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死別後シンドローム 4

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本書の目次

第4章 死別後シンドロームで苦しまないために
 2 死別後シンドロームから立ち直るために
    (湧き上がる感情を大切にする)
    助けを求めてみる
    亡くなった人との新たな関係づくり
    新たな自分を生きるために
    繰り返す「再会」と「別れ」
3 周りにいる私たちにできること
    亡くなったときにできること
    悲しみが長引いている人にできること

死別後シンドローム 目次

 助けを求めてみる。信頼できる人に話を聞いてもらったり、自助グループに参加したりということである。

亡くなった人との新たな関係づくり

 (1)亡くなった人との対話

  • 思い出を巡る旅 ---無理に旅に出なくても、そこにあの人がいるような  イメージ、見守ってもらえているようなイメージとの対話でもいい。

  • 亡くなった人が伝えていること ---悲劇的なお別れの中にも肯定的な意味を見出すと書いてあるのだが、要するに〈突然の彼との別れが私にとっては悲劇的〉なものだったが、〈彼のように人とのご縁を大切に生きる〉ことを私も目標にしたい。←その死のなかに肯定的に意味を見言い出す。

(2)亡き人を「死者」にする覚悟を決める

亡くなった人との対話を続け、絆を保つ、あるいは新たな絆をつくることは、喪のプロセスで大切なところである。亡き人との対話ができ、そして、大切な人のいなくなった世界で新たな「なつがり」への希望が見えてくると、おのずと亡き人を真の「死者」にする覚悟ができてくる。
亡くなった人との新たな「つながり」をつくるには、いったん亡くなった人に別れを告げなければならないのである。しかし、死別後シンドロームでは、この段階を乗り越えることが難しい場合がほとんどだ。

死別後シンドローム P224


亡くなった人との新たな関係づくり

  • 亡くなった人を怖れなくていい ---虐待してきた親が亡くなったとか、依存が強かった場合には自責も強く残る。過去の心の傷との関連が強い場合には専門家や医療も。

  • 忘れることは途切れることではない ---一時でも大事な人のことを忘れると絆が途切れてしまうと感じてしまう。

  • 亡くなった人とともに生きる ---回復した人は「亡くなった人はいつも自分の中にいる」「いつも見守っていてくれている」あるいは、花や動物、昆虫の姿を借りて~..というエピソードのお話。

 私たち人間は、誰もが心の中に「あたたかさ」をはぐくんでいる。生きる基礎となるようなものである。この「あたたかさ」は、前に述べたような、人との「つながり」、あるいは動物や自然との触れ合いの中で生まれる安心感と同じだ。このあたたかな支えによって、私たちはなんとかこの現実世界を生きているのである。かけがえのない人が亡くなると、その「あたたかさ」まで、一緒に失ってしまったかのような錯覚に陥ることがある。
 しかし、亡くなった人とともに生きるということは、自分の心に本来持っていた「あたたかさ」を思い出し、かつ、亡くなった人を新たな「あたたかさ」の支えとして心に取り入れることでもあるだろう。かけがえのない人は、外側だけの存在ではない。内側にあるそれぞえの心の中に、「あたたかさ」として生き残るのである。
 こうして、私たちの心の支えに取り込まえた死者は、今や、ともに生きる存在になるのである。しかしその過程に至るには、やはりある一定期間、自分の感情に素直になり、亡くなった人への思いに没頭することが必要になってくる。

死別後シンドローム P227


新たな自分を生きるために

(1)今あることに目を向ける

  • 思いにひたりきる ---滋養の時期---  悲しみなどに身を任せる日々を、こんなことではいけないと否定せず、全てを受け入れて感じ切ると、今度はそうした苦しい気持ちから少しずつ距離が取れてくる。

  • 「あたたかさ」の代用  自然、人との会話、ぽかぽかの太陽、温かいお茶、温泉

(2)過去の傷を見つめる
 過去の傷が、死別の悲しさや怒りを増幅させてしまっていることがある。

  • 「あたたかさ」を受け入れる準備をする ---もともと心の中に、生きる基盤ともいえる「あたたかさや」自分が無条件で受け入れられる体験が不足していた場合、生きるためにどうしても外側の世界や外側の誰かに基盤を求めがちだ。そのようなとき、かけがえのない人は、彼らにとって生きる上での基盤であり、心の支えでもあったことだろう。すると、その死は、大切な人だけでなく、生きていく力も根こそぎ奪い取っていきかねない。

 喪のプロセスでは、亡くなった人を心の中に取り入れる必要がある。
→あたたかさに不慣れでこの作業が難しく、取り入れられないので外側の世界にしか存在しない=心と切り離されてしまう。
→完全にいなくなってしまう怖さから亡くなったことが受け入れられない。
→彼らを「死者」にできないので新しい「つながり」を築けない。

=過去から引きずっている心の傷に寄り添う必要が出てくることがある。
 

  • 「つながり」の準備をする ---こうした人達が喪の作業を一人でおこなうことは、かなりしんどいはずである。 →心理療法などおすすめ

亡くなった人を取り込むために、また亡き人の居ない新しい社会で自分を生きるためにも「つながる」準備が必要。
「つながる」準備=信頼する心を取り戻すこと

繰り返す「再会」と「別れ」

 しかし、喪とは終わりがないものでもある。あれだけ苦しみもう悲しみには強くなったと思っていたのに、何かの拍子に再びぶり返し、悲しみがあふれ出してくることはないだろうか。どこからか聞こえてきた別れの曲であったり、ふいに訪れてしまった思い出の場所だったりに触発され、思わず涙がこみ上げてくるかもしれない。
 それは正常なことである。何度もこうした「再会」と「別れ」を繰り返していくうちに、感情の波はいつの間にか落ち着いていく。

死別後シンドローム P233


3.周りにいる私たちにできること

亡くなったときにできること

  • 亡くなったあと、そばにいる

  • 煩雑な手続きの手伝い

悲しみが長引いている人にできること

  • 風通しを良くする ---お互いに傷つけないために空気が重くなって余計辛くなるため、常に話題に気を使うような張り詰めた雰囲気にしない

  • ジャッジをしない

  • 言葉に「あたたかさ」を

  • 急かさない

  • 社会との橋渡しとして関わる

  • 幸せな思いも傾聴

  • 亡くなった人を尊重する


第5章 死別後シンドロームから抜け出すために

1. どのようなときに精神科に行くべきか


 まず、他の精神の病気が混じっているとき。うつ病、不安症、PTSD、暑コールなどの依存症など、精神の病気が混じりやすい。このため喪のプロセスが止まってしまうこともよくある。

目安となる症状

  • 眠れない/食欲がない/仕事や家事に集中できない (2週間以上続いていたらうつ病が混じっている可能性)(うつ病との決定的な違い=亡くなった人に思いを馳せられるか否か)

  • 自分を責める気持ちが止まらない/自分の身体を傷つけてしまう

  • 不安が強く外出ができない

  • 亡くなった場面が勝手に思い出されてつらい

  • 原因のわからない身体の不調が治まらない

  • 亡き人の姿や声が頻繁に見えたり聞こえたりして、現実と区別がつかない

心理療法をおすすめするとき

  • 過去のつらい体験を抱えている

  • 感情の暴走を受け止めきれない

  • 社会経験が少ない

2. 死別後シンドロームで試みられている心理療法


ここも専門家の助けのもとで行うべきものなのでタイトルだけ

  • 亡き人との対話を中心とした認知行動療法

  • 亡き人への手紙を組み合わせた認知行動療法

  • グループ療法

芸術療法

  • 絵画療法/コラージュ療法

  • 音楽療法

  • スクラップブック作り

  • 人形作り

マインドフルネス
箱庭療法


最後に支援先の紹介として

  • 認定NPO法人 グリーフケア・サポートプラザ (東京)

  • 公益社団法人 被害者支援都民センター (東京)

  • 一般社団法人 日本グリーフケア協会 (東京、宮城、新潟)



自分語り

 返却日だったので図書館に行き、一緒に借りていた他の本を2冊、延長の手続きをしてもらった。アダルトチルドレンと源氏物語。
 家に帰って来て、鞄から取り出すと出てきたのは死別後シンドロームとアダルトチルドレン。返却する時に確認したのに。もっと読み込めという彼の指導なのだろうか。。。

 そんな彼の心配りを「私がいつまでも立ち直れないのは君の浮気のせいやで」と斬り捨て。ミディアムさん体験してから、夢で会いたくて毎晩お祈りしていても君がちっとも出てこないし、日々の小さなサインすら無いしで、
ため息吐息の日々を過ごさなければならなくなっているのは、神様みたいな人が「もうコッチに来ているんだから、勘弁してやってや」と謎の采配を振るっているような気がする。

 医学カテゴリーの本を読んで自分を整えようとしたり、スピリチュアリズムに向き直ったりと足場も気持もグラグラしている。

ミディアムさんに私は老後も一緒に過ごしたいと思っていたのか尋ねて貰った。彼の返事は優しく安心感を私に与え、私は感謝の涙が止まらなかった。

そして月日が流れ、考えなくてもいい事を考え続ける私の頭は1つの事に気付いてしまう。「それって亡くなる時には浮気相手が好きだった訳で、亡くなってから人生を振り返ったら私が再浮上しただけやんな?」我ながら、こうゆうのをマイナス思考というのだろうと思う。

そして読ませていただいてるのが 希望再発見ブログ Looking for HOPE イメージしくいスピリチュアリズムを丁寧に解説されているサイト。

一生を終えた後、全ての人が人生を回顧する時間を持つためです。
 全人生を映像と共に振り返るのですが、ただ見ているわけではなく、自分の言動が出会った全ての人にどう影響を与えたのか、相手の感情をはっきり感じ取りながら振り返ります。

天国についての疑問をQ&Aで丁寧に解説*【第二回】心身の変化と暮らし編

自分の言動がどう影響を与えたのか、相手の感情をはっきり感じ取りながら

想像しただけで怖すぎる。たぶん私は彼が浮気を始めた早い時期に違和感を覚えはじめている。そして繰り返し「浮気されて離婚した彼が浮気する訳が無い」「こんなに人とのご縁を大事にする彼が私を裏切る訳がない」「あんなに貧乏生活を二人で乗り切ったのに信頼しない私がおかしい」と思い続けていた。それが全部をバレてしまうというか....、彼が不憫!
 避けて通れた修羅場がまとまって降り掛かってくるなんて。正直、死ぬのは怖くないけれど(彼に会えるので)死んだ後の反省会は怖すぎる。

ついでに、私の母が亡くなった後の反省会で小学生だった娘(私)に明確な殺意を抱かれていたこともバレてしまう。しかも、小学生の娘が思いとどまった理由が〈悪い人を殺したのに私が裁かれるのは納得できない〉というトンデモ思想までバレるのである。

 本当に生きるって難しい。去年の今頃は退屈な日々に「ただ生きるだけじゃなくて、活き活き生きたい。活きるのが大事」とかなんて贅沢な事を思っていたのだろう。


 子供の頃からずっと私は犬の尻尾が欲しかった。もちろんちゃんと自分のお尻にはえていなければならない!
大好きを余す所無く伝えられる尻尾。口喧嘩になっても、不満があっても、すぐに心の中の大好きが湧き上がってきてブンブン振れてしまう尻尾。
 尻尾があったら、仕事で忙しかったり、歳を重ねて触れ合う機会が減ったふたりの間でも気持はもっと通じていただろう。

そして今は翼が欲しい。「行きたいね」って話していた場所を見に行くために。一緒に暮らした場所を見に行くために。彼が一人で行った場所を見に行くために。そして彼がいる場所に行くために。

 そんな事を思いながら、ふと〈翼があったらうつ伏せに寝るのかな〉と現実世界で考える。--- 尻尾があって翼があったら悪魔だよね。

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