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雨の日の登校〜車好きな女

私の住んでいたマンションから高校までは自転車で約25分、山の頂上にできた学校だったので行きがしんどい。ノロノロ行くと30分近くかかる。
帰りは坂道を猛ダッシュでくだり、そのまま帰ると約15分。でもそれらは晴れの日だけだ。

2つも3つも離れた市町村から5%入学してきた生徒は電車通学がほとんどで、不便な山の上なのでバスも止まらない。
それより更に山奥に住んでいた生徒は、朝早くお父さんかお母さんの出勤に合わせて車で送ってもらっていた。

電車は同じ市内なのに、超ド田舎のローカル線、無人駅が最寄り駅で、1時間に1、2本しか止まらない…方々から通学する者が多い、という全ての状況を考慮して、当時の高校では珍しく朝8時50分登校だった。9時までに教室に入れば許される。

他の高校より40分も朝が遅い、ラッキー!

母は8時から会社が始まるのに7時50分過ぎに猛スピードで出ていくような人間だ。



私は母が家を出る7時50分前後に起きて、置いてあるパンと紅茶を沸かし、弁当があればそれを適当に詰め、朝の連ドラが始まる8時15分まで優雅にゆっくり食べる。皆は電車に乗っている時間帯らしい。
連ドラを見ながら念入りに化粧をし、8時半に家を出れば…猛ダッシュで何とかセーフ。時計の針が35分を指していたら諦めて1限目をパスする。数1、数2の女の先生が嫌で仕方なく、それらが1、2限に入っている日はパスして、そこから朝シャンして化粧して、コンビニに寄りタバコを吸いながら3限過ぎたくらいに登校する。
遅刻どころの話ではない。

担任の“おぐちゃん″こと小倉先生は遅刻に関して非常に甘く、9時1分でも遅刻扱いしない優しい人だった。それにもかかわらず年間の遅刻日数が135日という年もあった。
(母に通知表を見せる時、135日の1だけを修正ペンで消していた)



ただ、雨の日だけは違った。
カッパを着て自転車通学をする者も多いが、山の頂上なので保護者の送迎率がアップする。
それか、私の場合は電車を2つ乗り換えて登校するのだが、そうすると最低でも7時半には家を出ねばならない。通学にわざわざ遠回りして1時間半もかけられっかよ…と考えていたが、すぐに別のアイデアが生み出された。

祖父は会社を経営していたが、“雨の日は孫を高校まで送って行く″と言い出し、雨の日だけは祖父のシーマで登校した。

その頃祖父は、フォードからパールホワイトの美しいフォルムのシーマに乗りかえていた。もちろん純正で音響も抜群にいい。プロなので運転も抜群に上手い。私は祖父のシーマをとても愛していた。祖父は仕事の関係でよく車を乗り替えていたが、私もそれに似たのか車が好きだった。

すぐに故障するアメ車なんかよりずっといい。その後の人生で、色んな人に色んな車に乗せてもらったが、祖父のパールホワイトの純正シーマのフォルムと乗り心地がベスト3に入るくらい好きだった。


が、祖父は時間に厳しい経営者だ。遅刻なんてとんでもない。
雨の日、私を高校までシーマで送ってくれるのは嬉しいのだが、8時10分にはマンションの下に降りておかないと怒る。普段なら朝食を食べて優雅に一服している時間帯だ。中々私が降りてこないと、下からクラクションを鳴らしてくる。

急いでスッピンのまま助手席に乗り込み、車で15分〜20分かけて登校する間、助手席でメイクを始める。
中学の頃までは体重なんて気にしたことがなかったが、高校に入って171cm、65キロまで太ってしまった。
だが、どんなに太っても目が一重でも女子力を磨き続ける根性だけは残っていた。メイクは念入りに…高級車は上にミラーがついている、こんな時に便利だ。

マリークワントのファンデーション塗り、眉毛を丁寧にかく、ビューラーをライターでサッと炙り、温めてからまつ毛をクイッとあげる。マスカラも必須だ。
雨の日だけは、高校の前が保護者の車で渋滞していた。
助手席から降りる5秒前にシュッと香水を手首に吹きかける。バニラの甘い香り、ニナリッチの香水を瓶ごと通学カバンに入れて愛用していた。

不思議なことに、祖父はそれらの“女子力アップ行為″に関して3年間ひと言も言わなかった。

私が降りたあと、毎回香水くさかったはずなのに、何で何も言わないのだろう、鼻が悪いのかな?それとも母と似てふし穴なのか…もう亡くなってしまった祖父に聞くわけにもいかない。迷宮入りだ。


祖父は雨の日、私を送ってから出社していた。


帰りも雨の時は、学校の公衆電話から祖父母宅か祖父の会社に電話して迎えにきてもらう。

祖父が忙しかったり自分が遊びたい時は、電車通学の友人と隣の市まで出かけて、母に禁止されていたカラオケやミスド、ロッテリアに寄って電車で帰宅する。もちろん“部活に行って遅くなった″というウソの理由つきだ。


一度だけ、門限の19時を5分ほど過ぎて帰宅したら、母がブチギレていた。なんと19時を1分過ぎた時点で『ウチの娘がまだ学校から帰って来ないんですが!』とわざわざ高校に電話していた。

恐ろしい…この人は私をどこまでも追いかけて干渉してくる、干渉と束縛でがんじがらめにされた私は、その後の人生で、干渉&束縛してくる男を本能的に避けるようになった。その“気配″がする男は早々に見切りをつけた。関わったらロクな事がない。


雨の日、祖父のシーマで登校する時のみ絶対に遅刻はしない。早めに学校に着くと、部活もないのに毎朝7時半には毎日学校に来てるよ、という人もいて驚いた。そして告白してフラれたTもまた、遅刻するような人間ではなかった。

ある時、中学の頃同じ塾で“進学校コース″組だった隣の中学出身の豊田くんが私に声をかけてきた。豊田くんは塾で顔見知りだったのと、隣の中学のバスケ部員だったのでよく知っていた。
そして彼はあらゆる男子どもの争奪戦に勝ち抜き、私のレズ疑惑の発端となった、可愛くてギャルなユキちゃんの彼氏の座を手にしていた。彼は明るくよく喋り、オシャレで高校生なのに古着をうまく着こなしていた。
そんな彼が私に何の用だ?

『ねーねー、ハッシーの家ってもしかして金持ち?あの車シーマでしょ、たっけーやつ。あれってハッシーのお父さん?もしかして怖い人系?』

一瞬何のことか分からなかったが、豊田くんら男子は私の祖父とシーマをいつも見ていたと言う。

『いや、あれはおじいちゃんだよ!ウチお父さんいないからねー。怖い人なワケないじゃん。てか、金持ちじゃないし、よく車なんか見てるね!』

『ヘェ〜、でもね他の奴も言ってたよ…でもあの車、高いじゃん!ハッシーん家スゲ〜な』

確かに車は高いと聞いていた、でもメルセデスほどではないとも言っていた。


怖い人…?あぁ、暴力沙汰は恐ろしいが、そんな事みんなは知らない。車に乗ってる時の祖父は私からしたら優しい、フツウだ。だが“おじいちゃん″には見えないのか…そうか、確かに丹羽哲郎に似てるし、変な数珠みたいなのいつも腕にはめてるから、怖い人とやらに見えたのかな…金持ちね…単に車が高いだけだよ…。


それからは雨の日、意識して車を観察するようにした。保護者の車がたくさん停まっているが、登校時間が遅いので皆お母さんが送ってきてるな…なるほど、軽自動車がほとんどだ、軽トラの人もいる。確かに豊田くんらが不思議がるのも無理はない。

祖父との良い思い出はそれくらいだ。

日曜日、ゴルフの打ちっぱなしに付き合えと言われ、祖父と2人で出かけたとき、私はバッチリメイクをしていた。それをたまたま見た祖父の同業者から『橋本さん、若いお嬢様さん連れてるね〜!コレかい、コレ』と小指を立てたと聞いた。
『アレはわしの孫じゃ!』と言い返したらしい。
その後も祖父は同じような質問をされていた。


数年後祖父が会社をたたみ、もう大きい車は必要ないからとシーマを下取りに出そうとした時、本当なら私が欲しかった、欲しくて欲しくて仕方がなかった。でも維持費の高さを聞いてビックリした。

母は私の化粧に全く気づかない。タバコの匂いはお香と香水で消していたが、それも気づかない。ついでにヘアマニキュアした髪の色にも気づかない。

考えると、高校に入って母と“会う″のは、私が部活から帰宅して母も会社から帰ってきてから、夜寝るまでの数時間だけだった。
それに週に2回は夜間、例の宗教の集会に母だけ行っていたので、そこから帰宅した21時半ごろから母が寝る0時くらいまで、たったの2,3時間くらいしかマトモに顔を合わせない。太陽光線の下じゃないと、私の髪の色にも気づかないわけだ。
(それも1年以上経ってから、その時はプールの水で髪が茶色くなると誤魔化し続けた)

母も祖父も変なところで厳しく、私や祖母に暴力をふるうのに、肝心なところは何も見えていない。やっぱりふし穴だったんだろう。


現在、私は車を所有していない。



独身の頃は車がないと通勤、生活できない地方に住んでいた。その時乗っていた日産のモコという軽自動車を気に入っており、休みの日は1人でよくドライブをした。色はピンクがなかったので濃いパープルにした。
お気に入りの音楽をかけながら、車内はマリーちゃんグッズを置きまくり、ピンク色にカスタムして灰皿をドカンと置き、それで堂々と学校に通勤していた。
軽自動車は小回りがきくし、税金も安いのでそれはそれの良さがある。
車を眺めるのも運転するのも好きだった。
結婚して引っ越す時、手放そうか随分迷った。


だが引っ越す先のマンションについている立体駐車場を借りようか値段を見たら、月額4万円で驚いた。地方なら家賃に匹敵する。それプラス、ガソリン代に保険やら色々維持費がかかる。
独身の頃の地方の駐車場が月額8,400円だった。


色んな人に相談すると『もう車売ったら?軽自動車に維持費が月に5万近くかかるなんてアホらしいよ。タクシーに乗ればいいよ、タクシーに月5万も乗らないでしょ?』
地元に住むみっきーには『駐車場に住んだら?』とからかわれた。

そうか、そうだな。タクシーに月5万も乗らない…地下鉄もある。サッサと下取りに出して、車生活はおしまいだ。




その後、マンションの立体駐車場に停まっている車を眺めると、軽自動車なんて1台もなかった。みな、3ナンバーの乗用車か外車ばかり。
そうか、駐車場代に月4万円出せる人たちが車を所有できるんだ、都市部では車は贅沢品だったんだ。


私は高校の時と同じチャリ生活に戻った。


ママチャリに大きいカゴをつけて、supremeのバカでかいステッカーを貼りつけ、マリーちゃんのシールをベタベタ貼り、色が濃いめのパールがかったグレーなので『愛車はレクサス!』と皆に言っては、笑われている。 


いつか“車が乗れる身分″になったら、渋いセダンに乗りたいなぁ…アウディかBMWの濃紺が品があっていいな…なんて都心を走る高級車を眺めながら夢をみる。


でもやっぱりおじいちゃんのパールホワイトの純正シーマが1番だ。もう売ってないけれど…。運転が上手い人の車は余計に魅力的だ。




今日も“愛車レクサス号″で家庭教師に行くのだ。走りゆく車種と、どこから来たナンバーなのかをチェックしながら…


車好きな、そんなところだけ、祖父に似たのかもしれない。




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