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【写真で振り返るオーストラリア〜自然編〜】


「幸せ」という言葉には無限の風景が含まれています。

幸せのひとつの定義は
「自然の中でひとといること」
これは、小さい頃からのぼくの価値観です。

夏休み、親戚総出で毎年決まった山奥の川で遊ぶ。
その幸せな時間が原体験となっています。

こんな感じ


そしてオーストラリアの人たちにも、近い価値観を見ました。
印象的なのは、自然の中でただ寄り添って沈黙の中自然を感じている様子。
写真を撮るわけでもなくおしゃべりするわけでもなく、ただ耳を澄まし、眺め、感じている。

そして喋らないからと言って、ふたりである意味がないかというと、そんなことはないのです。
喋りはしないし、ひとりで同じことをしている時とやってることは変わらないのですが、その人といるからこそ、その時間に意味が生まれている。
そんな空気を感じました。

そんなオーストラリア人の自然と、そして人とのの向き合い方に共感と好感が持てるのでした。

友達と中学時代、しょっちゅうひと山超えた先にある海に自転車を走らせ、ただ沈む夕日を眺めていたあの時間が思い出されます。
ただ赤い太陽が沈んでいく様を見るだけなのですが、心安らぎ、人生の有限さと豊かさを感じるあの時間。
あんな日々をまた過ごしたいと思うのです。

さて、前置きが長くなりましたが、オーストラリアの自然について。
やはり印象的なのは海と広大な乾燥した大地、そして動物たちですね。

海がとても身近にあるオーストラリアですが、日本の海とはなんというか雰囲気が違います。
日本はビーチよりは岩がゴツゴツした海の方が多いイメージですが、オーストラリアはビーチだらけ。
日本の入江から見る狭められた海ではなく、際限ない海。

夕焼け空が美しかった

そしてオーストラリアに行ってまず驚いたのが、夕焼けの時間が日本の何倍も長いということ。
というのも、日光の強さが日本とは段違いで、陽が沈んでからも強過ぎる光がしばらくは空をオレンジ色に照らし続けるのです。
逆に光が強すぎて、沈むその瞬間まで太陽を直視することは難しいのも、日本との違いですね。

夕日ひとつ取っても全然違う。
やはり世界は面白いです。

そして広大な大地。
おそらく一生覚えているであろうたった一度のロードトリップ。

基本都市で暮らしていた自分にとって、オーストラリアの広大な大地を感じることのできたほぼ唯一の時間でした。
写真にあるような絶景ポイントまでは確か車で6、7時間かかるのですが、その道中は基本低木の森が広がっています。

そして驚くべきことに、そのどこかが毎日燃えています。

その旅の道中でも、地平線の先に続く道路の先から大きな黒煙が上がっていて、まるでSF映画のワンシーンのようでワクワクしました。
進んでみると道路のすぐ脇の森が燃えているのです。
自然発火の森林火災ですね。
乾燥した空気と強過ぎる日光のせいで起きるのでしょう。
毎日あの規模で森林火災が起きていたら森は無くなってしまいそうなものですが、不思議です。

奇岩の砂漠で見る星空

そして目的地である砂漠と国立公園。
砂漠については以前、ぼくの内面メインですが軽く写真と共に書いたので(https://note.com/kotaro1435/n/n24e2076b6ca4)、今回は国立公園について軽く。

見渡す限りの大地。
荒々しい岩肌。
強烈な日光を照り返す川面。
吹き抜ける乾いた風。
そんな過酷な土地に息づく植物たちの存在感。

地球を感じる雄大な風景でした。
地球を感じる風景が好きなぼくにとってはとてもワクワクする場所でしたが、逆に日本の自然が恋しくなる時間でもありました。

そして動物ですね。
写真ではヤマアラシ?しかないですが、カンガルーはそこらじゅうにいるし、エミュー(ダチョウみたいなデカい鳥)にも会えました!
動物はそれ以外の自然とはやはり出会った時の感覚が違います。

動きものんびり めっちゃ可愛かった

大地や植物などの自然は言っても日本の自然からなんとなく想像がつくものですが、動物に至っては本当に全く違うので、宇宙人に出会った感覚で新鮮度が違って面白いです笑
コアラに会えなかったのは心残りですが、、😭

さて今日のところはこんなところで。
次は『写真でオーストラリアを振り返る〜都市と人編〜』をお送りします!笑
乞うご期待!!

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