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フルマラソンからの学び。

2度目の挑戦

あいにくの雨天でしたが、人生二度目のフルマラソンに挑んできました。3年ぶりの開催、地元の岡山マラソン。5年前の初めての挑戦で、残り5Kmでタイムオーバーとなった悔しさを残した大会。リベンジをしたいと思いつつも、同じ悔しさを味わうのでは?という恐怖心から挑戦することにすら目を背けていたのです。その間、大会中止が続いたことも目を背ける言い訳にもなっていたのが正直なところです。会社を辞め、自分で生きていくと決めた時、挑戦する気持ちを奮い立たせる意味も込めて再挑戦する事を決心しました。

2022岡山マラソン

学びその① 己を知る。

結果から言うと、完走を果たし5年前のリベンジを達成したことになります。ここに一つ目の学びが。自分を客観視して実力にあった目標を立てれたことが完走できた一つの要因だということです。ここに向けて2022年のお正月から、練習を始めたのですが、なかなか思ったように走れない。夏には肉離れを起こして走ることから遠ざかる期間もあったり。すべてを鑑みて今の自分で出来うる目標は「時間内6時間での完走」という明確な目標設定ができたことが勝因。ペース配分も、前半で疲れてしまわないペースをキープできたので、足が動かなくなるまでの距離を稼ぐことができた。30Km過ぎてからは、思った以上に足が動かなかったという反省はありましたが、「時間内完走」を目的にしていた事で焦りもなく、最後まで心が折れる事もなかった。自分の実力以上の事は、瞬間出せたとしても、長丁場では意味がない。己を知る。それが1つ目の学び。

学びその② 比較しても意味がない

「30Kmからがマラソン」と言われる通り。それまでと30Km以降とでは世界観が変ります。疲労や痛みで足が動かなくなる。それも一様に、同じような苦しさを抱えたランナーさんを多く見かける。ここを駆け抜けれる人はすでに同じところにはいないというのは当然なんですが。それなりにここに向けてトレーニングしてきた人ばかりなのに。ここまでくると、周りなんか気にする余裕なんてなくて、それぞれが自分と向き合っている状況なのです。痛い、つらい。そんな中でも足を出し続けるには、自分の意思しかない。やめちゃえば楽になれるのに、ゴールに向かう気持ちの強さだけが勝負になってくるんですね。お金持ちでペースランナーを付けて走っている人も、腰が曲がっているような高齢なランナーも一緒。同じ痛みや苦しみを抱えながら前に進んでいる。その光景が広がる35Km地点。ふと頭によぎったことは。もって生まれたモノに差はあります。でも極限に近づくほど人間の差なんて、前に進もうという意思だけなんじゃないか?。これが2つ目の学び。

学びその③ 人間は成長したい生き物。

レース後、家族でそんな体験を話していたところ。妻が一言「ドMのスポーツだね」。失礼だろ!と思いつつ、言い当てているところはある。前段の苦しみの35Km地点。僕と同じようにみんな思っていたはず「もう2度とマラソンには出ない!」。うちに帰ってもほぼ寝たきり状態で一晩を過ごし、今朝目を覚ました時には、「来年も出よう!」って考えていた。えっなんで?と自分でも思ったのですが、沸々とこみあげてくる感情。目標を達成したにも関わらず「悔しい」「もっと出来たはず」。なんなんだろう?僕自身の理性を超えた、本能に近い部分での反応のように感じています。完走が出来たなら、次は5時間以内。新たな目標が明確となり、来年同じ苦しさを味わう可能性が高い場所へ。大げさなのかもしれないけど。人間って満足できない動物なんだ、上昇志向は本能から来ている衝動なんだって感じた。ということは、挑戦する事を諦めたら。多分メンタルを病むんだろうな、人間らしくないから。これが3つ目の学び。

幸せホルモン「ドーパミン」

あっ、これだ。その③で挙げた理性を超えた反応の招待は。一晩明けた僕の脳内にはドーパミンが溢れていたんだってことに気が付きました。目標を達成すると分泌量が増えるらしい、幸せホルモン。ということは、前提として必要なことは、しっかりとした目標管理だってことですね。高すぎるでもなく、低すぎるでもなく。適度なチャレンジを含む目標設定こそがマラソンを楽しむための必要最低条件。己を知り、自分自身と真正面から向き合う。そして適切な目標を設定する。来年の目標は明確に「5時間切り」。それに向けて逆算して取り組むこと。取り組む期間が長くて辛いほど、ドーパミンの量が増えていくってことなんだってことですね。

結論 マラソンは奥深い。

理屈っぽいのは自覚していますが、そういう性分なもので。たかがフルマラソンを完走したぐらいで、そこまで考える?って思われますよね。
でも、やっぱり来年もエントリーしてると思います。マラソンが目標管理スポーツだってことが一つ。もう周囲を気にしない事が出来るってのがもう一つ。どこかで2回目の挑戦でも完走できなければ、馬鹿にされるんじゃないか?って気持ちがあったんでしょうね。挑戦に背を向けていたのは、周囲からどう思われるか?を気にしていたから。一度完走したこともありますが、2つ目の学び、比べることに意味がない。自分との闘いなんで、遅くても恥ずかしくないし、3つ目の学び、やっぱり本能的に成長したい。そして虚栄心もなく、己を見つめるには、余計な事を考える余裕すらない環境に自分を追い込まないとできないって事。逆に言うと普段、それだけ周囲を気にして生きているのかもしれませんね。






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