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【お通夜旅】石勝線夕張支線 新夕張~夕張編

訪問データ

行った日:2019年2月18日~19日
当該区間廃止日:2019年3月15日

飛行機、再び。

 いずれ行かなければならないとはならないと思っていたが、北海道の魅力はやはり冬だと思っている。ホテル等も安い。だから廃止前最後の冬を待っていると、仕事で長期の研修に入ってしまうことになった。職場も変わり、休みを申し込むこともできず、試験次第の勤務シフト。しかし、恐れることはない。「二日あれば北海道くらい行って帰ってこれる」ことを下記旅行(前回の北海道とか前回の飛行機は全部この記事)で証明している私。二日の休みが確定した瞬間飛行機をおさえる。
(補足:2024年現在でも北海道は冬しか行ったことないよ!)

 しかし前回とは異なっていたのは、直前の予約ゆえにpeachが片道2万円近い価格になっていた。色んなリスクや快適さを考えた結果、もう数千円出してANAにした。

 出発前日。今回も始発便なので、リスク低減のために関空前泊を決行。上記記事の際に地味に作っておいたKIX-ITMカードの特典を利用し、ラウンジ?的な場所で寝る。利用時間ごとで支払金額が変わるため、最終のはるかで関空へと向かったが、既に床で寝られる席は埋まってしまっていた。しかし、前回の北海道からこの三年間の間、何もしてこなかったわけではない。ネカフェの椅子で寝ることも経験済だ。同等の椅子で寝ることなんて苦ではなかった。
 出発当日、朝ごはんは適当に。保安検査場を通ってぼーっとしていた。すると(求めてもいない話がやたら長そうな)旅好きのおじさんにしゃべりかけられる。自分がいかにお得なツアーに参加するか熱弁された。3泊か4泊で2万か3万みたいな風に言っていたと思う。こちとら北海道に行くだけでそれくらいするんだが? 私はそんな感じのテンションなので、適当に話を合わせている内に、おじさんはどこかに行った。そして、また別の若い女性に声をかけていた……。
 おじさんに1つだけ聞かれた。「北海道の何処へ行くの?」
 まさか、廃線になる路線に乗るために、一泊二日で夕張へ行くとは言いづらい。また広がらなくていい話が広がりそうな気がしたので、夕張の友達に会うみたいな感じで濁した。
 いよいよお待ちかね、恐怖の離陸の時間がやってくる。おじさんが真後ろの席も大概恐怖でしかなかったが。できれば飛行機なんて乗りたくなかったが、大して休みの取れない身分には、飛行機の速さを簡単に手放すことはできない。飛行機に乗らざるを得ないのであれば、どうにかして、恐怖心をやわらげなければいけない。恐怖心を感じるのは、あの強烈な加速と独特の浮遊感である。そこで、自らに言い聞かせた。


これは超進化速度に突入してるんだ、
シンカリオンに進化するんだ!

 大人気アニメにあやかってみた次第だが、これが功を奏した。恐怖心は消え、浮遊感も楽しみへと昇華した。飛行機への恐怖心を克服したということは、ついうっかりどこへでも行くことができてしまうのだが、これはまた別の話である。

いざ石勝線

 3年ぶりの新千歳空港。大谷翔平選手は北海道日本ハムファイターズから退団してしまっているため、駅のどこにもその姿は見当たらない。運行情報は念入りに確認した。無事であった。仮に鉄道がダメだったとしても、空港から、宿泊予定の夕張駅近くのホテルの無料送迎を使おうと思っていた。それを思うと、新千歳空港→新夕張の1070円の切符を買う行為はいささか馬鹿げているが、それが目的なのだから仕方ない。南千歳で快速エアポートから、夕張行きの普通列車に乗り換える。どこでも大人気(個人調)の気動車、キハ40系であった。優駿の文字が見える。調べると、日高本線用の優駿浪漫号とのことである。災害のため、日高本線の大半が運休していることから、こちらの運用についているとのことらしい。車内は、席の半分くらいが埋まっていただろうか。増毛のときほど、それらしい鉄道ファンは多くない。むしろ少ないと言った方が適切だろう。室蘭本線との分岐である追分駅で、乗客がかなり入れ替わったように見えた。


 信号場で行き違いを繰り返し(向こうでは行きあいと呼んでいた)、新夕張駅に到着。そこまで急ぐ旅でもないので、ここで一旦下車。列車だけ先に夕張へ行く。
 せっかくなので、新夕張近辺で次の列車までのおよそ4時間を過ごそうとした。そう、そこにある道の駅「メロード」。どこの道の駅でしょうとクイズに出されても夕張と即答できそうなメロン推しのネーミング、そんな道の駅に向かったが、車が一台も止まっていない。人気もない。おそるおそる入口へ向かうと、月曜日定休日とある。道の駅に定休日!? またもや北の大地の洗礼か。

確かに閑散としていたが。

夕張にて

営業していないものはどうしようもない。元々4時間もあれば撮り鉄も多少できると思っていたので、地図と時刻表はあらかじめ目を通していた。散策兼撮り鉄スポットの開始である。
 車とはすれ違うものの、歩く人とはびっくりするくらいすれ違うことがない。少し道を外れると、足跡が全くなくなってしまう。逆に楽しくなってくる。時折雲がかかることはあったが、よく晴れており、雪道を歩くとすぐに体があったまった。そうして撮り鉄できそうな場所へ到着。近くにトンネルがあり、線路内で作業する人に列車の接近を知らせる警報音も流れていた。つまり、列車はもうじき来る。その読みは見事に的中、やってきた列車を連写していく。絶妙なタイミングでいい感じに撮れたと思った写真は、列車の先頭に見事に何かの標識の柱が重なっていた。そんな痛恨のミスにもめげずに、その後も30分くらいその場で撮影にいそしんだ。

 昼食は新夕張駅近くの栗下食堂さんへ。地元の常連さんだろうか、何人か先客がいらっしゃった。名物はカレー蕎麦との事前情報だったが、残念ながら私はそばアレルギーで食べることができない。
 増毛の時の味噌ラーメンを思い出し、きっと期待できる味が出てくるに違いないと味噌ラーメンを注文。わたし好みのしっとり系チャーシューに、メンマも載っている。香ばしさあふれるスープは麺との絡みもよい。この上ない幸せである。町の食堂でこのクオリティのラーメンが出てくるとは大変恐れ多い。
 ちなみに、ここで食事を頂いた目的はもう一つ。JR北海道が発行している「わがまちご当地入場券」(現在終了)という写真入りの記念入場券がある。その夕張支線のバージョンが、沿線のお店で買い物などをした人を対象に配布されており、このお店も対象であった。意外とそれを目的としたお客さんはおらず、本当に配布しているのかと不安になりながら、店主に声をかけた。するとにこやかに入場券を出してくださった。嬉しい。お腹も心もほくほくで店を後にした。なお、行くあてはない。

個人的味噌ラーメン歴代ダントツトップ


 熱くて濃いものを食べたので、冷たい何かが欲しかった。散策のときに、セイコーマートがあったことを思いだす。北海道といえばセコマの、あのセイコーマートである。暇もつぶさなければならない。行くしかない。買うものはアイス。ちょうど夕張メロンアイスモナカがあったので、それを購入。駅に戻り待合室(引き戸で仕切られたような空間ではなく、駅の構内の延長に大きな木の机)で食べる。美味しい。幸せなひと時であった。
 さて、ここからの切符は、券売機で買うような金額が書かれた切符ではなく、夕張の文字が入ったマルス券(要は窓口で駅員に発券してもらう)が欲しかった。よく見たら窓口は15時30分で閉まるという。列車の出る15時55分ギリギリには買えないので、15時過ぎに切符を購入。新夕張→夕張の切符は経由が―――の表記になっていた。久しぶりの(1- )の切符(訳:JR北海道発行北海道内完結の切符)を手にし、暇なので関係各所に切符の写メを送る。皆面白いように(1- )や経由の表記に反応してくれた。

 いよいよ16時目前。ホームへと向かう。窓口が閉まったため、入鋏はない。ちょっと寂しい。ホームにやってきた列車は……。先ほど乗ってきた優駿浪漫号であった。夕張、千歳と折り返してきたようだ。
 満を持しての夕張支線区間の乗車だ。乗客はさほど多くない。雪に埋まった渓谷が車窓を流れていったかと思えば、住宅地もちらほら見える。この線路が、夕張という街に寄り添ってきたんだなと感じた。新夕張までの距離を考えると、そこから夕張まではあっという間であった。ホームに降りると、切符に乗車記念のスタンプを押してくださるボランティアと思しき方がおられた。また、映画「黄色いハンカチ」の舞台になったことから、駅ホームの至るところに、黄色いハンカチの装飾があった。こういった駅ごとのオンリーワンの風景は大好きだ。

新夕張へと折り返す列車を見送るボランティアさん

宿泊、そして帰路/忘れ物注意

折り返し、新夕張方面へ乗車していく人は少なくなかったが、私はここから宿に向かう。夕張駅と目と鼻の先にあったそのホテルは、夕張駅のわがまちご当地入場券、その夕張支線用の台紙、そのほか記念グッズを発売していた。入場券と台紙をフロントで購入。チェックインをすると、ホテルに直結するスキー場の割引券など色々もらうことができた。しかし、滑る系のスポーツは幾度となく死にかけてきたし、一人で滑ったとすれば、変なとこRに入ってそのまま遭難しかねない。体力的にも断念した。代わりに温泉へダッシュ。日帰り温泉として地元の方の利用が多いように見えた。
 夕食はバイキング。料理を取りに行っている間に、お皿が一掃されて席が分からなくなるといったハプニングもあったが、とりあえずカニをたくさん食べておいた。部屋へ戻る道すがら、ギャラリーのようなフリースペースで「ありがとう夕張支線 写真二人展」なるものが開催されていた。夕張支線の四季、日常を切り取った写真の数々は、この冬しか来ることができなかった私に、貴重な風景を見せてくれた。



 翌朝。やはり一人で朝食を食べ、忘れ物がないか念入りに準備する。ここでニット帽がないことに気付く。新夕張の待合室に置いたままだったに違いない。問い合わせ先を調べると、お客様センター等ではなく、主要駅に直接問い合わせてね! ということだった。新夕張駅に電話すると、少しお待ちくださいという声の後、見つかったとのことであった(多分待合室に見に行ったんだろうな)。心配されるのは受け取りであるが、自分の乗車予定の列車は新夕張で10分以上停車するため、取りに行く時間は十分にあった。少しほっとして列車に乗り込む。さすがに優駿浪漫号ではなかった。道央花の恵み号と書かれている。いわゆる北海道色のキハ40に乗ることはできなかった。逆にすごい?
 朝の夕張支線へ、雪に差す陽が一層まぶしく感じられた。名残惜しいが新夕張駅に到着。一旦下車し、忘れ物を取りに行く。(受け取り時に提示する身分証明書は、住所(当時大阪)が書かれている免許証か、同業他社の人間とばれる保険証のどちらにするか悩んだとか。)再び道央花の恵み号へ、この車両は車内に額装された絵が飾られていて、目で楽しめる車両であった、南千歳で新千歳空港行きに乗り換え。どうして復路はこうもあっという間なのか。


 時刻はお昼前。お土産購入と昼食を済ませる。お昼すぎの飛行機にしたのは、翌日の仕事に備え、たとえ飛行機が欠航したとしても、かろうじて新幹線で間に合うようにしたかったためである。飛行機に乗れれば、もちろん早く家に帰って休むことができる。空港と夕張の近さに助けられた部分は大きい。よそものが偉そうに言えることではないが、逆に空港・札幌からむちゃくちゃ遠い訳でもないのに、寂れていくのは悲しいものがある。
 帰りはちょうどいい時間の便が関空着でなかったので、初めての伊丹空港へ。普通に街の上を飛ぶからそこが少し怖かった。
 ちなみに、ニット帽に気を取られ、ホテルの冷蔵庫にペットボトルホルダーに入ったペットボトル飲料を忘れていた。

 補足
 宿泊した、ホテルマウントレースイは現在閉業している(スキー場は存続)。スタッフが洗練された風でないし、バブリーな造り、経年劣化による壁紙の浮きが気になったもんなぁ……。


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