見出し画像

映像演劇の衣装に関する私見(メモ)

以前書いた映像演劇のことを振り返ってみて、あの時妻も疑問に思った衣装について急に自分の中で考えがまとまったので備忘録。


映像演劇に登場したキャストは二人で、二人とも拘束具を身に着けていた。

観たときには 何かに縛られている ことの暗喩かなーと安直に思っていたが、本当にそれだけだろうか。

映像演劇において、少なくとも僕はそこに人物が実在しているような印象を受けた。
ただ、リアルな人物が実在している感覚はあるのに、自分達と同じ人間とは思っていなかった不思議なズレを覚えている。

作品を通して感じた“境界線”というキーワードを含めて考えてみると、僕達の世界とは違う世界の境界からこちらを見ている人物たちがキャストだったように思う。

と、すると、あの人物達は限りなく僕達に近い見た目ではありながら本質的には全く異なる生き物かもしれない

そう考えた時、もしあの作品がそれを観客に伝えたいと思った場合(謂わば演出側に立ってあの作品を考えた場合)、どのようにすべきか。

語り手を用意するわけでもなく、解説があるわけでもない、良い意味で(?)不親切なあの作品でそういった印象を与えるには、あちら側の人物にこちらとのズレを与える何かしらを用意する必要がある。

例えば男にスカートを履かせ、女には違う物を履かせるといった手法もあるかもしれないが、多様化するこの世界ではそれが必ずしもズレには繋がらないし、そういった偏った恣意的な印象を与えたいわけでもない。

奇抜な衣装やネコ耳と言った、明らかにこちらと異なる物を身に着けてもズレを与えることはできるが、それでは無駄な情報が多すぎる。
言い方を変えると、ズレが大きすぎる。

じゃあ他にどんな方法があるかを考えると、僕には出てこなかった。
大抵のことは何をやらせても、「こういう人もいるよね」と何かに当てはまってしまうか、あまりにもかけ離れて「フィクションだね」となってしまう気がする。

平然とボンテージを着用しているあの姿は、ボンテージであることに意味があるのではなくて、ボンテージでしかそれを表現できなかったのかもしれない。

もちろん自由からの拘束、などそういった意味も持たせてるとは思うが、それがメインでは無いんじゃないかなあと。


今度演出の岡田さんの話を聞く機会があるので、もし可能なら聞いてみたいな。

"答え合わせ"のような行為は冷めてしまうかもしれないが、それでも少しでもその感性に近づいているなら嬉しい。

少なくとも、面白いねと思ってくれたら嬉しいな。


サポートいただいたらもう嬉しすぎますが、サポートよりも良いなと思った記事があればシェアしてもらえると嬉しいです😂