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ぶっ転ばす

中学の頃。

先輩に詰め寄られた時に言われた「ぶっ転ばす」

母親に「ころす」って言葉は使っちゃいかんと怒られ生み出した言葉だと言う。
つまり先輩の「ぶっ転ばす」は即ち「ぶっ●す」という意味なので穏やかではないが、
僕は妙にその言葉を気に入って未だにたまに使う。


僕は今仕事で結構大きなプロジェクトの立ち上げに携わっている。

年度の頭からずっとそのプロジェクトのために奔走し、それは来月、1つのゴールを迎える局面に来た。
ギリギリ日付はまたがない時間に帰宅しているが、心身ともにボロボロになってきている。

組織で動いていることなので僕は歯車の1つにすぎないが、それでも重要な歯車を担っていると思っていたし、それなりに全力で取り組んできたつもりだった。
目に見える物から目に見えない物まで、結構本気でやってきたつもりだった。

先日これまで向かっていた方向性が根本的に覆るような、そんな話があった。
今までやってきたことがなんだったのか、一瞬迷子になるような感覚。
それでもこれまで積み重ねて来たものが無駄にならないよう気持ちを切り替えて次に進もうと思った翌日。

どうやら現場にはいない天上人が、僕のことを「やりたいことしかやってない奴」という評価をしてるらしいことがわかった。

確かに僕はプロジェクトの中でも目立つことをやっていて、外から見れば花形な仕事。
ハッキリ目に見える仕事なんてそうそうある物でも無いし、どうしてもそういう印象がつくのはわかる。

けれど、僕はその仕事を組織のためにやってるという感覚でしかなかった。
誰も他にやらないなら自分がやるしかないと。
確実に組織にはプラスになると確信していたし、実際に成果も出ている。
別に自分が目立ちたいとか、自分が結果を出したいとかそういう利己的な感情は持ってなかった。

もちろんそういう仕事だけじゃなく、目に見えない物も人並み以上にこなしてきたし、組織内でも温度差のある人間関係の間にも入って、メンター的な役目も果たしてきたと自負している。

しかし、「好きなことしかやってない奴」らしい。
本流の仕事を疎かにしているんじゃないか、らしい。

どんなことを言われても、1本芯が通っていれば突き進めば良いと思ってここまでひたすら走ってきた。
長いトンネルを、微かな光を目指して走ってきたつもりだった。

知らず知らずのうちに相当気を張っていたんだと思う。
「好きなことしかやってない奴」という評価を聞いた瞬間、張り詰めた糸がハッキリと自分でもわかるくらいプツリと切れた。

自分の立っている場所が音を立てて崩れていく感覚。

僕は初めて職場で泣いた。
泣いたというか、顔は笑ってるのに勝手に涙が出てきた。
人のいないところに移動してひっそりと泣いた。

転ばされたな、と思う。

必死に走ってきたが、足払いをかけられた。

現場にいる同僚達からはそう思われてないことはわかってる。
誰が評価しようがやることは変わらないし、自分がやってきたことが間違ってはないから、同じように仕事はしていく。

再び糸を張り直して前に進むしかない。

プロジェクトは来月1つのゴールを迎えるけれどそこで終わりじゃない。
それ以降もずっと続いていくものだから、できる限りそれからも貢献していきたいと思っていた。


だけど今は先のことを考えるのが嫌になった。
目には見えない自分の中の何かが壊れてしまったんだと思う。
人も物も、壊すのは一瞬だなと思った。

前までなら「ぶっ転ばしてやる」と見返してやる精神でエネルギーに変えられていたはずなのに、そんな気持ちも出てこない。

ここ最近、頭の中ではアンパンマンの「何のために生まれて 何をして生きるのか」という歌詞が頭の中でリフレインしている。

評価されるために仕事をしているわけじゃないけど、結局人は心で動いている。
じゃあその心が壊れたら、どうやって動いていくんだろうか。


久しぶりにウォークマンをひっぱり出して、SpotifyでもYouTubeでも聴けない曲を聴いた。

それでは聴いてください。

マキシマムザホルモンで、『ぶっ生き返す‼』


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