最近あった猫の感動とほっこり話

ここ数日あったとある猫の話をしよう。

数日前、家のポストに行方不明の猫を探している旨が記されているチラシが入っていた。

普段、そういうチラシを見ても心当たりがあることなどほとんどないから、すぐに捨ててしまう。

だが、今回のチラシは1度捨てようとして思い留まった。なぜなら、僕はそのチラシの写真の猫に心当たりがあったからだ。

このチラシがポストに入る更に数日前、夜ぼんやりとベランダに出ていたら(煙草吸うためにベランダへ出たw)、隣のマンションの階段に珍しく猫がいた。ベランダに出て人間以外の動物を目撃することなどほとんどないため、僕はその猫を偶々写真に収めていた。

チラシの猫と僕が撮った写真に写る猫は似ていた。チラシに載っていた捜索者の大まかな住所と僕の家は比較的近くで、もしかすると…写真の猫とチラシの猫は同一猫かもしれないと思った(同一猫って言葉は日本語として合ってるのか?w)。

僕はチラシに載っていたメールアドレスに僕が撮った写真と目撃した大まかな場所を添えてメールを送ってみた。すると、返信が来ておそらく捜索している猫だという。

メールの送り主はチラシを配布して周ったが実際のところあまり情報は集まっておらず、困っていたらしい。そんな時に僕のメールが届いて捜索範囲の再検討などに役立ったようだ。僕としても僕が提供した情報が捜索に役立てばいいなと思っていた。

そして、今朝起きるとまたメールが届いていた。メールの内容はなんと猫が見つかったということだった。捜索者の家付近での目撃情報もあったらしく、名前を呼ぶと反応があったという。何度も名前を呼んで出てきたところ確保したそうだ。いなくなってから13日後の発見だったという。家猫として飼育してきたため、これまで外に出たことがなかったらしい。そのため、狩りもできず、見つけた時にはだいぶ痩せてしまっていたみたいだが、元気な様子だったようだ。

僕が送った情報がどの程度捜索の役に立ったのかはわからないが、見つかってよかった。名前しか知らない。顔も具体的にどこに住んでいるかはわからないが、ご近所さんなことだけは確かなこと。見ず知らずのご近所さんの大切な家族が見つかって本当によかった。会ったこともない人の喜びを僕もおすそ分けしてもらったみたいな気持ちになり、とても心が温かくほっこりした。

会ったこともない人の幸せをこんなに分かち合うことができるなんて思ってなかった。

名前を知っている。顔を知っている。素性を知っている。そんな要素がなくても、人は喜びを分かち合えるということを改めて認識した。そして、自分が見ず知らずの誰かの幸せを喜べる人間だってことがわかった。

ごはんをみんなで食べると一人で食べる時よりもおいしいのと同じように、自分だけが幸せなことよりも、他の誰かも幸せなことの方が尊い。

一匹の猫を通していろんなことを教えてもらえたな。猫ちゃんありがとう。



こんな温かな気持ちになれたことを忘れたくなくて、このnoteに書き残しておきたくなったのでした。


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