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湯婆婆は雇われ社長?千尋は将来の経営者?大人になって見る「千と千尋の神隠し」(注:ネタバレ含む)

こんにちは、都内のベンチャー企業で働いている、PONです。
今、ジブリ4作品の「もののけ姫」「ゲド戦記」「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」が映画館にて上映されていますね。かなりニュースになっているので、もう何かしらみたよ!って人も多いと思いますが、今回、「千と千尋の神隠し」をみて、大人になってみるとこんな見方が変わるのか!と感じ、文章におさめておきたくなったので、久々のnoteです。

<このnoteに書いてあること>
◯大人になって見る「千と千尋の神隠し」の気づき
 ・千尋の家庭の背景
 ・湯婆婆は雇われ社長なのか?(フレーム外の設定に考えを巡らせる)
 ・カオナシにカオはある。本当にカオがないのは・・・?
 ・なぜ千尋は最後のシーンで豚の選別にクリアしたのか? 
 ・この経験をした千尋は、経営者になる説
◯その他の気づき一覧
◯まとめ

◯大人になって見る「千と千尋の神隠し」の気づき

この作品を観賞し終えた時に、この作品で伝えたかったことはなにか?を考えてみました。ぜひ、みなさんもこのnoteをきっかけに、改めて作品について考えてみて、何か思いつくことがあればコメントあったり、ご自身の発信につなげてもらえると嬉しいです!

・千尋の家庭の背景
 車はAudiの4輪駆動で地方に持ち家がもてるほど一定の富裕層ではないか?お父さんは恰幅の良く強気な性格で、お母さんは、一人娘の引越しの不安も横目に、「しゃきっとして」と理路整然と伝える、パリッとしたサバサバな女性。(「花がしぼんでる!」って千尋が言った時に「水に挿せば戻るわよ」と超ロジカルな返事をすることからもサバサバ系なことがわかる。)
 お父さんが門をみて、「モルタル製か」「90年代のテーマパーク構想の名残だな」なんて建築物にも詳しいところ、ディベロッパー勤務か金融系で融資担当とか、お母さんとは職場で出会って寿退社だろうな、なんて妄想もできてきました。笑 子供の時には、車の車種や両親の職種全く考えない内容でした。(もしジブリ公式の設定が全然違ったら恥ずかしいですがw)
・湯婆婆は雇われ社長なのか?
 この話は、油屋の中で行われていて、子供の時には全て油屋の話で完結していました。ただ、千尋の先輩であるリンが「こんなところ抜け出して、あの街にいくんだ」と言っていることからも、油屋以外にもビジネスがあることがわかりました。大きな経済が油屋の世界にもありそうです。
 そして、「働きたいという人を働かせないといけない契約なんて困った契約をしてしまったね」と湯婆婆が言っていることから、湯婆婆自身も誰かと契約を結ばされている状態、つまり、その上のマネジメントがいることも考えられます。
 双子の銭婆婆は、田舎(沼の底)で生計を立てていることからも、何も経営をやらなければいけない状況ではなさそうですよね。湯婆婆は、何のために油屋を経営しているのか、なんて、フレーム外にある部分に思考を巡らせてみることも面白くないですか?
(余談ですが、もしかしたら、本当にもしかしたらですよ。油屋の親会社が、本製作委員会の三菱商事さんだったなんて構想あったらめちゃくちゃ面白いですよねHAHAHA)
・カオナシにカオはある。本当にカオがないのは・・・?
 みんな大好き、超重要キャラクターのカオナシですが、カオナシは仮面ながらもカオがあるのではないか?と感じました。寂しさ・承認欲求がカオナシの行動原理だとしても、本作品における彼の存在感は凄まじいものです。
 逆に、この作品の中で、本当に存在感がなかったのは、①油屋の外にいる飲食屋の店員や客 ②豚になってしまった人たち ③沼の底に向かう電車の中にいる人たち ではないでしょうか?
 僕らが過ごしている日常でも同じことが言えると感じ、今の日本社会において、本当にカオがなくなってしまっているのは、日常に溶け込んでしまっている、僕らなのではないでしょうか?
・カオナシは究極のGIVERなのでは?(カオナシ贈与関係論)
 カオナシは、①薬湯の札 と ②砂金 を千に渡そうと、必死で訴えかけますが受け入れられない。最後のシーンでようやく③髪紐を千に渡して喜んでもらえた。そんな事実がみて取れます。
 まずは自分が何かを与えることから、関係性を築こうと努力を続けていることがわかります。人が何を求めているのかを理解し、提供し、関係性を築き、欲求を満たす。というプロセスって、僕らビジネスマンも普通にやっていませんか?(カオナシは、その行動原理が「寂しさ」と「承認欲求」であったが故に、関係性が築けず、暴走してしまったのですが、、)
 ただ、その欲求も本作品を通じて変化がみえます。最後に銭婆婆のところに残って働くことを決断したときには、その承認欲求は、①1個あれば十分なものをたくさんあげること(薬湯の札)でもなく、②人の私利私欲を満たすもの(砂金) を魔法で創造することではなく、③自分の手で作った、価値のあるもの(髪留め)を提供することで満たされることに気づいたからではないでしょうか?
・なぜ千尋は、最後のシーンで豚の選別にクリアしたのか?
 千尋は、最後のシーンで、とても自信をもって、「おばあちゃん、この中にお父さんとお母さんはいない」と断言しました。一度、苦団子を渡しにいこうとしたときには、全く見分けることができなかったのに、この期間で豚を見分けるスキルをつけたということでしょうか?(子供の時にはそもそもここに疑問は抱かなかった)
 私は、「自分の親は豚ではなく、人である」という本質を千尋が気づき、貫いただけではないか。と、考えが至りました。つまり、豚を見分けるというスキルではなく、自分の親は豚ではないんだ、という強い信念が、あの結果に結びついたのです。
・この経験をした千尋は、経営者になる説
 千尋は将来、どんなキャリアを歩むんだろう、と思考を巡らせていくと、この体験が強烈な原体験になることは間違いないと思います。必ず、就職活動や人生の重要局面で思い出すことでしょう。ただ、本作品のテーマでもあるように、「記憶」はすぐに思い出すことができません。その中でも彼女にとって強烈なインパクトはやはり人との関係性ではないでしょうか。
 湯婆婆という超敏腕経営者直下で成功体験を繰り返し、リンという野望を持った先輩の下につき鍛えられ、ネズミになった坊や湯婆婆カラス、カオナシという一緒に動く仲間がいることの大切さをしっています。
 彼女がこれらの人々の姿を思い出すことがあれば、十中八九、経営者になるんじゃないかな?なんて妄想が広がって、彼女のキャリアがとても楽しみになりました。笑

他にも、
・ハク最強マネージャー説
・「行きと帰り」というメッセージ
・千尋の労務の対価は何だったのか?
・湯婆婆の経営者としてのスキルはずば抜けている件
・ハクが湯婆婆に魔法の力を求めたのは、環境保護に対する強い怒りから?
・「忘れることはない、思い出せないだけ」に込められた意味とは

なんて意見もでてきて、結論、「千と千尋の神隠し」は上記のような社会構造を理解する教育コンテンツとして最上級品であるといつ感想に落ち着きました。

◯まとめ

大人になってから考える「千と千尋の神隠し」いかがでしたでしょうか?
私は今回、本作品は「仕事/労働」を切り口に、現代社会へのメッセージを、子供から大人までに発信する作品だと感じ、改めてジブリ作品の素晴らしさを感じました。もちろん、作品に没入することも大好きですが、こうして一歩俯瞰してみてみると、新しい発見があるかもしれませんね。

最後に、一緒に上記を出すために話してくれた友人2人に感謝を込めて。

長文駄文お読みいただき、ありがとうございました!

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