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包む・解く・捨てるには、こじれた日本愛がたっぷり詰まっていた

最近は、フィルムで包装されている商品が増えています。フィルムは、商品保護という点でも、売り手にとっても買い手にとってもメリットの多い優れた包装方法です。

ガジェット系のフィルムを剥がす時、未だチラチラ脳裏に浮かぶのが、Apple Storeの店員との会話の風景。軽く10年は、私の小さな脳の数少ない引き出しの1つを占領し続けているのです。

MacかiPadか記憶は定かではありませんが、店頭で受け取り、中身を確認したことがあります。
Apple Storeの、オサレなカウンターで、フレンドリーな笑顔の店員さんに「思いっきりバリバリっと剥がしてください。ワクワクしますよね」的なことを、目の前で言われて困惑したのです。

記憶力が乏しく正確な会話を覚えていないのですが、微妙な困った感情だけは、ちょっとした時にウネウネ白髪のようにビョコンと現れるのです。

金品を贈る時に、物を保護し、贈る気持ちを包む「包装」は、「日本の心」の代表のようなもの。

だから、「包みは解く」のです。

「結んだり、塗ったり、もつれたりしたものをときはなす」(参考:weblio)ように、包まれたものを解くのです。なお、この「解く」は「 神仏にかけた願(がん)がかなったとき、お礼参りをしてかけた願をとく」(参考:weblio)時にも使います。品物を守り、運びやすくするといった実用性だけでなく、相手への思いを包み、受け取った側がその思いを解きます。

そして、「装」はよそおい。包まれる物を美しく飾り、整えます。

このふんわりとした感じは、英語では伝わりにくいものがあります。wrap したものを unwrapする、あるいはpack した物を unpack するのですから。プレゼントが楽しみですぐ開けたい、すぐにでも見たい、ベリベリバリバリに目の前で破るという行為に違和感があるのは、言葉の違い、文化の違いなのです。

ですから、それ自体を否定する気はありません。

ただ、日本にある(当時)Apple Store で、アメリカ的なワクワクバリバリを勧められ、ドン引きした記憶だけが、今も「なんだかな」と、ふとした時に思い出されてしまうのです。こじれてるな、私。

包装や包装紙は、日本の良さというか、日本人らしさの象徴でもありますが、最近こじらせている方も見受けられます。

  • 包装+もったいない という最強の組み合わせにより、捨てられない派

  • 自分で捨てる決断がつかず、背中を押してもらいたい派

  • 一定期間はとっておいて、使わなかったら全部捨てろ派

  • どうせ使わないのだから、今すぐ全部捨てろ派

包まれた物そのものではなく、残留物(包装紙や紙袋)までもが受け取った側の手元に残り、良くも悪くも心にも残る。まさに名残。全部捨てろ派は、それはそれで捨てることに執着している感じで面白い。いずれも拗れているように思うのですが、日本らしいと言えば日本らしいな、など遠くで思ってみたりするこの頃です。

どうでもいいことですが、我が家の気持ちよく捨てるための呪文は「ありがとうございました」。

「スズメ百まで踊り忘れず」ではありませんが、子供の頃の「物を大切に」教育の一環で、捨てる時には「ありがとうを言ってから」と教わった記憶があります。アラフィフとなった今でも、履き古しの靴下レベルでさえ「ありがとうございました」といってポイっと捨てるほど。

母親の躾かと思っていたのですが、以前聞いてみたところ、母親本人の記憶は曖昧「そんなこと言ったかなぁ?」だし、妹は「そんなの知らない」とのこと。どこで誰に教わったのやら。

こじらせ系と言えば、私の中での2024年上半期の拗らせ大賞はこちら↓
拗れっぷりもすごいのですが、編集能力の高さは際立っています。


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