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貧しい土地に咲く花

「俺、この街にずっと住みたいっす」
先日、夜、家近くにある田んぼの畦道を部下と散歩していたら、ふと彼がこぼした。
そうかと頷きつつも、なんでまたと思っていた。
彼は沖縄という遠い南の地から秋田に学びに来て、偶然が偶然を呼んで、共に仕事をする仲になったのだ。
勿論、ずっとここで過ごして欲しいし、ずっと共に働けるに越したことはないと思っている。
しかし、そうは言ってもなかなかそう思い続けることは難しいだろうと思ったのだ。
僕自身、パリにいた時、ずっとここに住みたいと思った。
「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」
ヘミングウェイの移動祝祭日を開いて、1話でも読む度に、ああ僕はパリに住んでいたよな、と郷愁に浸ってしまう。アパルトマンから出てすぐのカフェのオープン席で飲むアロンジェと煙草の香り。ルピック通りの坂を上って、アベス通りの中のブーランジュリーに入るとふわりとかおるバゲットの香ばしさ。マドレーヌ駅に降りると感じる、あの鼻にまとわりついてくる硫黄臭。ローム通りに立ち並ぶ古びた楽譜屋やピアノ屋。思い出を挙げれば、キリがない。
しかし、そうはいってもその郷愁も束の間のことで今の居心地の良さに勝るかと言われると、肯定しかねる。
なんだかんだでこの田舎での生活やコミュニティが僕にとって心地よいのだ。

彼自身も様々な留学経験のある男だ。パリはもちろん、エストニアにまで留学していた男が、まさか秋田のこんな片田舎に何を感じるのだろうと正直怪訝に思っていたこともあったのだ。

歩きながら、堀内誠一×谷川俊太郎共著の「音楽の肖像」を読んだことを思い出した。
堀内氏によるスペインの作曲家グラナドスのエッセイのところに「民謡は貧しい土地に咲く花」という文があった。
その時、ああ、彼はきっと僕と見えている景色が違うのだなと感じた。
「花」は場所を選ばず咲き誇る。都会に咲く花も田舎に咲く花も、皆一様に魅力がある。
僕がパリで様々な情景に「花」を見つけたように、彼は秋田のこの情景の中に「花」を見つけたのだ。
それはただ心地よく住んでいるだけの僕には見えなかった。あまりにも当たり前過ぎて見えなくて、きっと今後も僕に見つけることはできなかっただろう。
彼が見つけてくれる「花」を眺めながらこの故郷で過ごせていけたらどんなに幸せかと思った。

「どっか空き家ないですかね?俺、ほんとここに住みたいっす」
歩きながら、そうかと頷いた。
ふと、顔を上げると、満天の星空と月明かりと少しの街灯に照らされて、田園風景が見渡す限り続いていた。

ギター
       谷川俊太郎

いつからそれがそこにあったのか
そこにあるのが当たり前のようになっていて
誰もそれに目をとめなくなっていた
買った覚えはない
誰かにもらった覚えもない
友だちが忘れていったものかもしれないが
それが誰だったか見当もつかない

それがそこにあることに気がついたのは一昨日のことで
それからずっとそれがあることが気になっている
手にとって弦をはじいてみると音がする
明らかに自然の音ではない人間が立てる音だ

私が弾いたその小さな一音がすでに
音楽のプライドを主張しているような気がした
放っておいたのを申し訳ないと思った

ギターの曲を聴きたくなってウェブで探した
題名に引かれてグラナドスの「詩的なワルツ」を聴いた
聴いているうちに夕闇が降りてきた

引用
E.ヘミングウェイ、高見浩訳『移動祝祭日』新潮文庫 2009
堀内誠一、谷川俊太郎『音楽の肖像』小学館 2020


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