人新世の「資本論」を読んで

この本はきっとこれからの世の中の行く末に、また、私の生き方にも大きな影響を与える著作ではなかろうか。

図書館で予約していた本の順番が回ってきた頃には、どこでオススメされていたのかすら定かでなくなっているのは常だけど、この本を手にしたときには一体、自分が何故、この本を読みたいと思ったのかすらわからなかった。人新世(ひとしんせい)とは何ぞや。資本論って、昔、高校の教科書で一つ覚えで暗記したあのカール・マルクスの資本論のコトかえ?状態。

という訳で、他に借りた本を先に読んでいて、返却期限が近付いたので、延長しようと思ったら、なんと私の後に140人もの方が予約していることがわかり、そんなに凄いんかい!と本腰を入れて、読み始めたという経緯があった。

著者は大阪市立大学大学院経済学研究科の准教授の斎藤幸平先生。34歳!若い!

そもそも資本論なぞ、私に理解できるのかと心配したのも杞憂であった。難しいことを素人にもわかりやすく解説できる人って、本当に尊敬する。

その趣旨はこうだ。「人新世とは人類が地球を破壊しつくす時代のこと。SDGs、グリーン・ニューディール、緊縮政策、ジオエンジニアリング、気候ケインズ主義とどんな対策を講じようと、経済成長し続けなければ成り立たない資本主義である限り、地球の温暖化を止めることはできず、環境とグローバル・サウス(現代の資本主義のグローバル化によって負の影響を受けている世界中の場所や人々)に負荷をかけながら、地球は破滅に向かっていく。資本主義の呪縛から超克する手立ては、希少性を本質とする資本主義に対して、ラディカルな潤沢さを実現する脱成長コミュニズム(共同体)にある。経済成長に依存しない社会は富の偏在を是正し、人々の生活の質は向上し、地球環境を救う。」

驚くべきことに、この構想は150年前にカール・マルクスが最晩年に目指していたシステムだという。近年、進められているMEGAと呼ばれる新しい「マルクス・エンゲルス全集」刊行の国際的プロジェクトによって、初めて世に出てきた新資料の「研究ノート」には、「資本論」には取り込まれなかったアイディアや葛藤が刻まれていて、それにより、資本論の解釈が全く異なるものになるというのだ。

マルクスの社会ビジョンは年齢と共に変遷した。生産力至上主義で、ひたすら経済成長を目指した若き日の1840~50年代、社会主義に移行できれば、持続可能な経済成長が可能だと考えたエコ社会主義の1860年代、そして、1870~80年代、マルクス晩年の将来社会のビジョンは若き頃とは真逆の、共同体の持続可能性と定常型経済の原理を取り入れた脱成長コミュニズムに行きついた。持続可能性と社会的平等は密接に連関しているのではないかと気付いたのだと。150年の間、見落とされてきた理論的大転換がMEGAにより浮かび上がってきたという。最晩年のこのビジョンが150年前の当時から明らかになっていれば、環境破壊はここまで進んでいなかったのであろうか?

「資本主義危機は資本主義制度の消滅によって終結し、また、近代社会が最も原始的な類型のより高次の形態である集団的な生産および領有へと復帰することによって、終結するであろう。」というマルクスの言葉は予言となるのだろうか。

拡張を続ける経済活動が地球を破壊しつくそうとしている今、私たち自身の手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わりを迎える。コミュニズムこそが、「人新世」の時代に選択すべき未来なのだと現代に蘇ったマルクスのように著者は訴える。

資本主義は人工的希少性を作り出すことにより、商品としての価値を増やしてきた。貨幣がなければ、商品を買えないため、貨幣を手に入れるために、長時間の労働を余儀なくされる。負債を返済するために、さらに労働する。資本主義に生きる労働者のあり方を、マルクスは「奴隷制」と呼んでいたそうだ。

「相対的希少性」を作り出すブランド化は本来の「使用価値」との間の乖離にも関わらず、他人と差異化したいと願う人々の購買意欲を掻き立てる。「満たされない」という希少性の感覚こそが、資本主義の原動力なのであるが、それでは、人々は一向に幸せになれない。

この悪循環が希少性のせいであるならば、潤沢な社会を創造すればよいというのが、マルクスの脱成長コミュニズムだ。ラディカルな潤沢さが回復されていけば、商品化された領域は減っていくだろう。

脱成長コミュニズムの柱として、①使用価値経済への転換 ②労働時間の短縮 ③画一的な分業の廃止 ④生産過程の民主化 ⑤エッセンシャル・ワーク(機械化が困難で、人間が労働しないといけない部門)の重視 の5つを掲げる。

世界では「バルセロナの気候非常事態宣言」など、脱成長コミュニズムの成功事例も散見されるそうだ。

成長することを目標に、成果主義でやってきた人々が、脱成長コミュニズムの中にモチベーションをどう見出すのか、また、平等のための不平等が生じるだろうことも想像でき、著者の理想通りに簡単に事が進むとも思えないが、待ったなしの地球環境問題に、ひとつの確かな方向性を示した後世に残る名著であろう。


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