「今ここ」という考え方
過去があって今があって、その延長上に未来がある・・・きっとこれが、通常の「時間」という概念。
でも、過去は記憶の中にしか存在しないし、未来が今の延長上にあるとは限らない、と私は考えたりします。
そもそも、時間は本当に過去→今→未来という順番で流れているのでしょうか?
こんなことを家族やリアルでの知り合いに話すと、きっと「頭でも打った?大丈夫?」と心配されてしまいますが、時間について見方を変えたら、私は気持ちがラクになりました。
時間は「今」の連続
「今」って何?
こう聞かれて、明確に答えられますか?私は答えられません。
1分、それどころか1秒前も、こうして文字を入力している1秒後も、正確には過去だったり未来だったりします。
ほんの一瞬の「今」がずっと連続していて、私たちはそれを時間として認識するのです。
昨日のテレビおもしろかったなぁと考えている瞬間も「今」、今晩のおかずは何にしようかと悩んでいる瞬間も「今」ですよね。
今ここに、目の前にある物事に対して、ただ誠実でありたい。
それを意識しつづけることは難しいけれど、誠実に向き合った「今」が過去になり、未来になっていくと私は思うのです。
未来は未確定?
未来はすでに決まっていて、その確定した未来に向けて「今」私たちは行動している。
「は?何言ってんの?」
意味不明だし、常識はずれですよね。
しかも私、さっき「今」が未来になっていくって書いたばかりです。汗
ちょっとひねくれものの私は、常識をたまに疑います。
常識とか正義とか、それって本当に正しいのでしょうか?
・・・と、この話は長くなりそうなので次の機会に書くとして・・・
「今」に誠実に向き合っていると、未来を教えてくれているのではないかと感じることが起こります。
(自分で書いていても怪しいぞ~、宗教とかカルトとかは信じていないのであしからず。)
それは誰かとの会話中の言葉だったり、ふと目にしたインターネット上の文字だったり、テレビから聞こえてきたフレーズだったり。
私の場合は、初詣でばったり会った知り合いと、その年に良くも悪くもガッツリ絡むことになるケースが多いです。
なので初詣に行くときは毎年ドキドキします。
そうして直感的に感じた未来は、たいてい感じたとおりにやって来るので、「このことだったのか」とミョーに納得。
私なんかが抵抗してみても悪あがきにしかならないので、思い切って流れに乗った方がうまくいくから不思議です。
信じるか信じないかはともかく、もし未来が確定しているのなら、もっと肩の力を抜いて「今」を楽しみたいですよね。
過去はただの過去
楽しかった過去を懐かしんだり、失敗した過去を反省して今後に活かしたりすることは大切です。
生きていく上での活力や羅針盤になることもあります。
では、思い出したくもない過去はどうでしょうか。
トラウマになってしまうほどの過去から学ぶべきことを学んだら、もう思い出す必要はないはずです。
無意識にフラッシュバックしてしまうときもありますが、私はそのまま意識に上げずに忘れるようにしています。
過去の出来事は、「今」目の前で起こっているわけではありません。
今ここにいる自分には、関係のない出来事です。
「過去を思い出して辛くなるだけの時間なんてもったいない。そんな感傷に浸るくらいなら、もっと生産性のあることに時間を使った方が有意義だし、それが無理ならいっそのこと何も考えずにゆっくり寝る!」
これが私のスタンスです。
頭の中の思考は言葉に当てはめることで、さらにハッキリとしたものになります。
だから、もやもやした思考を言葉に変換しなければ、ぼんやりしたままで消えていってくれるのです。
そもそも過去は記憶の中にあるものなので、美化されていることもあれば勘違いしていることもある、曖昧で不正確なものだと思いませんか?
まとめ
未来を心配して悩んでも、先のことは誰にもわかりません。
予測して備えることは必要ですが、答えの出ないことに悩んで時間を割くより、「今」実際に行動したほうが早いです。
行動することで違う未来になるかもしれないし、最悪の未来だったとしても、さらにその先にはもっといいことが起こるための布石かもしれないですよね。
過去に必要以上に囚われていても、過ぎたことは変えられません。
これから後悔しないためにも、過去の学びを活かして「今」できることをしましょう。
こんな不安定で先の見えにくい時代だからこそ、私は「今」に誠実に向き合っていきたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございます。誰かのお役に立てるように、これからも頑張ります!