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#43 癒心1人旅

傷心旅行、だなんて巷では言うらしいが、その言葉がなんか好きになれないのと、本当に傷心している人に対して失礼ではないかと思い、「癒す心」の旅とさせてもらう。

今回は、いつもの旅レポとは違い、旅したい人向けの文章ではなく自分の気持ちを整理するための文章になります。

風景の写真だけを集めた旅人向けの記事は別でアップします。

文章を書くことを、今はすごく大切にしたい。

自分のためとはいえ、誰かが、ああそうだよなあって思える、そんな言葉を紡げたらいいなと勝手に思っています。

では、どうぞ。






傷ついたとき、なぜ海を見に行くのか。

そんなことをYahoo知恵袋で聞いている方がいた。

その答えは、

  • どん底まで落ちて、沈んで、泣く。そうすると底が見える。その底を蹴ってまた頑張れるから。

  • 広い海を見ていると自身の悩みがちっぽけに感じるから

  • いくら泣いても目の前には大量の水があるから。

  • さよならを捨てにくるから

  • なんとなく

  • テレビドラマのイメージでは?

  • ただカッコつけたいだけ

最後のはまあまあ抉ってくる回答ですね。

私は、青くて広くてキラキラした海を眺めてると無になれるし、もともと自然の中で1人で気持ちを整理することが多かったからなのかなあと思います。

悩みがちっぽけに思えるってのは納得です。

広い海は、ちっぽけな悩みを包み込んでくれそう。



海岸沿いを車で走って、ときたま写真を撮るために降りる。

季節もよく、暖かな風に癒されますね。

周りに誰もいないもんですから、ばかやろーーーなんて叫んでやります。

悩みって外部に出力すると楽になるんですよ。

声に出すでも文章にするでも、だから今こうやって書いてるんです。




なんだか「君の名は」に登場する糸守のカフェみたいですね。

こんなカフェもあっていいです。

ここを開拓してくれたであろう地元の方に感謝して、ひと休みします。


***


これを書いてる今こそ、波はあれど落ち着いてきています。

でも、この日の海に行く前の午前はHuluで恋愛映画を見ている母に対して「それは映画でしか萌えんタイプのセリフやね」

って冷たい一言を言い放つほどには暗かった。

だってさ、「俺の彼女なんですけど」

なんてくっさいくっさいセリフですよ。

こんなん見てられないですよ。

まぁ、自信をもって真っ直ぐに伝える姿勢は尊敬ポイントなんですけどね。

はあー。

朝は起きたとたんに現実を突きつけられるため、ちょっと苦しかった。




思ってることを、言葉にして、相手の目を見て伝える。

SNSがいくら普及したって、結局大事なことって、口で伝えて欲しいんです。

言葉って気持ちがのってなんぼ

この言葉は、今の私をつくっているくらい大切な人が残した言葉。

ただフリック入力しただけの文字で、すべてをいきなり終わらせられることがどんなに雑で、受け取った人の心を苦しめると思う?

送信ボタンを押してしまえばもうそれで完了なんですか。

あなたが会話してるのはスマホじゃないんです。その向こう側にいる、1人の生身の人間だ。

そりゃ、あなたは送信した後に、いつもの日常にすぐ溶け込めるかもしれないけど、こっちはいきなり突きつけられた現実に飲み込まれるんです。

嬉しいなら嬉しいって、嫌なら嫌って、喜怒哀楽は表情がついてこその喜怒哀楽なのであって。

モヤモヤすることがあるのなら、直接伝えてよ。

ありがとうと、ごめんなさいは目を見て言おうよ。

後出しの、表情のない、本当か嘘かも分からない無機質な文字の羅列がどれだけ怖いか。

どうしたって、追われる側が、追う側より強いし、決定権を握ってる。

振る側だって直接伝えるとめんどくさいことになるかもしれないし、そもそも興味ない人のために時間を割くことが嫌なんだろう。

振るのが申し訳なく思うのかもしれないし、モヤモヤをぶつけたりして向き合うことすらめんどくさいのかもしれない。

これは想像の範疇なのですが。

振る側に立ち続ける人間は、どうしたって振られる側の気持ちは理解できない。

それと同じように、振られる側に立ち続ける人間は、どうしたって振る側の気持ちは理解できない。

振られた側の言葉なんて、結局全部負け惜しみで括られてしまう。

それが悔しい。

でもさ、それでも振る側にも責任はあるよ。

だって人を長い間翻弄したんだから。

知らなかったとか、理解できないとか言われても知ったこっちゃない。

今までが全て建前だったとしても、こっちは不器用ながら試行錯誤して頑張ってきたんだから。

傲慢だと思うけど、

振るんならきっちり最後まで向き合え!!!





ほぼ2年前に書いた「曖昧」という記事にとても共感している。そりゃ、自分で書いたんだから当たり前だがなぜか新鮮なものを読んだように思える。

本当に大事なことは直接伝えたいし伝えて欲しい。

それができずに終わってしまったことだけが本当に悲しい。

もう直接は伝えられないから、振られた後の、一番心が荒んでいるときに、自分の気持ちを必死に文字に起こしてさっきの気持ちの半分くらいを送った。

今までは後味だけは良くしようと、綺麗な言葉を並べていたのだが、その時私はこう思った。

「向こうはちっとも気にしてなくて、向き合ってもくれやしないのに、なんでこっちはこんなに悩んで、苦しんで、それでも綺麗な言葉で締めくくろうだなんて馬鹿みたいなこと考えてたんだろう」

って。

どうせ今更どんな言葉を投げようと、気にも留めやしないんだから、自分の正直な気持ちを書いた方が楽になれるじゃんか。

相手を責めず、自分が悪いかのように振る舞い、いかにも明るく傷ついてないよ感だして終わらせる。

それが正しいのか??

いつでも暖かい言葉を置いていくのが自分にとっての優しさなのか?

私は聖人君主じゃないんだよ。

モヤモヤを抱えて泣き寝入りなんてごめんだよ。

後悔とか悔しさとか悲しみとか怒りとかが混じった黒い泥のようなものがうごめく中、私は送信ボタンを押していた。

今見返せば、罵詈雑言とか人格否定はないにしろ、異性にあそこまでキツイことを直球で伝えたのは生まれて初めてだった。

傷ついたことを伝えることで、相手も傷つくことは分かっていた。

でも、傷つくほど本気だったことは理解して欲しかった。

こんな結末になる辺り、私もあなたも、全然「いい人」なんかじゃないんだと痛感する。

もし傷つけていたのならいつか謝ります。

こんだけ考えて送った文章も、結局明日には忘れているんでしょうけど。

追われる側って、それくらいさっぱりとしている。


あと最後に1つ。

「このブログをたまに覗いている」

って言ってたことあったね。

”たまに”の価値観がズレてるならしょうがないけど、些細な会話で、あ、読んでないなって分かるんです。

何も読めって言ってるわけじゃないです。

無理に読んで欲しくて書いてるわけじゃないから。

このブログはたまたま通りがかった人のスパイスになればいいって気持ちで、たまに友達にもリンクを共有してるってだけで。そのリンクも押す押さないは個人の自由です。

でも、「覗いてる」ってこと、さらに「これは内緒」ってわざわざ本人に伝えておいて、一瞬だけ喜ばせておいて、その後はきまぐれになること。

それが人を翻弄するってことです。

本当に陰ながら支えてくれる人は、リンクなんか共有しなくても読んでくれてたりします。

そういうことです。

こんなことの積み重ねが、こういう結果に繋がるんです。





***


はーなんか全部書いたらスッキリした!

さっきのベンチに座って考え事してたらもうあらかた吹っ切れたのかもしれません。

自分が苦しむなら、「いい人」になんかならなくていい。

自分を犠牲にしてまで優しくある必要なんてない。


何か新しいこと初めて、忘れちゃお!!

帰りは思いっきり海楽しんで、温泉にも入って。

今日はとりあえず自分を癒して、癒しまくろう。

何をしたって何を考えたって、明日は平等にやってくる。

なら、その明日を堂々と迎えてやろうじゃないの。

この1年で得た経験値を存分に生かしてやろうじゃないの。

私のいいところは楽観的なところ!!!

明日も、精一杯生きて、生きてやるから見とけよ!


#43 癒心1人旅 おわり

(次回、この旅の詳細を書きます!)



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