今週思ったこと vol.6

各種スポーツの大会や運動会、試験、仕事、他人から無謀だと思われることへの挑戦etc。

こんな場面で言葉をかけるとしたらなんて言いますか?
多くの人は「頑張れ」じゃないだろうか。

僕もこれまで特に何も考えずそう声をかけてきた。
それが正解だと思っていたから。

先日、オードリーのANNを聞いていたら春日さんがお子さんに「頑張れ頑張れ」と声をかけたという話に、若林さんが「子どもに頑張りたいかどうか聞いたのか?」と話されていてハッとした。

「頑張れ」は本人の意思やキャパをフル無視しているのではないのだろうか?

そこで「頑張る」の意味を調べてみたら

1.忍耐して、努力しとおす。気張る。
 「よく―・って見事に仕上げたものだ」
2.ゆずらず強く主張し通す。

と出てきた。

これって他人が使う言葉じゃないと思う。
「頑張れ」の意味を調べると

困難にもくじけず、物事を成し遂げるように、相手を激励するための、呼びかけ。「頑張る」の命令形で、支援・応援の掛け声として最も一般的な表現。

と出てきた。

命令形だというじゃないか。

耐え抜くこと、気張ることを強要するということだ。

生きていく上で苦手な事や自分のキャパシティを超えたものをやらないといけない時はある。それでもそれに対してやる気を出して、耐え抜いて、気張るのかどうかは本人の意思だ。

それなのに日本人はすぐに「頑張れ」という。
その歴史を続けてきた結果、頑張りすぎてこの世から消えた命が数多くある。

頑張ることが美学となっている。

24時間365日耐えて、気張ったらガス欠になるのは目に見えている。
それでも他人に頑張らすのが好きなのだ。

気が狂っている。

だから僕は「頑張れ」と言わないようにする。
自分が「頑張る」時はあるけれど、それを他人に強要はしない。

だってその人が「頑張る必要」があると思っていれば自然と能動的に「頑張る」から。

「無理すんなよ」
「いつでも手伝うから」
って言えばいいじゃないか。

タイミングも使うエネルギー量も決めるのはその人だ。
無理をしまくって生き続けれるほど世の中はイージーではない。
だったら無理をせずに生きやすい速度でいければいい。

みんながみんな他人に期待をしすぎなのだ。
貴方は貴方の時間を生きればいいのだ。

誰かに強要するものでも、強要されるものでもない。

頑張らされるな日本人。
自分で決めろ

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