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傘とトラウマ

 前の話で書いたように日傘を探している。昨日、午後の出勤時に置き傘にしようと傘を持って出掛けた。普通の雨傘なのだが、差してみたら涼しかった。自分は日傘を使わない派だと思っていたのだが、食わず嫌いならぬ使わず嫌いだった。今日の朝、義母からのLINEにこの話を書いたら「私は日傘は絶対必要なの。帽子は暑くて無理だわ」と返ってきた。確かに帽子を被ると汗をかく。しかし、言われるまで〈帽子が暑い〉という発想は無かった。

欲しい傘のイメージ

 私は空が好きだ。たぶん海も好きだ。この〈たぶん〉が曲者で、彼が海を愛しすぎていた人だったので、自分が純粋に海が好きなのか、彼のフィルターで好きなのか判断が難しい。
 死別という一線を超えたことで、自分が見えづらくなってしまっている部分がある。これ以上彼を失わないために、自分が純粋に好きなものなのか、
守りたい物なのか、すがりたい物なのか混沌としてしまっている。
心ときめくような空や海の日傘はまだ見つからないのだが…

柄(がら)はともかくとして、長傘をさがしている。折りたたみ傘が主流の中で素敵な柄のものがあっても「やっぱり長傘がいいな」と諦める。

トラウマ

 今朝、暑くなる前に買い物を済まそうと出掛けたのだが、すでに暑くなりかけていた。その時に蘇った記憶は小学生の私のものだった。

 たぶん小学校3年生頃だった。母は町内会の役員をしていて数日後にある町内運動会の景品を買ってきてパッキングしていた。その景品候補として買ってきたアレやコレやのなかに、1本の折りたたみ傘があった。

当時の小学生の傘といえば、入学祝いに市から貰える黄色い長傘でデビューして、その後折りたたみ傘やワンタッチの傘と個性を出して行くさなかであった。晴れた日に持ち帰る傘はオモチャと化し、魔女のほうきよろしく跨いでみたり、そこらのフェンスをこすりながら歩いたりで耐久テストさながらの扱いをしていた。

 そこで母はひらめいた。この傘は○○(私)の傘にしよう!
青に小さな白の水玉模様の折りたたみ傘。---そもそも、なんだかいまいちパッとしないから景品にするのを止めたのであろう。
「これは嫌だ。いらない」必死に拒否していた記憶だった。

それで初めて折りたたみ傘が嫌いなのがトラウマなのだと気がついた。ついでに水玉模様も苦手だ。こうも簡単にトラウマが形成されるのだと衝撃を受けた。

暴力

 母が「叩くこっちの手だって痛いんだよ」と正座している私の脚を蹴り始めた事があった。翌日には脚全体が腫れ上がり、トイレで座ることができなくなった。

 兄に叩かれ続け、泡を吹いて倒れたフリをして切り抜けた事が一度ある。小学生の時の事なのに、30過ぎてから「俺はお前を泡吹いてぶっ倒れさせた事がある」と言われ、こんな事が武勇伝になる人がいるんだと衝撃だった。

 バレンタインデーの少しあとだった。前夫と口論になり、激怒した夫が手近にあった私が渡したバレンタインチョコと、その日の夕飯に用意したなすの浅漬の小皿を投げて来た。

日常的に叩かれていたのだが、何故かこの3つのエピソードだけが繰り返し思い出されて怯えていた自分を思い出す。

 どんなタイミングで思い出すのか見当がつかない。逆にポジティブな思い出というものが見当たらない。封印を解かなきゃなくてはならないという気持ちとアンタッチャブルなものとして消し去りたい気持ちがバランスを取ろうとしている。

とりあえず、出勤が楽しくなりそうな傘を探そう。

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