笑顔と生まれ変わり

常に笑顔の人を見ると
「こいつはえらいやつなんだ」
と思う。
最近思う。
笑顔作るのって難しいなって

そりゃ昔は出来てたと思う。
昔からロースペックからアプデされなかったわけだから
ちいさいころのとりえなんて笑顔しかなかった。
小さい頃といいつつ小6とか中坊の頃まではそうだったのかもしれない。
こてっちゃんの笑顔がまた見たいだなんて小6の時の先生から届いた年賀状には書いてあった。

昔は素直にうれしかったんだと思う。
自分の笑顔が喜ばれるなんて平和ぼけしたような頭をして。
中学のいじめももしかしたらそうなのかもしれない。
笑っときゃなんとかなるとでも思ってたのかもしれない。
いや、高1半ばまではそんな感じだったかも。
中学の殴る蹴る壊すは遊びだと言われたのが高1の春と夏の間くらいで、、
おまえのメンタルは鋼かよとハブられても耐えられたのは高1の秋口くらいで、、
高1の最後の方まではそんな感じだったみたい。
高1の最後の方だろうか。
一緒にいてくれる子が出来て、ちょっとずつハブられてる感じがなくなって、いじりがいじめまで行かないような感覚になったのは。

一緒にいてくれる子は俺の答えを知っていたんだと思う。
途端に自分が無力になったのを覚えている。
嫌だといらつき、抜毛症の癖は戻り掛けた。
その頃くらいからだろう。
リスカを知ったのは。

ある日。
人にやらせる癖して文句ばかり言う部員にやたらといらついたのを覚えている。(当時先輩二人が休みで俺ともう一人しかいなかった。)
その日の夜もきっといらついて抜いたのだろう。
その日だけは抜いた気がしなかった。
収まらなかったんだ。
ふと友達の腕の傷がよぎった。
「あーこれすると収まるっていってたな」
そのときにはもうカッターに手は伸びていたのだろう。
確かに楽だった。
たった1~2本の傷だった。
血が出るか否か俺の血管が迷うほどの小さく細い傷だった。なのにそれが異様に体を楽にしたのだ。

次の日、罪悪感にとらわれて友達に謝った。
学習成果発表会の当日で合唱に出る日だった。
その日はリストバンドをした。
長袖に隠れたリストバンドは誰にも見られずに仕事をせず、しばらくの相棒になるとも思っていなかった。

この日、部活に出た俺は準備中に立てなくなった。
今思えば過呼吸なのだろう。
何も知らない当時は一人早く来た体育館のど真ん中で運んでいた部活で使う大きめのタイマーによしかかるしか出来ず、先輩方に助けられながら、職員室で少し話をし、嫌々親に報告をされ速い電車で帰ってきた。

その後はよく覚えていない。そこからだんだんとリスカの回数は増えていった。
友達に禁じられてカッターをとられたときは買い直して、友達には見えない肩付近に傷を作っていった。その肩もばれたときは喧嘩をしたのもぼんやり覚えている。

1度だけやめることが出来たことがある。

俺が2年になり、コロナが出始めた頃に起きたのは先輩の最後の大会がなくなり来なくなってしまったことだ。
最初は新しくなった顧問の先生にしごかれ、しんどいと思っていたが、しごかれた分はしっかり身につき、心の底からバドミントンが楽しくて、昼間はバドミントンの解説動画や練習動画ばかり見ていた頃。部活としてもラストスパートで本気だった。それが原因でリスカなんてやってる暇もなく、一時的にやらずに済んでいた。
ちなみにそれが終わったあとの大きな家族の圧やストレスで戻ったのは言うまでもない。

それからもやったり少しやめたりしながら、精神科に言われた鬱と闘いながらバイトを始め、大学に入学した。

大学行ってからのことはこのアカウントを見返せば鮮明にわかるだろう。きっとその心情は変わってない。

一時期は酒に溺れた。
酒と精神科の薬の相性は最悪だった。
二日酔いは昼間で残る。
日中はエナジードリンク。
そして酒が依存の対象になった。
しかも味の好みはストレート。
ブラックニッカを氷もなしにグラスに入れて飲むことが多かった。
今でも味の好みは変わらないからたまにやるが、
精神科の薬を飲まないために酒に依存することはなくなった。
エナジードリンクには弱くなり、異様に体が反応するようになった。
カフェインが痛いと感じるほどなのはなかなかなのだろうが、どうしてもの時は気にせず飲むことにしている。

どんなに何かをやめても自傷だけは治ることはない。
今も血を流しながらこれを書いている。
タイピングする左手は、少量の血がないだけで空っぽ。
冷たい空気だけが流れている。

最初に私は常に笑顔の人はえらいやつなんだと思うという話をした。
笑顔が取り柄な小さな男の子は大きくなったとき、笑顔を作るのだけで精一杯な男か女かもわからない奴になってしまった。
腐れたものだと思う。
だれかが廃人という言葉を作った。
私はこの言葉は好きだ。
自分をうまく表してくれていると思う。
左手首には傷。
体は3万の中古車のように不具合だらけ。
相手のうれしさに応えて上げられないほど弱い人間はもしかしたら廃人といってもいいのかもしれない。
純粋な少年がいつまでも純粋に生きることはある一種の天才なのだろう。
純白に育つはここまでおちぶれたのだから。

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