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(古典和歌)冬の恋歌

思ひかね 妹がり行けば 冬の夜の 川風寒み 千鳥鳴くなり
                  (『拾遺和歌集』224 紀貫之)
 恋しさをおさえきれなくなって あのひとの住む方へ行ってみると
 冬の夜の 川風が寒いので 千鳥が鳴いているらしい

 会いたいなら会いに行けばよい。わざわざ「思ひかね」というからには、何か容易に会えない事情があるのだろう。親世代の干渉か、あるいは仕事が忙しいか。

 何らかの障害があるとして、それを乗り越えて会いに行きたい相手とは、どのような関係の相手だろうか。会える算段も無くふらふらと惑い出るのは説話の主人公だけでよろしい。会いに行くのは会える相手、すなわち片想いではない。手紙等を通して、あるいは何度かの逢瀬を遂げて、すでに恋愛の炎は燃え上がっているのだろう。

 歌の後半で恋の情熱に浮かされた男を待つのは、冷たい冬の川風だ。恋の情熱を冷ます仕掛けだろうか?しかしそうとも判断しきれないのは、風の冷たさを感じているのが男ではないからだ。身に染む冬の寒さに声をあげるのはあくまで鳥である。ここで鳴いている鳥の描写は推定の「なり」で結ばれている。男と鳥には距離がある。
 寒さに鳴く鳥は、男の恋に苦い局面が訪れることを予感だけさせている。その予感は初句の「思ひかね」が用意した伏線と響き合い、一首全体に不安の影をもたらしている。しかし「なり」が示す男と鳥の距離感により、その不安を決定づけはしないのだ。

 説明しきらないことで詩情に奥行きを持たせる。更に甘やかな恋の叙情に正体不明の苦味を差し込むことで、奥行きに更なる深みを持たせている。
 複雑なドラマすら想像させる、冬の恋の名歌である。

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