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天職は「才能」とか「運命」とか、そういう言葉の外側にある。

今日、とても嬉しいことがあった。ここ数年で最も素晴らしい出来事だ。

僕には「カフェを開く夢」を持っている友人がいる。彼とはかれこれ10年の付き合いになる。大学の友人の中では、たぶん最も長い時間を共にしていて、よく自作のお菓子をくれたものだ。

その彼が今日、清澄白河の一角で、ついに1日カフェを開いた。

事実だけ切り取れば「長年カフェを開きたかった人が、シェアキッチンを1日借りてカフェ営業をした」となるのだろう。

だが、その背景に彼の10年の歩みがある。僕は彼がここに至るまでのストーリーを知っている。そのストーリーをいま語ろう。

大切な思いを胸にしまって、現実と向き合うこと。

彼とは出会ったのはお互い18歳の頃だ。話していると、どうやらお菓子づくりが好きらしいことがわかった。

「いつか自分のカフェをやりたいねん!」
「じゃあカフェをやることになったら、僕に写真をまかせてよ!」。

そんな会話を彼としたことを憶えている。

大学3回生になると、彼や僕は就職活動を始めた。その頃といえば、氷河期とは言わないまでも、今ほど売り手市場でもなければ「やりたいことやろう」という価値観が社会に浸透していなかった。

彼も就職活動をしていた。彼はずっとカフェ開業を夢見ていたけれど、現実は往々にして厳しい。大人になるとわかるけれど、悩ましいことがたくさんある。

会話の中心が、少しずつ「自己分析」や「面接」、「誰かの内定」になっていた。彼はとある会社に内定を決め、就職して東京で働くことになった。

それからも時々、彼と会って近況報告をし合った。当然、毎回カフェの話をすることにはなるが、進展はあまりないようだった。18歳の頃僕に見せてくれたカフェの話をしてくれた笑顔は、晴れのち曇りの天気のように、少しずつ何かに覆われていった。

北極星のように、心を照らしつづけるもの。

ところが、つい2ヶ月前、あの頃から10年ほど経った2019年、彼から「今度、1日カフェをやります」と連絡がきた。僕は「いくよ」と即答した。

そうして今日、「彼のカフェ」にたどり着いた。

(↑コーヒーを作る彼)

扉を開けると、店内は満員。子供づれから若い人まで、たくさんのお客さんがいた。彼の人柄を表したような空間で、皆リラックスして楽しそうに話していた。僕はチーズケーキとカフェラテをオーダー。彼が作ったお菓子を口に運ぶと、やさしい味がした。

僕はカウンターに座り、先に来ていた大学時代の友人たちと話をした。2人が帰ったあと、彼の10年間を一人振り返って、壁沿いのカウンターで一人涙を流した。こんなに嬉しいことはない。とてつもなく大きな一歩。

悩んで悩んで、選んだ道。暗闇の中でも、決して見失わなかった北極星。お客さんと話す彼は、18歳の頃と同じ笑顔をしていた。

彼が教えてくれた「天職」の意味。

キャリアを歩んでいると、天職だの適職だのという話を聞き、皆一度は考える。そして頭を悩ませる。その中の多くは、当然まず「天職は何か」を考え始める。そして迷いながら歩いていく。

僕もその一人で、今も「自分には何が向いているんだ」を考えていた。「この人生で一体何をしたいのか」「何を大切にしたいのか」を見失って、長いあいだ、考え続けてきた。

だけど、今日彼の姿を見て、間違っていたなと思った。自分が大切にしたいものを、ずっと温めて、いまたくさんの人を笑顔にしている光景を見て確信した。

天職とは何か。天賦の才があるとか、他者と比べて優れているとか、そうなる定めだったとか、そんなことではない。

自分を自分たらしめ、心を照らし、導くもの。その歩みを続けた先で、僕らはきっと輝きを放ち、誰かの心を照らすことができるのだ。

その生業を、僕は天職と呼びたい。

■ 友人が今回借りたシェアキッチン & スペース


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