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恋と鴉(中編)【ショートショート】

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本は待っている、
いつも決まって静かな場所で。

柴田とのバーベキューから季節は経ち、
また大学生達はレポートに追われる身分に落ちる。

大学の図書館には引用に必要な本を求める大学生達。
だが大勢の学生が来たからと言って、
図書館の本が端から端まで手に取られる訳ではない。
学科でも優秀な奴が大抵一番にレポートを仕上げ、
その学生がどの本を読んだかという情報が出回り、
皆がこぞってその本だけを取り合う。
見向きもされない参考書や専門書達は、
本棚の中で今日も底板を冷やすだけの日々を送る。

本と言うのは気の毒な奴らだ。
どいつもこいつも奥手で、物静かで、
「ちょっとあの」と誘いの言葉もかけられない。
そのせいで自分の売り出し方がとにかく下手で、
自分から「読んでよ面白いよ」と声をかける事も、
ぐい、と誰かの袖を掴む事も出来ない。
人目を引く為に精一杯おめかしした装丁はあるが、
一旦本棚に収まってしまえば背表紙しか見えないんだから、
本当に本と言うのは気の毒な奴らだ。

レポートが終わった後の学生には二種類いる。
我先にと図書館を後にする奴と、
ケータイを弄りながら無意味に長居する奴。
前者は図書館の外で何かしたい事があるのだろう、
ゲームか食事か、さもなくば恋人との逢引きか。
後者はとにかく迷惑な場合が多い。
ケータイを弄り、友人と喋り倒す光景がよく目につく。

「さーて、じゃあ学食に行きますか」

と我がグループのお調子者が言った。
図書館に同行した学友達がレポートを書き終え、
もう長居は無用と言わんばかりに立ち上がる。
男女含めて総勢八名、そうだねそうだねと鞄を用意した。

俺もその中の一人だったが、
鞄を用意して立ち上がった後にふと足が止まった。

「どうした?」
「いや、先に行ってて。本借りてくる」
「どの専門書?」
「うんや、なにか、小説」
「小説?お前小説なんて読めたの?」
「読めるわい、文字さえちゃんと書いてりゃな。」

なんだあそりゃ、
アハハと笑って学友達が先を歩く。
ここは図書館だが、大学生にかかれば笑い声もなんのその。
図書館員のおじさんに睨まれながら出口を潜る一行を見届け、
本の森の中に深く立ち入った。

「小説を楽しめる人間は教養を身に着けている者」

そんな言葉を聞いた事がある。
様々な知識を蓄えて初めて小説の本当の面白さが判る。
故に小説は己の教養の深さを測る物差しになりうる。
とのこと。

しかし自己肯定に飢えてはいないのでそんな事は別に良い。
ただ、あの日に見た潰れた鴉がふと脳裏に過っただけだ。
柴田の物語は文字が汚くて本当に読めたものじゃなかったが、
その情熱だけは肌をチリチリと焦がす様に伝わった。

だとしたら、
俗に『プロ』と呼ばれる小説家の方々も同じ筈。
まだプロにもなってない柴田があの様子なんだから、
プロの書く小説からは相当な熱量が感じられるに違いない。

しかし、図書館の森は深い。
先にも言ったが本は奥手で物静かな奴しかいない。
押し黙ったまま本棚の底板を冷やすばかりで、

「御兄さん、ちょっとちょっと」

と声もかけてはくれない。
ああ、竹取物語の翁が羨ましい。
ピカーと竹が光ってくれたから直ぐ判ったのだろう、
本も「君にオススメ!」とか言って光ってくれれば楽なのに。

図書館の長い道を行ったり来たり、来たり行ったり。
どれにしようかとひたすらにシャイな本達を見つめるが、
目はその背表紙の上だけを滑っていく。

しかし、須田東一(とういち)。
あ、須田東一の本だ。

須田東一と言えば太宰治の一世代後に出た作家。
語感は太宰に影響を受けたが書かれた言葉は分かり易く、
始めて小説を読む場合にも非常に優しいと聞いた事がある。

しかし聞いた事があるだけ、読んだ事は無い。
ほとほと活字だけの本には無縁の人生だった。

これも潰れた鴉の縁だ、
一冊位読んでおいても損は無いだろう。
そう思って手に取ってみると本の上には少し埃が溜まっている。
可哀そうに、どれだけお前はここに座っていたんだい。
今日からちょっとウチで一緒に暮らそうな。
学生証で本を借りて鞄の中にそっと入れると、
学友達がたむろするであろう食堂へと足を向けた。

その後、家に帰ってケータイを弄るでもなく本を読んだのだが、
その本がとにかく面白かった。
気付けば指が最後のページを弾き、
時計を見れば午前二時。
次の日はレポートを書く用事もないのに図書館へ行き、
須田東一の別の本を借りた。

大学は四年間、専攻は化学だったが、
読んだ量は化学の本より小説の方が遥かに多い結果となった。
遂には就職相談で教授と話をした際、

「え、君、出版社を受けるの?
 化学系のメーカーとか受けないの?一つも?
 ああ、そう。まぁ君の人生だから、君がそれで良いなら。」

と半ば呆れられるまでになった。
教授のその反応も当然だろう。
海で戦う為に作られた潜水艦がある日急に、

「砂漠に行きたい!」

とか言っても「はぁ?」となるだろう。
化学を四年も勉強したのにその専門書の出版社を受けるでもなく、
小説を多く出している出版社に行こうとするなんて、
お前は一体今まで何を学ぶ為にここに居たんだ、
という事になる。

最早卒業研究はただ本当に卒業する為のものだった。
卒業して、大学卒業の資格を得て、就職へ至る。

「良いんじゃない、
 ちゃんと目的があるだけマシだよ。」

と言ってくれた教授の言葉が心に染みた。

とにもかくにも大学の図書館は全く良い場所だった、
だって本が山の様にあるんだ、作家も偏らない。
春夏秋冬通い続けた図書館のおかげで、
友人達がしているケータイのソシャゲの話が、
ちんぷんかんぷんに分からなくなる事もあった。
いざ卒業となった日に名残惜しくて、
冷たいだけの図書館の外壁の柱を何度も撫でた。

卒業後、就職は無事にとある出版社へ。
研究室で試験管と島津社製の液クロと戯れる日々が、
あっという間に文字だけと戯れる日々に変わった。

(※液クロ:液体クロマトグラフィー)

会社に行けば文字、明日になっても文字、
来る日も来る日も文字、文字、文字。
想像していたものと少し違った業務もありはしたが、
色んな考えを持つ人の色んな言葉が社内を行き交う。
真正面から受け止められる言葉もあれば、
不意に真横からハンマーに殴られる様な言葉もあった。
まるで津波の如く押し寄せる文字群に揉まれ、
あっという間に四年が経った。

「じゃあ、お前担当やってみるか」

と言われたのはとある社内の昼下がり。
要するにお前が主導となって本を作れ、と言われた。

嬉しいが怖くもある。
それは要するに、俺が面倒を見た言葉達が世に出るって事ですか。
それは即ち、俺の言葉達が世に出るって事ですか。
出来るだろうか、大学時代に読んだ須田東一のような事が。
誰かに読まれるに足る言葉が書けるだろうか、
編集出来るだろうか。

その日は頭の中がくわんくわんと揺れて、
仕事もあまり手につかなかった。
見かねた先輩が飲みにつれ出してくれて、
鶏モモの串焼きを突きながらこう言ってくれた。

「毎回良い本を作れるなんて事はあり得ない。
 俺だって本屋で見かける度に、
 恥ずかしくて目をそむけたくなるような本がある。
 でも編集やってりゃそんな本の一冊や二冊、絶対あるぜ。
 プロ野球選手だって、良い人でも打率三割だろ。
 六割くらいは打ててないんだよ。
 知ってるか、あの江戸川乱歩だってな、
 連載していたミステリーの終盤いよいよ謎解きだって時に、
 「犯行手口が思い浮かばないからここで終わりです」って、
 それで自ら打ち切った事があるんだぜ、酷いよなぁ。」

笑い混じりに先輩が話してくれる。
狭いチェーン店の端っこにネクタイも締めない男が二人。
口性(くちさが)ない人間が見れば、

「何あのしょっぱい二人」

となじった事だろう。
先輩の風体なんざ顎に無精髭まで生えていて、
下手すれば女房子供に逃げられたくたびれた男に見える。
机の上にもタコわさと鶏モモ串しか並んでない。
品数の薄さが薄幸具合に拍車をかける。
しかし、良い先輩だ。
見た目の柵(しがらみ)に囚われない、
年季の入った言葉が柔らかい。
おかげでこちらの心持ちもかなり柔らかくなった。

心が柔らかくなったからか、
随分と奥に引っ掛かっていた記憶の一部が、
コロン、と音を立てて落ちてきた。

「あ、」
「どうした?」
「いえ、子供の頃の知り合いにそう言えば居たなぁって。
 中学位だったのかな、それ位から小説書いてる奴で、
 それが本当に、字が汚い奴なんですよ。
 ちょっと訳アリでパソコン弄れないんですけど、
 原稿用紙にペンで出版社コンテストに送ってたみたいで」
「へぇ」
「それが結構骨のあるやつで、
 何回落ちても送り続けてたんですよね、凄かった。
 でもある日ソイツの原稿見たら、
 さっきも言ったんですけど字が汚くて。
 これじゃあ内容を読まなくても落ちるぜって笑って、
 それを見た一人が私が代わりに清書するってなって」
「それで?」
「それで……どうなったのかなぁ、あいつ。
 どこかの賞でテッペン取ったのかなぁ」
「連絡してみれば」
「え?」
「連絡してみればいいじゃん。
 お前どうしてる、まだ小説書いてるのかって。
 そう言うのって縁だよ、まだ書いてるなら作品送って貰えば。
 もう書いてないならそれもまたそれ。」

仕事に追い回された平日が過ぎて土日になった。
何年も目を通さなかった学生時代の住所録を引っ張り出し、
何年もろくに書いた事がない手紙を書いた。
仕方の無い事だった、
何せ手紙を送る相手はラインのアドレスはおろか、
電話番号すら知らない。

「久しぶり、元気ですか」

から始めた手紙に封をし、赤いポストに放り込み、
それから二週間もしないうちに、
柴田から返事が来た。

郵便桶に入ってるのは分厚い封筒だった。

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