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鰻巣(前編)【ショートショート】

とあるお奉行が頭を悩ませていた。
何でも近々『裁き』を一つ執り行う手筈だが、
その裁く相手が少々厄介ときたもんだ。

そこで更なる厄介事を押し付けられたのが加藤。

加藤はお奉行の部下で、
もう少しで昇格の口利きをしてやると言われている。
水と仕事は下に流れるとはよく言ったもの、
下手をやれば昇格の話は無しだぞ、
とは言われてないが、
言わずもがな察するのが大人の世界。

口元がへの字に曲がる加藤、
いそいそと新調したわらじを履いて向かった先が、
とある刀鍛冶の工房だった。

工房の主の名は、天津時久(ときひさ)。

天下泰平が成ったこの御時世、
この一帯を治めるお殿様も大名崩れの様なもので、
近隣は腰に刀を差す人間の数も決して多い方ではない。
こんな所で刀を打つのを商いにするのは、
余程飢えて死にたい馬鹿か。
そう謳われるこの土地の端っこに、
ある日ひょっこり住み着いたのが、
かの天津時久と名乗る男。

この天津時久、別に看板を掲げるでも無し、
自ら刀を売りに行くでも無し。
ただ朝は憐れんで飯を分けてくれる近所で喰らい、
昼日中(ひるひなか)は何かをカンカン叩いている。
見た目ももう若くなく、随分と細い腕だと言う。

だが天津時久とは、
『妖刀打ち』で知れた名である。

加藤が草履で地面を擦(こす)り、
その音が工房の中まで聞こえたかどうか。
工房の周りに囲いなんてものは無く、
ただ一つ外に置かれてある水溜の瓶(かめ)の足元は、
抜かれぬ雑草がびっしりと生えていた。

「もうしもうし、
 天津、天津時久どの!」

加藤が大声で工房の奥にそう呼びかけると、
伸びた髪の毛が肩で跳ね返っている男が現れた。

「天津、時久殿か。」
「いかにも、それがしが天津時久で」
「あの、天津時久殿か」
「『あの』とは、どの。
 申し訳ないが他の天津時久には興味がない」
「妖刀を打つ天津時久殿で、間違いないだろうか」
「ふっ、妖刀、でございますか?」

笑いながら、くきっ、と首を右に少し折り、
そのまま何も言わずに老人は工房の奥へと歩き出してしまった。

「いや、待て待て、待ってくれ!」
「はは、お侍様、御冗談を。
 こんな老いぼれをつかまえて、妖刀打ちなどと。」
「わしはお奉行の命を受けておってな、
 一つ拵えて欲しい刀があるんじゃ」
「刀なぞ、暫く打ってもおりませぬ」
「天津時久、天津時久と言えば!」

行かせぬ、と加藤が時久の前に回り込んだ。

「鬼も裸足で逃げ出す恐ろしい妖刀を、
 何本もこの世に生み出した稀代の刀匠と聞き及ぶ!
 ある刀は付けた傷から血が止まらず、
 ある刀は斬った相手を石にする!」
「そんな噂が?恐ろしい男ですなそいつは。
 今頃どこかの役所に捕まって縛り首でしょうに」
「噂では全国各所を転々とし現れては消え、現れては消え!」
「せわしない人生ですなそいつは」
「その歳ももう老齢と聞く!」
「ほう、ならばもう生きてはおりますまい」
「天津時久殿!どうか話だけでも聞いて下され!」

加藤の額が地面に着く程に下がった。
目の前に居るのはたったの老人一人。
流石にのらりくらりしていた時久も、

「お侍様、そんなに軽々頭を下げるものではない」

と諦めたような、呆れたような。
そんな声で段差の縁(ふち)に腰を下ろすと、

「某が妖刀を打つ天津時久かどうかは別にして、
 話を聞くのは面白そうですな。
 妖刀打ちを探しておられるなど、
 余程の事がおありでしょう。」

と、落ち着いた様子で話した。
そう言われた加藤がしめたとばかりに顔をあげると、
「いや、実はな」と話し始めた。

天津時久が住まう城下の南とは反対に、
北の方では『上田洗い』というのが流行っていた。

上田屋というのは城下の問屋の中でも一番のやり手で、
その大旦那の上田保吉がこんな商売を始めたのである。

上田屋で売る水で足を洗えば、
これまでの罪はさっぱり消える。
地獄の閻魔様の前に立っても何一つお咎め無し。
苦しみの無い極楽行きは当たり前。

その売り文句で捌かれていたのが、
『上田洗い』という水。

「お侍様、まさかその水が売れていたって言うんですかい」
「そのまさかよ」
「ははっ、馬鹿な。
 足洗うだけで罪が消えるなら地獄の鬼は用無しでしょう」
「いや、上田屋の娘がまた凄い女でな。
 何でも死んだ人間を降ろして話が出来る、
 口寄せ、というのか?
 それで当人同士しか知らぬ事まですらすら話して、
 神降りの女と言われておるのよ。」
「それと水がどういう関係が」
「その神降りの女が更に加護を受けたと言ってな、
 その手で清めた水で誰かが足を洗えば罪が消えると!」
「なるほど、それが上田洗いですかい。
 北ではそんな面白い事が起こっていたとは」
「いやいや話はここからでな」

前にいざる加藤がわらじで地面をじゃりっと鳴らす。

「その神降りの女が、口寄せをしたのよ。
 それが上田洗いで足を洗って死んだ老婆の魂でな。」
「まさか、それで地獄に居るとか言ったんですか」
「そう、それよ、お主何故判った?
 もう北の連中はそれで大騒ぎ、
 上田屋に連日金を返せの大騒動。
 しかし上田保吉は自分の娘が嘘を吐いていると言って、」
「逆に娘は父親が嘘の商売をしていると言っているか」
「そうなんじゃよ!」
「はぁ、面倒臭そうな事だ」
「それで我がお奉行がこの話の裁きをする事になってな、
 どちらが嘘を吐いているかを見破らねばならん。
 そこで天津時久殿、一つお願いじゃ」
「嘘を見破る妖刀を作れと?」
「その通り、話しが早い!」

もう溜まらないと言わんばかりに、
時久の鼻から、ふんっ、と一つ鼻息が零れる。

「そんなの、もう両方処罰すれば良いでしょうに」
「そんな馬鹿のするようなことを!」
「馬鹿な事も無い、口寄せに罪を洗う水?
 両方嘘臭くて仕方がない、この際両方処断するのが」
「いやいや、それでは駄目だ、
 どちらかに本当に神の力だ宿っていたらどうする!?」

ははぁん、なるほど。
時久が悟る、手で顎を撫でる。

このお侍、いや、その上のお奉行もだが、
万が一に裁きをしくじり、
誤って正しい方を罰した時がどうなるかを、恐れているな。
それこそ神か仏から罰が当たるのではないかと。

「お侍」
「な、なんじゃ」
「なるほど腹は読めもうした。
 妖刀打ちの天津時久になら、
 厄介を全て押し付けて構わないと思ってらっしゃる」
「い、いやそんな事は」
「口寄せも足洗いも神がかり。
 ならば妖刀などという同じく神がかりなものをぶつけて、
 自分達はすっかり知らんふりをしようと」
「まさか!そんな事は思っておらぬ。
 ただ本当にどちらが嘘なのか見破りたいだけで」
「なるほど?ならば承知した」

奥に入りガサゴソと音とを立てたかと思えば、
天津時久は加藤の前に戻って来て刀を一本、差し出した。

「脇差か?」
「昔、戯れに作った一振りで御座います。」
「どんな刀なんじゃ?」
「抜いてみて下され。
 なぁに大丈夫、抜いていきなり噛みつきなどしませんで」

そう言われて加藤がそろりそろりと抜いてみると、
かち、と音を立てて刀身が鞘から現れた。

「なにも、ただの脇差に見えるが。」
「では一つ、何か嘘を吐いて下され」
「は?」
「嘘を」
「……かかあの屁は良い匂い」
「ふっ」
「刀を戻してまた抜けばよいか?」
「ええ」

言われるがまま加藤が刀を鞘に抜き差しすると、
今度は音もなく刀身が鞘から抜けた。

「……で?」
「もう一度抜いてみて下され。
 鯉口がカチンと必ず鳴くほど、激しく。」

言われた加藤がもう一度、
今度は腕の筋を隆々に締めて激しく抜き放った。

だがどうだ、鯉口はおろか、
鞘を滑った刃もなにも鳴らないではないか。
鞘から出た鈍く光る刀身を見て、
時久がおどけたように言った。

「おや、これは不思議な刀ですなぁ。
 そんなに激しく抜いたというのに、
 カチともスンとも言わぬとは。
 まるで鰻の如くぬるりと抜けて、
 しかもまさか、抜く者が嘘を吐いた時だけ、
 そうなるのやも知れませぬなぁ、いやぁ不思議な刀よ」
「   お主、本当に」
「それを妖刀と呼ぶかは存じませぬが、
 もし妖刀と知って打ったのならば、
 打ち手はこう名付けたでしょうなぁ、
 まぁ差し詰め、」

鰻巣(うなぎのす)。

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