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写真の価値は「時が残る事」

お久しぶりです。こーたです。

オーストラリアに戻ってきて、早いもので2ヶ月が経とうとしています。ワーホリ時代に拠点にしていたブリスベンは離れ、メルボルンでなんやかんやしております。

相も変わらず写真は撮り続けており、結局俺には写真なんだなぁと思う日々です。文字を書く事も好きなので、こうしてnoteの更新も不定期にしていきたいなぁと思います。

さてそんな不定期更新のnoteをこうして更新しようと思った理由は、相も変わらず続けている「写真」についてです。

写真については色々と考えるのですが、文字に起こすとまた写真を好きになるような気がします。

ずばり今日のテーマは「写真にはどんな価値があるのか」です。

写真にはどんな価値があるのか。

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すごく漠然とした問いのような気がします。

が、答えはひとつだと思います。

それは、「残る事」です。

思い出と言ってもいいし、自分(達)の軌跡と言ってもいいし、つまりは「時が残るもの」だと思います。

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現代を生きている僕らは、日本にいようとオーストラリアにいようと、凄まじい時代の流れの中で生きています。1日1日はとても早いし、1年を振り返ると本当にあっという間。

流れていく日々を、なんとなく過ごしてしまう事はたくさんあると思います。

それが悪いと言っているのではなくて、僕らの人生はそういうものだと思うんです。

毎日何か特別な事が起きるわけじゃない。幸せな事があれば、アンラッキーな事もある。悩んだり、苦しんだり、涙を流す日もある。

そういう日常の中で僕らは生きています。

その日常の繰り返しが人生で、”生きている”という事のような気がするのです。

そして、写真は、その何気ない日常を「残す事が出来る。」

「その時(瞬間)を残す事が出来る。」

過ぎていく日常が残っている。

見知らぬ誰かからしたら、面白くもなんともない自分の日常も、数ヶ月後・数年後に自分で見たら、笑えてくる。どんなにその時が辛くても、時間というものが解決してくれる。笑い話になる。

自分で考えるとうまく考えられない人は、大好きな恋人・旦那さん・奥さん・自分の子供で考えてみてください。

家族で過ごす何気ない日常を残しておきたいと思う事はありませんか。

大好きな人の大好きな表情を。
子供の日々の成長を。

撮っている「今」の瞬間には、大きな意味はないかもしれない。ただの日常の一コマかもしれない。

でも写真で振り返る事で、自分の人生を肯定できるとも思うのです。そこには、自分の歩いてきた道が写っているから。

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僕は人物写真と風景写真を撮る事が多いです。

人物写真では、ワーホリに来ている人・永住している人・カップルで移住をしている人、様々な人を撮影しています。

その彼らのオーストラリアでの一コマを残せる事を誇りに思います。

永住権を持っていない限り(持っていない人の方が多い)、オーストラリアにずっと滞在する事はできません。ビザの期限が来たら、日本に帰るなり、他の国に行くなり、どんな形にせよオーストラリアを出なければいけません。

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オーストラリアで過ごす時間は、二度とないかもしれない。

オーストラリアにいるからと言って、毎日が特別じゃない。多くの人は仕事をして、友達と遊んで、恋人と会って、ご飯を食べて、寝たらまた朝が来る。

オーストラリアにだって、なんてことない日常があります。

その限りある日常を残しておくお手伝いが出来る事が、僕の誇りです。

風景写真では、僕自身の時を残してる事になります。僕が訪れた場所・時間・想い、そういったものが写真には残ります。

これが日本に帰った後や数十年後、子供ができた時、孫ができた時、かけがえのない貴重な財産となる気がします。

こんな事を考えながら撮影をしています。

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メルボルンでもたくさんの人の、時を残したい。
自分の人生は自分しか歩けません。自分で選んで、その毎日を過ごしていくしかありません。

その自分だけの人生を残してみたいと思いませんか?

写真にしか残せない時間があります。世界があります。

その時間を、世界を、たくさんの人と共感できたら嬉しく思います。

こーた

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