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言葉の企画2019

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言葉って何だろう?企画って何だろう?半年間、考え続ける。形にしてみる。BUKATSUDO連続講座「言葉の企画」にまつわるnoteです。
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#日記

生きている限りバッドエンドはない。だから明日も走り続ける。

ひたすら部屋の中にいてもわかるほどに、季節はめぐった。 部屋着に降格したTシャツに着替え、生ぬるい空気を外に放つ。窓を開ければもう、すっかりと夏のにおいだ。 感性が死ぬ危機感というのはこういうものかと、宙を見つめていた数日前。 もう久しく、自分のための文章を書けずにいることに気づいてしまった。 仕事で書くこととは別に、溢れ出す感情を好き勝手に言葉にして残してきたこのnoteも、最後の記事を書いてからもうすぐ半年がたつ。書けなくなったのは、書きたいことがなくなったということ

なんでもない日常に戻らない。

10月も半ばを過ぎて、すっかり街は秋の装いだ。しとしとと降る雨には少しうんざりするけれど、ときおり漂ってくる金木犀の香りに気分がやすらぐ。 ついこの間まで春だったのになぁ。 「言葉の企画」の振り返りをすると、時の流れの早さに気がついてしまう。 先日ついに、半年間の講義の最終回が行われた。 最終講義は、立候補した26人の企画生が前に立ち、「自分の企画」〜どんな企画をする人になりますか?〜をテーマにプレゼンするというもの。 わたしはちょっと悩んだものの、立候補をしなか

【後編】企画は、100円玉でつくる一生の思い出。糸井重里の考える企画とは「企画でメシを食っていく」特別イベントレポート

「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰の糸井重里さんをゲストに迎えて開催された「企画でメシを食っていく」の特別イベントのレポートです。 広告、作詞、文筆、ゲーム制作など多彩な分野で活躍している糸井さんに、コピーライターで「企画メシ」主宰、作詞家としても活動する阿部広太郎さんが「企画」にまつわる話を聞きました。 後編では、広告コピーと歌詞の違いや企画への向き合い方から、糸井さんの企画力を実感する展開に。「企画メシ」主宰の阿部さんが圧倒された糸井さんの企画とはー。 前編を未読の方は、こ

握手以上に、君に近づきたい

■見知った天井と、見知らぬ温かさ 目が覚める。 いつも見ている天井。自分の部屋。 昨日までの暑さとは、うってかわって、少し寒い。窓を開けっぱなしにしたせいか、いつもよりずいぶん早い時間に起きてしまった。朝の冷たい空気は、気持ち良くもあるが、どこか心にぽっかりと空いてしまった穴の存在を教えてくれる。夢の中で、何かをし忘れてしまったような寂しさを感じさせる、そんな目覚めだ。 ふと横に目をやると、文庫とすだちが置いてある。 卒業式でもらった「企画文庫」と、企画生が持って来て

飛び越えた先には、何があるかな。

学んだことはたくさんあるのに、いや、ありすぎてなのか、どうにも消化できていなくて思いっきりnoteの締め切りを過ぎてしまった。ごめんなさい。 最近、わたしは第二次思春期なのではないか?と馬鹿みたいなことを思ってしまうくらい、自分について考えつづけている。 でもまずは、学んだことをちゃんと自分の言葉にしないと。そこからまた、ヒントが見つかるかもしれないから。 *** 言葉の企画第5回では、映画をテーマにした「NAVERまとめ」をつくるという課題が出ていた。 わたしは映

言葉で人を照らそう

 僕は、もうすぐ、30歳になる。そろそろ、「人生の指針のようなものを決めなくちゃいけない年なのかな」、なんてことを最近よく思う。未だ、〝何にもなれていない自分〟に強い焦燥感みたいなものが重くのしかかる日々だ。子どもの時から人と話すことが苦手だった。とはいえ、別に不登校だったり、友達がいなかったりしたわけではない。父親の仕事の都合で、転校が多かった。その場所、その場所で当たり障りなく、友達を作り、当たり障りのない毎日を送ってきたのだ。    そんな毎日が大きく動いたのは、小学

量産型から対話型のコピーライターになろうと決めた日。

見つけてほしいという切なる願い。 ここにこんなにがんばってるやつがいるからどうかどうか見つけてよ。 頼む、と両手を組んで祈りそうなくらいの渇いた気持ちを抱きながら二十代の中盤を過ごしていた。 以前したこんなツイート。 「量産型」という言葉が大げさではないくらいに、当時、受賞を目標にして、書きに書いていた。広告コピーのコンテスト「宣伝会議賞」、若手コピーライターの登竜門。そこに、通るとご利益のある門があるなら、くぐりたかった。 仕事が終わった後、デスクで取り組んでいた

あがきもがいて飛び越えていこうよ

最近めちゃくちゃ好きになった言葉。 仕事にしてもプライベートにしても壁ってのはやってくる。その壁ができたときにどうするのかは自分次第。 飛び越えようと努力するのか。諦めるのか。 諦めるのならなぜ諦めるのか自分自身に問いてみる。 自分と対話することも重要。 今回、私は諦めてしまったことがあった。 自分と対話してみると、言い訳のようなことも出てくるし、色んなことが同じタイミング襲ってきてしんどくなっていたりもしていた。それを一人で溜め込んでいたけれど、誰かに話を聞いても

お願いだから、もう少しだけ。

「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた」 フジファブリックが歌うこの曲が、9月に入ってから頭を離れない。 先週の土曜日の最高気温は33℃。去ったと思った夏は、意外としぶとく居座っている。まだまだ終わりたくないらしい。 この日のみなとみらいは、アカペラを歌う大学生や、よさこいの衣装を身にまとった人たちがたくさんいて、にぎやかだった。先月来たときは、ピカチュウがたくさんいた。月に一度来るだけだけど、この街はいつも楽しそうだ。 いつも通り崎陽軒の炒飯弁当を買い

信じて、進んでゆけ

「朝、家を出て、青信号だったら、一日が幸せ」 仕事が決まると、次の仕事が決まってくるように、いい事は連鎖して起こることがある。偶然じゃないかと、言われるかもしれないが、僕はこう考えている。 小さな成功体験が、つぎの大きな成功体験をつれてくる 僕は、青信号だったとき、大袈裟に喜ぶ。それを続けていると、最高に幸せな気分になってくる。幸せな気分になれる方法は、案外、身近にあるし、自分の力でなんとかなる。 「じゃあ、赤信号だったときは、一日不幸なんじゃないか?」と思われるかも

ずっとコピーを書いてきた。でも、コピーを書いてもらったことがなかった。

よろこんでもらえたらうれしい。 こうして言葉にするとすごく当たり前でこまるけど。 僕はこのうれしさを味わいたくて仕事をしている。 こんなこともあった。 たくさん考えて、いくつもの気づきを繋ぎあわせて、未来への提案を言葉にした企画書を1枚ずつめくりながらプレゼンをしているとき。 相手の顔がすこしずつほぐれてきて、じーんと感動しているのが伝わってくると、うれしくて、うれしくて、生きててよかったなぁ…と、大げさでもなくそう思う。 最近、ある人に「阿部さんは僕にとって間違

わたしは、何に怯えているのだろう。

「素敵な人」がわからなくなってしまった。 素敵だなと思う人はたくさんいるはずなのに、「素敵な人」は誰かと聞かれると、さっきまで浮かんでいた顔たちはぼんやりと霞み、思うように言葉が出ない。 胸がざわざわとして不安になる。 わたしはいったい、何に怯えているのだろう。 ◆ ◆ ◆ 第4回目の「言葉の企画」の課題で、「あなたの素敵な人について書いてください」というお題が出たとき、思い浮かんだ人は何人かいるのに、いざ書こうとすると誰についてどう書いたらいいかわからなくなってしま

嬉しくて泣いた日。

わたしは、めったに嬉し泣きをしない。 嬉しいことがあっても、心のどこかに「冷静にものごとを見ようとする自分」が鎮座しているからだと思う。 おそらく、自分の心を守るために。 ただそれは、自分の心の奥底の気持ちにちゃんと向き合えていない、ということの証左でもある。 今回の「言葉の企画」の講義。 わたしはこっそりと泣いていた。 ほんとうに嬉しかったからだ。 冷静な自分は、そこにはいなかった。 *** 「私の素敵な人」をテーマにエッセイを書くという課題。 わたし

白紙が新たな扉かもしれない

私は文章を書くのが苦手だと思っている。 周りからみると実際そうじゃないのかもしれないけど、自分自身では思い込み過ぎて苦手意識が今でも中々とれない。 そんな私は、5月から通っている講座「#言葉の企画」で、 あなたの「素敵」な人について、のエッセイを書く (noteにアップする) という課題があった。その課題を聞いたときから少し憂鬱な気持ちになっていた。 「まずエッセイってなんだろうか?」 「文章どんな風に書けばいいのかな」 「どうやって自分の中で整理して書きあげて