韓国映画『哭声/コクソン』考察ネタバレ「日本人の正体,キリストの問いかけ
ナ・ホンジン監督の韓国映画『哭声/コクソン』(Wailing)。ジトっとした雰囲気の中で鑑賞する我々が信仰の罠に引きずり込まれるような怪作。
結局この映画が何を言いたかったのか?意味不明な人が多いと思うので、國村隼が演じる日本人の正体やキリスト教的な観点から考察をまとめた。
あらすじ&感想:狂気の村
あらすじ:韓国のど田舎の山に突然ナゾの日本人(國村隼)が住み出した。彼は善なのか悪なのか?
そして村では狂気に取り憑かれた住民が家族を殺害する猟奇事件が勃発。娘が狂気に取り憑かれた警察官、そして祈祷師たちは日本人が悪魔だと決めつけるが…。
謎が解けていくわけではなく↓
村に降りかかる厄災は日本人のせいなのか?
もしかして日本人はキリストの再来なのか?
この2つのパターンを繰り返すだけ。すごい映画で圧倒的な気色悪さを有しているが、何もわからずじまいなのでストレスもすごい(笑)。
ラスト考察:日本人の正体は?
登場人物も視聴者も、國村隼演じる日本人の正体を考え続ける事になる。しかし、最後まで明確な答えは出ない。しかしナ・ホンジン監督が仕掛けた信仰にまつわる落とし穴が見える。かなり深いテーマの考察と、エンディングの別パターンを次のページで解説する。
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