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自分

自己紹介

 中学生だったか高校生だったか思い出せないけれど、自己紹介のフレーズを考え続けていた。「○○です。性格は明るくて~」その後が続かなくて自分は何なんだろう?とずっと考えていた。

 考えていた当時〈性格は明るくて〉の部分に何の違和感も持たなかった。
しかし、いま思うとクラスに仲の良い友達もいなく休み時間に一人でいることが多かった自分が何故そんなに違和感なく〈性格は明るい〉と毅然と思えていたのか不思議である。高校ではクラスで6~7人の女の子グループにいたけれども、世界はソコまでだった。部活や委員会で他の学年やクラスでおしゃべりする男子は多かったが、それは全校の20%程度の男女比だったので、そのためだろう。

 とにかく自分は〈明るい〉〈エネルギッシュ〉〈バイタリティのある〉そんなイメージを持ってた。

 正直、凄いなと感じた。楽しい家族も何もなく過ごしていながら、自分は明るいと信じている。この時の自分が見つめていた自分の芯が今も何処かにあるのだろう。その反面、癒やしを必要とするインナーチャイルドのイメージとかけ離れていて戸惑う。当然ネガティブな部分も捉えていて、〈好奇心旺盛だけど飽きやすい〉などは今の自分でも確かにそうだったなと納得するのだけれど。


教育実習生

 少し話が反れるが、中学生の時に傷ついた事がある。教育実習に来た女子大生が実習の最終日にクラス全員に一人づつ手紙をくれた。その書き始めは「変わりっ子の○○へ」だった。

 休み時間にはクラスの女子に囲まれて騒いで笑っていた先生だったが、特に興味も無かったし、私は混ざらなかった。ただそれだけで〈変わりっ子〉という烙印が押されるのだと学んだ。ロクに話もしないのに他人は数週間で切り捨てるのだと実感した。


もしかして…

 ここまで書くのに2日も掛かっているのだけど、いま思いつたこと。

 私は仮面を被って戦っていた。母と、兄と、母や兄の言い分を鵜呑みにする教師たち、大人たちと。戦いの仮面を被ると笑顔が消える。隠れた本質の明るい私は常にソコにいたのだろう。

 勉強はできて当然。問題は分かって当然。家の手伝いもやって当然。親はいつまでも親。どんなに偉くなっても親は親。感謝もされずに蔑まれていても、生きるために自分の弱い気持ちと戦っていた。この子がブレなかったから今の私に命が繋がっているのだろう。私が探していたインナーチャイルドはこの子かも知れない。


日々の目標

 彼を喪ってから寝る前に目標を唱えている。早朝勤務に遅刻しないおまじないである。「明日4:20に起きて、ご飯食べて仕事に行く」

この目標は実に都合が良い。出勤した時点で目標達成できる。あとはリラックスして楽しんで大丈夫だ。しかし、少し前に少しキツイ物言いをされてから目標を追加した。
「朝4:20に起きて、ご飯食べて仕事に行って笑顔の修行をする」

 キツイ物言いをされて気がついたことがある。私が人に注意をするときはかなりの覚悟がいる。その言葉を相手がどう受け止めるか。あるいは言わないで私が我慢を続ける方がいいのではないか?大抵は言わない方向を選ぶ。自分がギブアップしそうならお願いという方法で伝えるだろう。
 しかし、いろんな人がいる。キツイ物言いをした彼は翌日にはケロリとして私に冗談を言ってきた。そうか、言葉って武器や凶器じゃないんだ。感情を垂れ流しにすると相手を傷つけるんだ。彼は素直にその時の感情を垂れ流しただけで、私を傷つける意図は無かったんだと理解できた。
マジで定年前に理解できて良かった。ムダに傷つくところだった。

 きっと笑顔の仮面の修行は終わった。仮面を被らない私はきっと笑顔なのだから。


 


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