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お顔、見せてもらえますか?

今朝、昨日パン屋さんで買ったパンと自分で淹れた珈琲とで朝ご飯を終えて散歩に出た。

ふら~っと歩いて、気まぐれの気分屋の本領を発揮してものの五分ほどで家に引き返しはじめた。いつもと少しだけ違う道を通っているとたまに顔を合わせるご婦人と出会った。

その方が開口一番、「ウチのワンちゃん、亡くなったんです」と言った。

その亡くなったワンちゃんというのが、猟犬にルーツを持っていそうな足の長いそれはそれは立ち姿の美しい子だった。

あまり人が得意でないようだったけど、ここ数年僕はその子の散歩中に頭を撫でさせてもらっていた。老いが忍び寄って足腰が悪くなっているその子なら、少し恐怖心が和らいで近づけるようになったからだ。

「今から出棺なんです」

そう言ってきっと泣きはらしただろうに、ご婦人は素敵な笑顔だった。迎えに来た車のトランクに棺桶が見えた。思わず口をついて出た。

「お顔、見せてもらえますか?」

結論から言うと、出棺前ではあったがまだその子は家のリビングにいて不格好だがお庭の窓からお邪魔して顔を見せてもらった。

大きな体と長い足は亡くなっても美しく、うっすらと開いたままの目は少し遅寝をしているから起こさないでと言っているようにしか見えなかった。

その子を見て、はじめのひと言は「よくがんばったんだね」だった。手袋を外して、少し前足を撫でてその場を辞した。

命は必ずいつか亡くなる。動物だろうが、人間だろうが、花だろうが、木だろうが。

二年前に亡くなった我が家の愛犬のモモを思い出しながら家に帰り、自室でベッドに横たわってなんとも言えない気持ちになっていた。

どんな命も必ず尽きる。この元旦にも多くの命が尽きたはず。

大学生の頃、哲学の講義で先生が言った。

死に方は選べないが、生き方は選べる。

生きていると惰性とまでは言わないけれど、なんとなく日々を過ごしがちである。その一日はきっと誰かが死ぬほど生きたかった一日かも知れないのに。

多分、どれだけ精一杯生きても悔いは残る。何をしても後悔はする。でも、それでも。

今ある命に感謝して、今いる場所に感謝して、今ある物に感謝して、今いる人に感謝して生きていたいと思った。

名前も知らないけれど、生前僕を慕ってくれてありがとう。最後まで美しい生き様だったのだろうと思います。先に天国で待っててね。僕は地獄に行くかも知れないけど、無事天国に行けたらまた頭を撫でさせてね。

志紀

おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)