【暴力をふるってしまった事のあるあなたへ】
昨日からとても色々な事を考えた。暴力の被害に苦しむ人は決して今も少なくない。
だが被害者がいるという事は、その分だけ危害を加えてしまった人もこの世の中にごまんといるのだ。きっと今だってどこかの誰かが殴ったり蹴られたりしたりされたりしている。
大人になってふと考えた。現在DVの被害者相談の窓口は割とある。
だが、その逆はなぜないのだろう?自ら犯した過ちを恥ずかしいと思い表に出てこないだけなのだろうか?それともあれは『しつけの一環だった』と言い訳をして終わるのだろうか。
暴力をふるう側の人たちはその後後悔していないのか、それともまた同じ過ちを相手を変えながら永遠に繰り返しているのだろうか。
なぜこんな事を私が考えたかというと、暴力をふるう加害者も、かつては暴力に怯えながら生活し、いつの間にか自分も加害者の一員になっているという現実を目の当たりにしてきたからだ。
以前私の祖父と母がそっくりだと話したように、母も祖父から壮絶な暴力に遭いながら、私を殴る蹴るの暴行を繰り返していた。祖父の父もまたそんな人だったと祖母から聞いた事がある。被害者と加害者はコインの表と裏のようなものなのかもしれない。もちろん自分は絶対に人に手をあげたり、言葉で人を傷つけたりしない!という人もたくさんいるだろう。
だが、一歩間違えれば自分が加害者側になってしまう事もこれまたよくある話なのだ。
ここで私が言いたいのは、暴力をふるう加害者も過去に虐待に遭った過去があるだろうから、かわいそうだと思えだとか、許してやってくれなんて言うつもりはひと言もない。
悪いものは悪い。ダメなものはダメだ。
人を傷つけて自分はスカッとするだろうが、身も心も傷だらけになった者の気持ちは当事者でなければわからない。
暴力というのは(言葉の暴力や経済的DV、性的暴力も含む)人の尊厳を一瞬にして破壊してしまう行為なのだ。幼い子どもであっても1人の人間であり、傷つけられた事は一生忘れない。私のようにトラウマとなって一生何らかの疾患を抱えてしまう者も少なくない。
私は結婚はしたが、子どもは持たなかった。
(不妊治療をした時期もあるが結果的に子どもを持つに至らなかった、ついでに貯金もスッカラカンになったので辞めた)
自分という人間が恐ろしかったのだ。散々暴力の巣窟みたいな家で育ちながら、私が子どもを育てる事になったら……その子を叩いたり殴ったりするかもしれない。呪われた自分の血を自分の代で終わらせたい。
相方がどんなに優しい人でも、気に入らない事があると人目のつかない所で自分の手でその子を傷つけてしまうかもしれない。人間の沸点なんて自分が思っている以上に低かったりする。
私は私を生きるので精一杯だった。教員として人さまの子どもを教えたり面倒みたりする、これほど好きな仕事も他になかった。
母がよく言っていた。
『人の子どもを教えるのはものすごく上手くできるのに、自分の子どもだと腹が立ってしょうがない。』
会社員をしながら英語の塾を20年していた母がそう私に言うのだ。確かにそうだ。
同じような話は家庭教師先の保護者からよく聞いていた。自分の子どもには冷静に教えることができない。
なので私は子どもを持つ事を諦め、その代わり人さまの子どもにピアノや勉強を教えたり、子どもと全力で向き合い関わり続けることで、人生の帳尻合わせをしているのかもしれない。
それがきっと天命なのだ。そう思い込むようにしている。
自分が子育てなんかしたらとんでもない事になる、超絶スパルタ教育を施し、もしかしたら子どもを追い詰めて殺めてしまうかもしれない、自分の中にそんな恐ろしい一面があるように思えてならないのだ。
きっと神様は私の本質を見ている。
それでいい。負の連鎖は私で終わりだ。
これからも世間が許すなら、人さまの子どもの相手をする仕事に一生自分を捧げよう。
話が逸れてしまったが、壮絶な虐待に遭って二度とこんな思いなんかしたくも見たくもない!と思った当の私が、上のような事を思ったりするのが現実だ。
要するに誰でも被害者にも加害者にもなりうる可能性はあるのだ。
冒頭に戻るが暴力という形で人に危害を加えてしまった人の事も深く考えてしまう。
ではどうすれば良いか?
DV被害者の相談窓口は割とあるのだが、加害者側の表札なんて見た事もない。
ただ自分が犯した罪を本心から償いたいと思った人は、自分の手でクリニックを探し、精神療法やカウンセリングを受けてみるのが良い。すぐに辞めてはダメだ。続ける事が肝心だ。
人を傷つけた人もまた自分の心を傷つけている。
犯罪被害者の会はよく目にするが、犯罪加害者の会というものを見かける事はあるだろうか?
実は表だって見えないだけで、暴力をふるってしまった過去(現在進行形でも)をどうにかしたいと自助会のような取り組みをしている組織も割とある。
とても勇気がいるだろうが、もし本当に償いたい、自分を変えたいと思うのならば、その扉をあなた自身がノックしてみたら良い。あなたと同じような悩みを持つ仲間が必ずいる。
現に奥さんや彼女、子どもに悲しい思いをさせてしまった人は、心から詫びてほしい。
『ごめんなさい』心からこの言葉が言えるかどうかもカギだ。
もう二度としないから許して、ごめんなさい、ではダメだ。そんなセリフは反吐がでるほど聞き飽きている。
縁を切られている人もいるだろう。そんな時はしばらく誰とも交際せず、ただひたすら見返りを一切求めないボランティア活動をしてみたら良い。
次に付き合う相手ができた時、カッとなる事がある、まずは5秒待とう、決して相手を見下してはならない、自分の感情をコントロールする術を是非得てほしい。
暴力をふるう人に多いのが(あくまでも個人的主観)妙なプライドの高さ、そして異常なほどの負けず嫌い(執着心が強いとも言える)この2点だ。
チクリと刺さる方、いないだろうか?
別に目の前に居る相手に激昂する必要なんてない、怒るだけ時間の無駄だ。『負けて勝つ』この言葉を是非覚えてほしい。
子どもがいて自分の過去の過ちのせいで離婚してしまった人は、毎月3000円でも5000円でも良いからとにかく養育費を払ったほうが良い。
私の父親は最初の半年間だけ養育費を払ったのだが、その後はなしのつぶてだ。
父親の事も随分憎んだが、もし仮に月に1000円でも私が成人するまで払っていてくれたら、父親が亡くなってしまう前に内緒で探して会いに行っていただろう。
子どもを作ったまま離婚し、養育費を払わない人が大半だとニュースの統計で見たことがある。
たとえどんな少額でも養育費を払う事は、子どもを作った親としての責任でもあり、自分が育てられない代わりの贖罪として、または愛情表現のひとつだと思っている。(付け足しておくが、養育費をダシに復縁しようなどと考えないのも重要だ)
母子家庭、シングルマザーの貧困率の高さと養育費未払いの因果関係がとても深いのもそこだ。
これは養育費を払われなかったまま、憎みながらも、わずかな期待を持ちながら父親を求めて探し、知らぬ間に父親が孤独死、腐乱死体で発見された私の個人的意見である。
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