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恋と鴉(後編)【ショートショート】

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日本には確か『三つ子の魂百まで』と言う言葉がある。
幼い頃の性格は老いても尚変わらない、
その『幼い頃』の期限が三つ子、
即ち三歳までだと言う。

しかし変わらないのはもしかして、
性格だけでは無いのでは。

人間の行動には理由がある。
腹が減ったら食べる、眠くなったら寝る。
人間変わらないのは性格だけではない、
そう思うに至った思考にも勿論理由がある訳で、
その犯人が今俺の手元にどっしりと構えている。
柴田から送られてきた紙の束だ。

皆様の御家庭ではどうか知らないが、
我が賃貸マンションの郵便桶は清楚だ。
郵便物を受け取る投函口は乙女なおちょぼぐちで、
はしたなく大口を開くような真似はしない。
だからその中で柴田の封筒を見つけた時は吃驚した。
投函口の幅スレスレを狙ったような厚さの封筒は、
うちの清楚な郵便桶が飲み込むのにやや無理があったのだろう、
封筒をよく見ると各所に金物で擦った様な跡があり、
きっと配達員が強引に捻じ込んだに違いない。
我が家の可愛い郵便桶を蹂躙する如く入った封筒はまるで、

「別に何も悪い事してませんよ」

と言わんばかりに中に鎮座しており、
郵便桶は声も無く訴えていた。
「こいつです、こいつが無理やり入って来たんです」

だが聞こえない声に反応する趣味は無い。
恐ろしく分厚い封筒を手に取り、
送り主の名前に「柴田」の文字を確認すると、
静かな感情が胸の内にこみ上げてきた。

ああ、あいつ、まだ小説書いてるんだ。
感動である。

俺の知る限りあいつは男への手紙の返事で、
こんな何百枚も書き狂うサイコパスじゃない。
この厚さは小説だ、あいつ、まだ書いてたんだ。

そう思うと身体が勝手に外部階段を駆け上がり、
乱暴にドアを開けて鍵を閉めると机の前に飛び込んだ。

と、そこまでは良かった。
そりゃあ数年会って無い友人からの返事だ、
多少なりとも興奮するのが人情というもの。

だが日本には「興醒め」という言葉がある。
様々な故人が色んな場の雰囲気をぶち壊してきたのだろう。
例えばプロポーズの最中のくしゃみ、
セックスの最中の屁。
おっと、下世話な例えばかりで申し訳ない。
ところで、俺の場合はどうかと言うと。

俺は興奮気味に封筒の接着を剥いだ。
女の服を脱がす時でもこんなに興奮した事は無い。
封を切り終わって、さぁ、と手を挿し込んだら、
出てきた紙にはまるで幼稚園児が書いたような文字が並んでいた。
その時の俺の感情は、どうだったかって。
いやぁ、「筆舌に尽くしがたい」という言葉の出番だった。

三つ子の魂百まで。
性格が変わらないなら字も同じ。
かつてのあの日に見た型崩れした文字達が、
「はやくちゃんとした日本語になりたい!」
と地獄の底で阿波踊りでもしているようだ。
その文字の酷さが逆に旧友との再会の味のようでもあったが、
ふと我に返ると再び封筒の中に手を突っ込んだ。

そうだそうだ、これは俺が送った手紙の返信だ。
アイツめ、流石にコレ(小説)だけって事は無いだろう。
きっとこれとは別にちゃんとした手紙があるに違いない、
そう思って封筒の中をゴソゴソと探ってみると、
おっ、あった、あった。
指先に何かが触れたぞ。
その感覚を頼りに引き抜いてみると、
厚さの薄い縦長の便箋が、一枚。
開いてみると、これの上でも文字達が阿波踊りの真っ最中。
オイ柴田、本当お前、オイお前。
思わずそんな川柳も詠みたくなる。

とにかくまずはこれを読むべきだろうと紙に目を落とした。
しかし中々の文字の悪路がおいそれと先に進ませない。
子供のテスト採点をする小学校教諭は凄いななどと思いつつ、
手紙の終盤で阿波踊り達が良い知らせを教えてくれる。

柴田を悩ませた電難の体質は改善されたらしかった。
世話になっていた農家の方の伝手で、
とあるお寺の方を紹介して貰い、
その人の指導でなんとか改善の傾向にあるらしい。
気の流れがどうのこうのらしいが詳しい事は置いといて、
今では平常時なら完全に症状を抑え込めているとの事。

すると便箋に書かれている平仮名と漢字の羅列に割り込み、
急に黒船がやってきた。

英語だ、アルファベットだ。

信じられない事に便箋にはラインのアドレスが書いてある、
柴田ががラインを使ってるって事だ、信じられるか!?
中学入学前に家の電子レンジを五個もぶっ壊したあいつが、
機種やらは知らんが、つまり現代機器を使っているだと!?
しかもその続きには11桁のローマ数字が列を成して待っている。
最初の三桁は080、080だ!電話番号だ!
あの野郎、本当にケータイを使ってやがる!

女から紙で連絡先をそっと渡された時の百倍興奮している。
そもそも俺は女から紙で連絡先を貰った経験など無いのだけれど。
アドレナリンのせいで都合の良い記憶を夢見たらしい。

虚しい夢を片手で散らし、とにもかくにも、
電話番号が書いてあると言う事は、
これにかけて来い、と、そう言う事に違いない。
そう悟った俺の興奮は最高潮に達した。
今直ぐケータイ片手に番号を打ち込む気持ちが逸るが、
いざ連絡先を前にして、心の熱が一瞬にして引いた。

聞いて欲しい、
世の中には『薄情な友人』というのが居るだろう。
それは俺の事だ。

俺達が大学入りたての夏、
確かに皆でバーベキューをした。
柴田も呼んだ。
そこであいつの小説も読んだ。
きったない文字だったが。

そこで聞かされたのは柴田の落選経験だった。
あんな物語を書いた、こんな物語も書いた、
でも全部ダメだった。
かける言葉が見つからなかった。
「負けんな、頑張れよ」と辛うじて肩を叩いただけだ。

柴田と会ったのはそれが最後。
実はもうかれこれ七年以上会っていない。
あいつが電難で連絡が取りにくいのを良い事に、
ろくに生死の確認さえ取ろうとしなかった。

こちらは大学、あちらは既に働いている。
しかも農家の仕事と言うのは全く想像もできない。

もし仮に、また柴田と会った時の事を考えてみるが、
一体何を話題に、何を話せるというんだ。
こちらの大学での事を話すのか。大学に行ってない柴田に?
俺はあいつから農家の話を聞くのか?さして興味も無いのに。

会話と言うのは難しい、
互いの知らない世界の事を退屈なく共有するには、
相当な腕前と言葉の上手さが必要になる。
下手をすれば自分しか知らない世界に浸って傲慢にもなる。

じゃあ、何を話すんだ、柴田と。
当たり障りのない会話か。
元気か、とか、最近何してんの、とか。
そうしていよいよ話の種に困ったら小説の話になって、
俺はまたアイツから聞くのか、
「落選した、駄目だった」って話を。
別に友人の失敗を望んでいる訳じゃない。
けれども、そんなに簡単な世界でもない事くらい知っている。
何百人、何千人もの人間がたった一つの椅子を取り合う世界だ。

俺は薄情な友人だ。
怖かったんだ、柴田の落選の話を聞くのが。
嫌だった、柴田の暗い顔を見るのが。
いたたまれない空気に言葉が詰まって、
なかなか次の会話にも行けなかった、
あのバーベキューの日の雰囲気が怖くて、
そんな思いを、誰がまた味わおうと思う。
だから連絡しなかった。
ああ、そうだ、俺は薄情なやつだ。
自分がかわいい。

そんな薄情な友人がおよそ七年振りに連絡するだと?

心の中の黒い部分がこう囁いてくる。
お前正気かよ、何考えてんだ。
今まで見捨てる様な放っておき方してたのに、
いきなり「よう、元気?」とでも言うつもりなのか?
とんだ脳内お花畑野郎だな、
お前の様な奴を偽善者と言うんだよボケナスめ。

そう囁かれた俺本人も思わず奥歯を噛む。
全ては知れた事、そんな上等な人間だとは俺も思ってない。

しかし柴田よ、
この目の前の紙の束よ。

もし、人間の意思が物に、もしくは文字に宿るなら、
この紙の束にひしめく文字達が唸っている、
ケータイをとれ、かけろ、柴田に連絡しろ、
それで俺達の話をしてくれ、その為に俺達は来たんだ、と。

紙は言葉を喋らない筈なのに、
紙束に触れている右手が少し震えた。
まるで轟音に晒されているようだった。

080、
それから始まる11桁は果たして友情の鎹(かすがい)か、
それとも決別の呼び水か。

番号入力した電子機器から呼び出し音が聞こえる。
きっと相手側の電子機器も鳴っている事だろう。

一回、
二回、
三回、
次は四回目の呼び出しコール、
うん、五回目に入ってしまった。
六回目だが、あいつ、寝てるのか。時間的には有り得る。
ラッキーセブンの七回目だが、全然ラッキーじゃない。
八回目のコールも無情に過ぎて、
十回目のコールの前に、
九回目で静かに切った。

もしかしたら、
封筒を送った後に柴田も思い直したのかも知れない。
七年も連絡寄越さなかったのに今更なんだ、と。

やっぱり俺みたいな軽薄な奴からの連絡は、
取りたくなかったか。

そう落ち込みかけた時、机が震えた。
いや、スホマが震えた。
画面に映し出されるのは11桁のローマ数字、
さっきこちらからかけた番号だ、柴田だ。
どういう理由か知らないが、
向こうからかけ直してきたんだ。

「も、もしもし」

乾いた喉が声を震わせた。
近くにはコップも無ければ水分もない。
この声でやるしかない。

「柴田?」
『……やー、ごめんごめん、電話取れなくて』
「寝てたか、悪かった」
『いや寝てたんじゃない、ちょっと』
「風呂?」
『いやー、高まっちゃって』
「え?」
『お前からの電話だってすぐに分かったよ。
 手紙読んだか?電難抑えられるようになったんだ』
「ああ、凄いよ、お前頑張ったんだな」
『今は普通に電車も乗れるんだけど、』
「凄いじゃないか」
『心が落ち着いてなきゃ駄目なんだよ。
 さっきはお前から連絡が着た瞬間慌ててさ、
 その、心が落ち着くまでとれなかった。
 悪い、それでかけ直したんだ。』
「……はは」

それって要するに、
お前も興奮してくれたった事か。
俺がお前の封筒見た時みたいに。

「ところでお前」
『うん』
「相変わらずこの字の汚さなんだな」
『え?前よりマシだろ』
「嘘だろお前」

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