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髪は女の命…なのかが一瞬で解決した日

私の髪は、ただの髪の毛。
アラフィフにもなると、髪のコシも艶も減り、白髪も増え、本体同様にくたびれ感も増し、神聖なものとも、神宿るものとも程遠い、ただの髪の毛です。

それにも関わらず、「次はベリーショート、その次はおしゃれ坊主だ!」など意気込み続けて数年。時折、軽いショートカットにしても、また伸ばし始めて、また短くするかどうかを悩み、時間も脳内処理のエネルギーも浪費続けています。

「髪は女の命」。

囚われていないようで、無意識に囚われているこの言葉は、いったい何を意味しているのか。

いろいろ調べましたが、ヘアケア系サイトを中心としたキラキラ系、女の命系の情報しか出てこないので、AI先生にまとめてもらいました。

「髪は女の命」という言葉には、日本の文化や歴史、そして社会的な価値観が反映されています。この表現が生まれた理由をいくつか挙げてみましょう:
歴史的背景: 日本の平安時代には、長い黒髪が女性の美しさの象徴とされていました。当時の貴族社会では、髪を丁寧に手入れすることが女性の重要な務めの一つでした。

美的価値観: 豊かで艶のある髪は、健康と若さの象徴とされてきました。これは現代にも通じる美意識です。

自己表現の手段: 髪型や髪色は、女性が自分らしさを表現する重要な要素の一つです。個性や気分、ファッションセンスを髪で表現することができます。

文化的な意味: 日本の伝統的な行事や儀式では、髪型が重要な役割を果たすことがあります。例えば、成人式や結婚式などでの特別な髪型があります。

社会的な期待: 特に過去においては、整った髪型が女性の品位や教養を示すものとされ、社会的な評価にも影響を与えていました。

わかるようでわかりませんが、上手にまとまっています。

確かに、霊魂が宿ったり、身分を象徴するものであったり、性的な魅力の象徴であったりと、女性に限らず、男性にとっても、髪は大切なものでした。

日本でも、ざっくり江戸時代までは髪を伸ばし垂らしていましたし、遡れば顔よりも豊かな黒髪が美しさの象徴である時代もありました。女性達が、高貴な殿方に身染められるためにも、身だしなみのレベルを超えて髪を手入れしてきたというのは理解しています。

ヨーロッパでも、過去には長い髪は権威や地位を象徴するものでした。王族や貴族、宮廷で演奏するような音楽家たちも、かなりボリューミーな髪型でした。長い髪が権力の象徴であったとの説を見聞きしたこともあります。

時代を超えて、現代社会でも、若い女性の豊かな髪は性的な魅力があることも確かでしょう。これは、人間のDNAに刻み込まれた「自分にないものに魅力を感じる本能」です。一般的には女性は筋肉質な男性に魅力を感じ、一般的に男性は胸やお尻が大きく髪が豊かな女性に魅力を感じやすい的があります。ジェンダーフリー視点では叱られそうですが、子孫繁栄という人間の重大な任務を考えれば理解できます。

そういう意味でも、髪は煩悩まみれなわけで、僧侶が煩悩を切り落とし、現世の欲望を捨て、清潔を保つために剃髪するのも納得です。浄土真宗は剃髪しませんが…

理屈としてここまではわかるのですが、歴史的背景も美的価値観も文化的な意味も、社会的な期待も、今の私には全く関係がありません。

自己表現の手段に関しては、もう少し控えめに好みの問題として、関わります。

年を重ねても艶があり美しい髪への憧れはあるもの、日々手入れをするほどの気力も技術も持ち合わせていません。だからといって、中途半端に短くすればかえって邪魔になったり、むしろ手入れが大変になったり、つむじの影響で出るクセが気に入らなかったり、頭ぶつけたら怪我するななど余計な不安を抱えたり、どうでもいい不平は募ります。

まったくもって穏やかではない。

なんなのよ、髪って。

一通りまとめてみたら、考えるのもアホくさくなってきました。過去の出来事などももう少し掘りこして、髪に囚われる自分を見つめ直してみたかったのですが、一気に熱も冷めた感じ。

凡人の抱える悩みなんて、結局そんなものばかりだよ…と、今日も同じところに無事辿りつきました。


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