冬の風の歌

吹く風は 色も見えねど 冬くれば ひとり寝る夜の 身にぞしみける
              (後撰和歌集449 詠み人知らず)
(訳)
吹く風は色も見えないけれども 冬が来ると 一人で寝る夜、私の身に染みわたるものだね

 冬の風の冷たさに気がつくのは、僕の場合はまず手だ。

 朝のランニング時、寒さと闘って外に立ち、身体をひねって走り始める。やがて身体はぽかぽかしてくる。だけど手先はなかなか暖まらない。息をふうふう吹きかけながら走る。それでもだめなら袖の中にしまったりする。小学生がよくやるやつ。そしてそろそろ手袋をつけようか、なんて思うとき、冬の訪れをしみじみと思うのだ。

 1000年前に京都の町で、寒さに震えながら一人寝た名も無き歌人は、その寒さをどこで感じていただろう。「身」というから、それは手先や足先ではないだろう。根拠は薄いが、僕は首筋から背中の辺りなんじゃないかな、と思っている。この寒さをもたらしているのが「風」だからだ。平安時代の屋敷に吹き込む風が、水に垂らした墨の雫のように、じわりじわりと身体を侵食する。その冷たさがまず触れたのは、しっかりと閉じられた腹回りなどではなくて、やはり身体の裏側、首筋あたりではなかっただろうか。

 二句目の「色も見えねど」が、五句目の「しみ」と響き合い、この歌を秀歌にしている。「色」は無いが「色が染みこんでいく」ように、冷たさが身体にしみこんでいく。この風はごうごうひゅうひゅうと家をならす暴風ではない。おそらくは音も無くゆるやかに忍び渡ってくる冬の風。その風はかすかに空気を揺らしながらこっそり近づき、その冷たさによって確かな存在感を放つ。歌人はその冷たさに首筋を舐められたとき、ふるりと身体を震わせながら、冬の到来を感じたのではなかろうか。

 

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