
「この脇差は不思議な刀でな、
本当の事を言うなら抜刀の際に鯉口が鳴るが、
嘘を言えばどうやっても鯉口が鳴らない。
どころか、刃が鞘を滑る音すらならない。」
「それはもう鰻の様に」
「そう鰻の……おい加藤、もう下がって良い」
「はっ」
お奉行の人指し指が保吉を捉えた。
「保吉、言え。
自分が売った水は間違いなく罪を無くすものだったと」
「いや、いやいやお奉行様、それは流石に、どうかと」
保吉は大げさとも言える様な笑い声を上げた。
「嘘を吐くと音が鳴らない、など、
そんな鯉口が鳴るも鳴らないも、抜き方一つでしょうに。
私がそろっと抜いて音が鳴らなければ、
それが嘘になるって言うんですか。
そりゃああんまりだ!」
「よし、見せてやろう。よく見ておけ。
今朝の飯は美味かった。」
良く通る声であった。
その場の誰もがお奉行のその声を聞いただろう。
お奉行は両手を前に差し出し脇差を構えると、
ゆっくりゆっくりと力を加えた。
すると「カチ」と確かに音を鳴らしながら脇差が抜けるではないか。
「皆、確かに今の音を聞いたな。
ではもう一度。今度は嘘を言う。
かかあの屁は良い匂い」
はぁ?という者もいれば、笑いをこらえる者も居る。
それらに構うものかと言わんばかりに、
「はっ」と声をかけながらお奉行が力の限りに刀を抜いた。
すると、まるでぬるりと、
鰻が腕の中を滑ったようではないか。
刀身はなんとも激しく抜かれた筈なのに、
うんともすんとも言わずにその身を曝け出した。
「おう、上田屋、判ったであろう。
この刀は確かに嘘を見破る不思議な業物なのよ。
その方、いざ抜いて見せよ。」
「いや暫く、いま暫く」
なんとまぁ、
それまで落ち着いていた顔はどこへやった。
保吉は顔を崩して声を張り上げた。
「ここに座るは父と娘、
それを父から試すと言うのは、少し筋が違いまする。
この場はまず子から試すべきところ、
まずはお涼から抜かせてみるべきでしょう」
「上田屋、その次はお前が抜くのに違いはないぞ」
「ええ、ええ、それはもう」
それはもう、なんなのだろうか。
当の保吉は気付かないだろうが、
辺りの役人達は一様に眉を上に跳ねた。
瓦の上の鴉も首をかしげる。
「では涼よ、まずお前から抜いてみろ。
言うのだ、自分は口寄せで死者の器となり、
あの日に間違いなくお梅婆の霊を降らせたとな」
脇差が娘の前に置かれる。
保吉はただ前を向いて手を膝の上に、
涼もそんな父の方をチラとも伺わない。
ただ横で控える加藤の喉が、
一つ唾(つば)を飲み込む音だけが響いた。
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