閉まらずの扉
「そうか、物置の扉はもう閉めていてもいいのだった・・・」
そう気が付いたのは、十九才で逝った猫を見送ってから、三カ月も経ってからのことだった。
小さな物置には猫トイレを置いていたので、ここに越してきてから、十七年もの間、それは開かずならぬ、閉まらずの扉となっていて、代わりにカーテンの端切れで作った布を上から垂らして目隠しにしていた。あまりにも長い間、開けっぱなしにしていたので、その理由よりも、そういうものだという観念が先行して、閉めてもよいのだという発想に至るまでに、三カ月もの時間を要してしまったという訳だ。
そんな自分が可笑しいのと同時に、晩年、両目が見えなくなってからもトイレまで壁を伝いながら、よろよろと律儀に用を足しに行っていた猫の姿が思い出され、切なくもあるのだった。
そんなことがあってからしばらくして、今度はとうに解体が始まって、今はすっかり跡片もない実家の鍵を未だにキーホルダーにつけて、持ち歩いていたことに気が付き、また、やれやれと思うのである。
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