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底辺の仕事ランキングとは

タイトル 最後の砦



キーンコーンカーンコーン

娘にどうしてもと言われて、初めて孫娘の授業参観を見に来た。

たった十年前はまだ、生まれたばかりで歩きもしない小さな赤ちゃんだったのに、いつの間にか大きくなったものだ。

「今日は、家族の人のお仕事について調べてきたことを書いた作文を発表して欲しいと思います」

まだ若い女性の先生がそう言うと、クラスの子どもたちは、少し緊張した様子もありながら楽しみにしているような表情を見せた。

端の席から一人ずつ、原稿用紙一枚半程度の文章を読んでいく。

「僕のお母さんは…。」

「私のお父さんは…。」

お父さんやお母さんの仕事についての話を、子供たちは次々話していく。

看護師や銀行員、中には花屋さんなど様々な職業の親御さんが紹介されていく。

そして、孫娘の番が回って来た。

絶対にないと思っていたから、孫が発したその一言に心臓を鷲掴みにされたかと思うほど、ビックリした。


私のおじいちゃんは…。



毎朝四時過ぎには起きて、朝食を済ませた後六時前には家を出る。汚れても何ら問題の無い適当な服を来て家を出る。

電車で二駅、駅から歩いて十五分、大きな煙突が建つ建物が仕事場だ。

ただ、特にやりたいことも何もなく、定時で帰れることと安定した給料を求めて入ったこの世界で六十になるまで仕事を続けるとは思わなかった。

大抵は、四十も過ぎれば現場で仕事はしなくなる。それなのに、今日も現場で作業着を着て車に乗り、朝早くから町を回る。

「重さんおはようございます」

「おう、おはよう。今日もよろしく」

「こっちこそ、よろしくお願いします」

二十代前半の智明が一緒に回る相方になってから、もうすぐ一年が経とうとしている。

孫でもおかしくはないほどの年齢差の後輩と一緒に回ると、うるささもありながら、元気を貰えている感じもある。

回るルートの確認を行い、収集車が正常に動くか点検をして、七時半ごろ町に出て行く。

「重さんて何年この仕事やってるんですか?」

「もう、三十年以上かな」

「三十年もやってるんですか! 凄いっすね」

「そうだな、なんでだろうな」


とにかく、職を求めてごみ収集作業員になった二十代のころ、今に比べて街はゴミが溢れかえっていて、そこら中にゴミが落ちているなんてことは当たり前だった。

都市部に人口が集中し、人が増えれば当然ゴミも増える。しかし、収集する施設の数は少なくとても管理しきれないゴミが町中に広がっていた。

ゴミの集積所では、ゴミにネットがかけられていたり、青いバケツにゴミが入れられていたりすることは少なく、多すぎるゴミは大抵の場合ネットやバケツから外に溢れていて、カラスなどに突かれて散乱しているものも少なくなかった。

腐ったようなゴミ汁が、袋から漏れてそれが衣服につけば臭いが染み着く。それでなくても、夏は死ぬほど汗をかき、汗の臭いなども体にまとわりつく。

それぞれの市区町村に清掃工場がつくられるまでは、長い距離を移動し捨てに行くだけでも一苦労だった。

一人娘にはずいぶん嫌われたもんだ。高校生の娘とは、ほとんど話はせず娘は家に帰って来るとすぐに自分の部屋に行く。

家族三人で晩御飯を食べていても、テレビを見ているだけで、特に何も話さない。

夜遊びを繰り返したり、非行に走ったりしなかっただけ偉いと思う。

小さい頃は、俺の仕事のせいでいじめられたこともあったらしい。本人からは聞かないが、妻から何度か聞いた。

娘が中学生の時、たまたま十二時ごろに目が覚めてリビングに水を飲みに行くとテレビが点いているのが見えた。娘は暗闇の中、ソファーの上で膝を抱えながらテレビを見ていた。

「何してんだ~。早く寝ろよ」

そう言うと、鼻をすすりながら涙ながらに娘は言った。

「なんで、お父さんはゴミ収集の仕事なんかしてるの」

娘の言葉は、寝室に戻ろうとする俺の足を止めるには十分すぎた。

だが回転するも空回りするだけの頭からは、何も言葉が出て来なかった。

娘がすすり泣く、か細い声を背中に受けたまま何も言えず寝室に戻った。


リビングでテレビを観ながらくつろいでいると、いつもより早く娘が返ってきた。

「あれ? 今日は部活の後、中学の友達と会うって言ってなかったっけ?」

「お母さん、テレビ見てないの? 過去最大の台風が夕方から来るから、みんなで帰れなくなったらやだから一回集まったけど、やめよって言ってたんだよ」

「そうなのね~。残念だね」

「まあ、またみんなで予定合わせたから大丈夫」

「そう、ご飯は七時頃だけど大丈夫? お腹空いてたら台所の食パンでも食べな」

「そうする」

娘は学生鞄を床に置くと、ソファーでくつろぐ俺の後ろで、ダイニングテーブルの椅子に座りながら、焼いた食パンをかじる。


朝、五時頃家を出ようとすると、たまたま娘が起きてきた。

妻から、おにぎりを受け取って、家を出る。

「行ってくる」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

バタンッ。


「珍しいね。こんなに朝早く起きて」

「そりゃあ、こんなに雨の音がうるさいし、風が凄かったら寝れないよ。過去最大の台風だよ」

「確かにそうね」

「お父さんどこ行ったの?」

「そりゃあ、仕事に行ったわよ」

「えっ」


顔に当たる雨が痛い。風にあおられて、ごみは散乱し破れた袋から飛び出すものもあった。

「シゲ、袋が破れたのはもう無理だって。この風の中じゃ、全部集めるのは無理だ」

「全部集めようなんて思ってないけど、ビン、缶くらい集めないと危ないだろ」

立っているのがやっとの暴風雨の中でも作業は止めない。

突然風が強くなった時には、ガードレールや作業車に掴まって風を凌ぐ。

「外はだいぶだな」

助手席も運転席もシートはびっしょり濡れてしまっている。

燃えるゴミの日で無かっただけまだましかもしれない。回収作業もそれほど時間がかからずに終わっている。

「もう後、三か所で終わりだな」

「最後、三か所頑張るか」

車も人も見えないくらいの土砂降りの中、集積場近くの三か所に向かう。


窓に打ちつける雨と風を睨みながら、ずっと外を見ていると、なんだか全部に苛立つ感情が湧き上がってきた。

「ねぇ。お母さんは心配じゃないの?」

「何が?」

「何がって、お父さんだよ」

何故か、少しだけ声を荒げてしまった。

「なに? 心配なの? いつもは、お父さんと口も利かないのに」

「それとこれとは、違うじゃん」

「そう?」

お母さんは、相変わらず部屋の掃除なんかをしながら悠長に過ごしている。

「お父さんも、仕事場も頭おかしいんじゃないの? 過去最大って言ってるし、木が折れるくらいの風と雨で、車も飛ばされそうになってるんだよ。それなのに、お母さんもいつも通りに過ごしてるし変だよ!」

「今更なに言ってるの? もう、十何年も雨の日も、雪の日も、とんでもない暑さの日だって仕事してるんだから、大丈夫なのよ」

窓の外を見ながら、お母さんは言った。

「それにね。私も最初の頃今のあんたみたいに、辞めたらって言ったのよ。それでね…」


「タカヒロ、ここは俺一人で外行くわ、そんなに多くないし」

「いや俺も行くよ」

「大丈夫だって、二人もいらない。それよりもすぐ車出せるようにしといてくれ」

そう言って車を降りた。

さっきまでよりも、少しだけ風が治まっている内にゴミ袋を収集車に投げ込む。

助手席に戻ろうと車の陰から出た時に、突然強い風が吹いた。

思わず、手を地面について屈むほどの突風だった。

何とか車を掴んで、前を向いた時に目の前に半透明の何かが飛んできたのが見えた。

避ける間もなく、それは額に思いきりぶつかった。

バチン。

という音がして、前に出していた手に、折れた傘が当たったのが分かった。

傘を持って、ドアを開けて助手席に座ると、運転席から大きな声がした。

「どうした! 大丈夫か!」

額に手を当てて、その手を見ると、血だらけになっていた。

「びっ、病院に行かなきゃだよな。まっ、待ってろよすぐ出すから」

「タカヒロ、俺なら全然大丈夫だよ。後二か所なんだか終わらせよう」

そう言って、車の中に置いてあった手ぬぐいで頭を縛って、最後の仕事を終わらせた。







私はおじいちゃんに聞きました。


なんでそんなに、仕事を頑張れるのって。


そしたらお父さんなんて言ったと思う。



最初は、とにかく金を稼ぎたいと思って就いたんだよ。俺は何か凄いことができるわけじゃないからな。

でもな、ある時気づいたんだよ。

街からゴミが無くなっていくと、散歩する老人が増えて、公園で遊ぶ子供が増えて、楽しそうに笑う人が町に溢れる。

その後ニュースで知ったんだよ。ゴミを正しく処理することが、人々の健康に繋がるってことを。

だから……。



愛する人の健康を守る、第一の砦でありたい。



「そう思って、おじいちゃんは今もお仕事を頑張っているそうです。私のおじいちゃんは、とても凄い人です」

クラスの中で一番大きな拍手を受けながら、こっちを振り向く孫に、手が痛くなるくらい大きな拍手を送った。

そうでもしなきゃ、涙が零れてしまいそうだったから。

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