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協力して共存する

私は学生の頃、鉛筆を握りたくさんの線を引っ張っていました。筆圧が高かったのもあって、いつか自分の右手が腱鞘炎になるかも…と思い、右手の負担を少しでも減らす為に左手でお箸を持つ練習を始めました。お陰で左手でお箸を少しは使えるようになりました。
今日は私がお箸の鍛錬で気がついた、他者と協力すること、共存することについてのお話をしようと思います。

現在はそこまで鉛筆を握ってはいませんが、体調が悪い時は右手(右腕)の調子も悪くなって、動かすのが辛くなる時があります。
先日久しぶりにその機会があって、お箸を左手に持ち替えてご飯を食べていました。いや〜、久しぶりだったのでちょっと使い辛かったです(泣笑)

改めて思うのは右手には右手の、左手には左手の役割があるんだなぁ、と言う所。
左手でお箸を使えるようになるのって、左手の鍛錬だけでは足りないんです。

通常右手でお箸を使っている場合、左手でお茶碗を持ちますよね。左手ってお茶碗を“持っているだけ”に思えますがそうじゃ無いんです。右手のお箸を使いやすいように、お茶碗の角度を変えたり、配膳の位置にも気を配って食べやすく動いてくれているんです。
それを知ったのは私が左手の鍛錬を始めた10代でしたが、これが“人間関係”にも通ずるところがあるな、と気がついたのはつい先日の事。

右手も左手もそれぞれ鍛錬は勿論必要です。でも相手が「使いやすく」とか、「やりやすく」とかそう言う所をお互いが配慮しあっているな、と感じました。『食べやすくする為に』と言う共通の目標のもと、鍛錬し続けてきたと思うんです。お互いが協力しあって一つの目標に向かって行動する様は“人間関係”も同じだな、と。

カップルや夫婦の場合ですと、お互いの得意不得意が存在しますよね。出来ないことは“得意な方”に任せた方がお互い気持ちが良いと思いますし、効率が良いです。頼られた方はそれはそれで嬉しいものですし。
「さっきはどうもありがとう!」と伝えれば、関係が清々しく信頼関係も築けると私は思います。

これは恋愛だけではなく、家族や友人、職場の人間関系にも当てはまるな、と思いました。お互いの長所短所を知って支え合って行く。
これこそ“共存”に繋がると。
相手を否定する事なく、強要する事もなく、お互いがお互いを尊重し共に支え合って生きていく。

時にイライラして喧嘩したり、相手の嫌な面ばかりが見えてしまって辛い時があると思います。そう言う時、頭がある程度クールダウンしてから『そう言えば…彼は私とお店に入る時、決まって必ず扉を開けて私をエスコートしてくれてたな…』なんてちょっと思い返してみて下さい。

自分には出来ないところを誰かがやってくれていたり、下準備をしてくれていたり、気を遣ってくれているかもしれません。実際立場を入れ替えたり、又は想像でも構いません。その人の置かれている環境の大変さやプレッシャーなんかが体験・想像ができると、イライラやストレスがグッと減って身近な人達と戦争をしなくて済むかもしれません。

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