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しょうもないことを言える時、書ける時は精神衛生いい感じ説

今朝、玄関のチャイムが鳴った。アマゾンから荷物が届くことになっていたので、十中八九そうだろうと思って玄関まで行った。

直前になんとはなしにいつでも外に出られる格好に着替えていたので慌てることもなく玄関のドアを開けた。

アマゾンの配達のいかつめの兄ちゃん(親しみを込めて)がメチャクチャいい笑顔で「お宛名間違いないですか?」と確認をして荷物を渡してくれた。すごく清々しい兄ちゃんで、荷物と一緒に何かこう吹き抜ける風のようなものを受け取った気がした。

気持ちのいい人間でありたいと僕は思う。スパッと物事を見て、言って生きていく、竹を割ったような性格というのが昔から自分の憧れだ。

むしろどちらかと言うと本来の僕はまどろっこしいことが嫌いで即断即決型でしかも融通が利かない、こうと思ったら曲げない超頑固者だ。だがやはりそれでは生きづらい部分があるわけで処世術として他人の顔色を見る技術を高めることになった。

そうするとどうなったかと言うと、まどろっこしいことが嫌いな僕がまどろっこしくなり、回りくどくなり、小賢しくなっている。

どういうことかと言うと、例えば僕がじゃんけんでグーを出したいとする。しかし周りにいる人の様子を見て、なんとなくチョキを出した方が良さそうだなと思うとチョキを出してしまうといった感じ。

でも本当の僕はグーを出したいわけで、だからすごく我慢をしてチョキを出すことになる。しかも回りくどくチョキを出すから周囲からも本当はよく思われていない、こういうことがコミュニケーションの上で頻繁に起きる。

先日で言えば珈琲を数名の人に淹れさせてもらう機会を得たのだが、一人の人がお礼にとチョコレートをいくつか買って来てくれた。その中にお遊びでアンパンマンチョコがあったのだ。アンパンマンの顔やバイキンマンの顔をしたスティック付きのキャンディーチョコだ。

僕はそれのバイキンマンが欲しかったが、遠慮に遠慮を重ねて取らなかった。しかし、珈琲を淹れる側の僕が遠慮してしまったので誰もアンパンマンチョコを取らない。チョコレートを買ってきた人が取ってくださいと言ってようやく僕は目当てのバイキンマンを手にした。

この時だってそう。変に気を遣わずに少し図太く「バイキンマンいただきま~す!」と言える自分でありたい。そういられたらバカでお茶目で愛すべきそして気持ちのいい自分のような気がする。

つまりは素直に生きること。あまり気ばかり遣っていないで、自分の気持ちにストレートに生きたいなあと感じている今日この頃。

しっかりしたことを書こうと思うからか、最近なかなかnoteが書けません。でもしょうもないことでもいいから書いて行こうかな? なんて思います。新年度ですね。ゆっくりゆったり生活に慣れて行きましょう。

志紀

おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)