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#35 優しさの根源


“なんで私は人様に優しく接するのか それは…… 私に接してくれる人が優しいからです!!! それだけ! 酷いこという人に優しくしません!!! 同じように酷いこといってもメリットが一切ありません もしかしたらこの考え方の根底は 「損得」なのかもしれません”

これは1年以上前に書いた記事の最後の部分。

今回はこれと、X(旧Twitter)で見つけたある投稿を結び付けながら、「やさしさ」についてまた1つ、紐解いていこうかと思います。

まずは、その投稿内容を要約してみます。

ざっくり言うと、
「中学1年生の時に私(投稿主)をいじめていたその首謀者が、中学3年生の時、運動が苦手だった私をマラソン大会の練習に連れ出してくれた。その当時はいじめっ子が優しくしてくれて素直に嬉しかったが、数年後、あの行動は内申のためだったのではないかと気づき、自身の安直さを恥じた。」

「でも最近になってその気持ちは進化した。たとえいじめっ子の優しさが打算からきたものであっても、放課後制服姿で一緒に走ってくれることはなかなかできることではない。一連の経験で自信もついた。ならいいんじゃないのか。この世の善意は100%ではない。大切なのは、自分も相手も完全な善人と思い込むのではなく、善意には一定の打算や承認欲求、優越感や贖罪が含まれることを意識し、それを踏まえた上で感謝するべきことには素直に感謝することだ。」

こんな感じです。

私が#11で書いた、「損得」も、善意の中に含まれる要素の1つだと思います。

この人に優しくしておけば後々いいことがあるかもしれない。この人には優しくしないとひどい目に遭う。

だから、優しくあるんだ。

この投稿を見た時、少し胸が苦しくなりました。なんだか、人の心の生々しい部分をえぐってくるようで。なまじ頭が良くなりすぎたゆえに、人の行動には理由が伴うことがほとんどになりました。

相手の善意にまでなにか裏があるのではないかと勘繰るようになってしまったと知られたら、子どもの頃の自分に叱られそうです。

この投稿を読んで、完全な善人などいないことには納得ですが、やっぱり私は理由なんてない人の心の奥底に備わる「反射的な優しさ」があることを信じ続けていきたいと思うのです。

熱い鍋に触れてしまった時、「あつっ!!!」て言って瞬時に手を放しますよね。

その時指が受けた刺激は、脳を経由せずに直接神経の中枢から筋肉に指令が伝わることで瞬時に指を離せるのです。

それを優しさに例えるなら、傍に泣いている人がいたから寄り添ったとかでしょうか。

誰かのために、自然に行動ができる。

ただシンプルに「助けたい」「守りたい」。

この「反射的な優しさ」は人間が誇るべき純度100%の優しさであると思いたいです。

優しさなんて言葉で表現できるものではないくらい大きくて、眩しくて、温かい感情です。

優しさは自分では意識されないから優しさたりえるのであって、自身が優しさと認識してその行動をしてしまった時点でそれは優しさではないのです。

ただ自分が受け取った温かい気持ち、行動を誰かに返したい、そしてまたその温かい気持ちを受け取った人が、くれた人に対して「優しいな」って感じること、それが優しさの根源であり、優しさの概念なのだと思います。

#2でも、優しい人とは相手に寄り添う姿勢のある人と私は書きました。その寄り添われた人が感じる温かい気持ちの総称が優しさです。

“なんで私は人様に優しく接するのか それは…… 私に接してくれる人が優しいからです!!! それだけ! 酷いこという人に優しくしません!!!

冒頭で紹介した#11の最初の言葉も、誰かから受け取ったものを渡したい、届けたい、そんな気持ちが行動原理になっているとも読み取れます。

損得や打算とも見る人によっては読み取れちゃいますから、結局のところ、相手がくれる善意に疑いの目を向けるなんて時間の無駄ということですね。

相手を信じることが大事なのかもしれません。投稿主さんのように素直に感謝する。

たとえそこに打算が混じっていようとも、受け取ったあなたが新しいパスを誰かにしてあげればいいんです。

難しいこと考えずに、「ありがとう」の気持ちを繋いでいきましょ!






今回はXの投稿と過去の自身の記事から「やさしさ」についてみていきました。

このブログを始めてからやさしさに関する記事はこれで3本目です。

自分でもなんでこんなにやさしさについて考え続けるのだろうかと不思議に思っています。

それは、優しい優しい言われ続けてきた自分が大人になるにつれて、自分が優しいだなんて到底思えなくなってきたからなのかもしれません。

掴みどころのない、でも強い気持ちの結晶は、自分ではなくその気持ちを受け取った相手にしか見えないものなのだとしたら、この葛藤は無意味で、言われたことをそのまま飲み込めばいいのだと思いました。

自分からみて自分が優しくないのなんて、よほどのローランドでもない限り、当然なんです。自分で決められることでもないですし。

でも相手に優しいなっていう感情、ありがとうの感情を届け続けたらまわりまわって自分に帰ってくると思います。

だから、

”優しい人は決まって誰かに「優しいね!」って言葉にする

#2より

のでしょう。


いろいろ考えちゃいましたが、結論は

  • 優しさはその感情や行動を受け取った側が感じる温かさの総称

  • 難しいこと考えずに、受け取った温かい感情や行動には「ありがとう」

  • その「ありがとう」の気持ちを繋いでいく

の3つです。

私の考え事コーナーにお付き合いいただき、ありがとうございました!


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